風の谷通信

専業農家からの引退を画策する高齢者。ままならぬ世相を嘆きながらも、政治評論や文化・芸術・民俗などに関心を持っている。

11-072関東に大地震

2016-07-28 00:31:52 | この道の先に

風の谷通信No.11-072

眠れないままに起き出してネットを開くと、まず目についたのが地震情報。つい先ほど関東北部で大きな地震が起きたことが報じられている。23時47分過ぎ。この時刻だと朝刊に間に合うのかナ?

震度も地域的な拡がりも大きいぞ。・・・読んでたら眠くなってきた。あとは朝刊待ちということか。

これで、フクシマを放置したままで(どこかの原発を)再稼動するのはコワイぞー。

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11-071沖縄いじめ 高江ムラのヘリパッド

2016-07-23 20:48:27 | この道の先に

風の谷通信No.11-071

もはやアベさんが意固地になって沖縄イジメをやっているとしか思えない。大きな電波メデイアや全国版新聞が殆んど報じない中で権力が好き放題に行動して、小さな(人口150人の)高江ムラをイジメている。高江ムラのヘリパッドの問題は地元沖縄でも大きく叫ばれていないのを良いことに、大部隊の警察を投入してムラ人達を暴力的に排除している。中学や高校で起きているイジメのレベルである。ここでの警察は権力に与する暴力団である。親切な駐在さんはこの中にはいないです。

アベさんが、多くの国民の眼から隠れた処で傍若無人の振舞いである。それも、沖縄以外の警察機動隊を使って、自分の手を汚さずにやる。一般国民に届くのは僅かなネット情報が頼りである。皆さん、現地報道のブログを覗いて観て下さい。ブックマークを掛けませんが、少なくとも二つ・・

リテラ(7/23)と田中龍三ジャーナル(7/23) を紹介します。

沖縄の人達はどうして独立宣言しないのですか。観るのも悲しい闘争です。

 

 

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11-070日常を取り戻す

2016-07-21 19:55:37 | この道の先に

風の谷通信No.11-070

やっとやっと、パリ旅行記を終えた。今回の帰国後の不調は尋常ではなかった。行路中の過労だろうか、時差ぼけにしては酷すぎた。

さて、ボケーとした頭で日記を書いたり、ニンジンを播いたり太ねぎの植え床を準備したりしているうちに月日が動き・・・当然のことながら・・・はや1カ月半も過ぎてしまった。高齢者が世間から取り残されそうな感じがした。ここらで、遅駆けながら一くくりしておこう。

まずはマスゾエの辞任、その後始末よりも先に参議院選挙、そしてマスゾエのあと始末の都知事選。だと思ったら小池の乱だの病気上がりの言いがかりだの、自民党のウラ交渉だの、ややこしい。おまけに週刊文春が要らんことをして世の中を混乱させている。それで?マスゾエの問題はもう終わったの?訳の判らんカネ遣いをそのままにして、もう終わりでいいのか知らん。

さもありながら、永六輔・大橋巨泉両氏の逝去。巨泉さんのコラムが終わったからある程度予測はしていたが、永さんの病状は知らなかった。戦後を彩ったラジオ界の巨人とテレビ界の巨人が相次いで亡くなった。年齢は1歳違い、亡くなったのが5日違い。時代が動く。アベ政権と言う憲法無視の政権によって日本というクニが壊れて行く時に、二人の巨人が亡くなった。折しも沖縄でまたしてもひと騒動が持ち上がっている。高江ムラのヘリパッド建設工事。どうあっても暴力を使って住民を排除してでも工事する、という政権の姿勢がはっきりしている。高江ムラの住民をベトナム住民と見立てて空襲訓練をした時とほとんど変わらない姿勢で高江ムラをイジメているらしい。

かつての官房長官が『自衛隊は暴力装置』と言って問題になり、結局は辞任させられたが、法理論的には正しい発言だったはず。先日は共産党の役員が「国防費は人殺しの予算」と言ってすぐに更迭されたが、これも理論的には正しいはずだ。自民党側がこれを非難する権利はない。

そこで、高江ムラのヘリパッド工事。これが二ホンのすることか。ヤマトンチュのすることか。沖縄の皆さん、どうして独立宣言しないのですか?独立宣言を阻害するのはどんな問題ですか?

 

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11-070パリ旅日記21069

2016-07-20 18:01:37 | 旅日記

風の谷通信No.11-069

6月11日

気ままに街歩き。市役所東の朝市らしきところを通り抜けてノートルダムの裏側をまわってゆく。外壁の飾りの精巧な細工には感心するが、あの魔除けの魔物の姿には違和感がぬぐえない。あれは怪物だ、物の怪だ。その点、日本の古代神道はよろしい。平和ですなぁ。あの魔物は日本でならばせいぜい屋根に鬼瓦を置いて魔除けにする程度でしょう。

サンミッシェルからリュクサンブール通りへ。先日観た中世の壁を通過してパンテオンの前のカフェで朝食。リュクサンブール通りを降る。セーヌの水嵩がだいぶ低くなった。欄干の足許や橋脚の金網などにゴミがいっぱい。市役所まで戻り、地下鉄でイエナへ向かう。

市立近代美術館:アルベルトマルケ展。日本品は現在ドイツへ貸出中とのことなので観覧を止めて、隣のギメ博物館へ入る。アジア各地から集めた石像・仏像・仏画などを展示。曼荼羅のような絵や塑像もあり、特に石像に施した彫刻の精密さに感動。

目に留まった地域は、古代中国・カンボジア(クメール)・ベトナム・インド・パキスタン・アフガニスタン・ガンダーラ等々。

それにしても、これだけの文化と技術をなぜ侵略し破壊したのか。西欧文化と政治力の大きな罪を思う。

6月12日

いよいよバルビゾンへ行けなくなった。電車を使うにも片道2時間かかるという。交通ストライキのせい。あきらめて街歩き。バスティーユ広場の朝市を見る。雨の中ながら結構混み合っている。寒い!カフェに入って雨宿り。小止みななったところで歩いてリパブリック広場まで。

この広場がまたまた汚い。中心に立つ女神の像がスプレーの落書きで汚れている。足許の台座も汚れている。イヤイヤ、汚しているのです。気の毒に。

あゝ、パリ日記の最後が汚れた女神像の話しとは情けない。あすは旅立ち。

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11-069パリ旅日記21068

2016-07-16 20:22:25 | 旅日記

風の谷通信No.11-069

オルセー美術館

オルセーへ直行。9:25頃着。行列は50人ほど。間もなく入場してそのまま15時過ぎまでいた。今回は前回よりも詳しく観られたが、水を持ってゆかなくて失敗した。館内に自販機があるだろうなんて想像したのが間違いの元、二ホンとは事情が違うのだ。いささか脱水症状で苦労した。

入口の受付にきれいな日本語を話す若者がいた。アフリカ方面からの移民の子孫と見受けられたが、二ホン訪問も含めて各地で日本語を勉強し、大学でも学び続けている・・・という説明であった。これくらいに立派な日本語を話す人がいると日本人訪問者にとっては有り難いなあ。

さて、案内受信機を借りて、まずは何といってもミレーの作品を、と目当ての場所へ行ってみたら何もない。2013年に展示されていた場所を思い出しながら(まったくバカだねと自戒)うろうろし回ったあげくに案内係に尋ねる。前回とは逆の列の一角に集めてある、との案内。なるほど、あった!今までに何回か観覧した作品がまとめて展示してあった。さしずめ「ミレー・コーナー」という感じ。落穂ひろい・晩鐘・糸を繰る女性(か?)・春・羊飼いの女性(?)・他にも数点。日本では「晩鐘」の人気が高いが、こちらでは「落穂ひろい」の方が高く評価されているらしい。サイズの小さい「晩鐘」に足を止める人が少ない。

ここで一つ気になることがある。ボストン美術館所蔵の作品である。

      

         

写真上から; オルセーの展示状態(2013)、通過する人達は晩鐘(カメラのライトが光っている)に眼をとめない。右となりの「落穂ひろい」が人気か。写真2枚目は日本で広くしられている「晩鐘」。3枚目はバルビゾンのミレーの家に展示されたコピー作品。次の2枚はボストン美術館所蔵の「ジャガイモのタネ播き」と「ムギの収穫」。この2枚のモデルや場所は二ホンでよく知られた作品と同じであろうと思う。この作品の存在はボストン博物館の展示を見るまで全く知らなかった。「種をまく人」だって世界に3枚あるとは知らなかった。地元の画家竹内さんに教わって知ったのだが、その1枚がボストン博物館の展示で見られた。もう1枚が甲府市にあるとのこと。いずれは観に行こうと願っている。

話しがそれた。この日のオルセーには、他にモロー、ゴーギャン、ゴッホ、セザンヌ、モネ、シスレー、モリソト、ピサロ、ルノアールなどの作品が集中的に展示されていた。ホドラーの「木こり」に再会して感激。

さて、問題は身体の具合。喉が渇いて心理的に追い込まれた。はやく昼飯を取ろうと思い、2階のカフェに行って驚いた。椅子やテーブルがピンクや水色に輝いている。キラキラと言うかちゃらちゃら・キンキラキンの気配。食事をしよという気分が乗らない。5階のレストランへ行く。このカフェーがまたまたバカ高い。それはまぁ、名にし負うオルセーですからネ、みなさんおしゃれして財布のひもを緩めて、格好をつけて華やかにしたいでしょうけど。やーめた。5階のベランダへ出て、バーガースタンドでマフィンと水を買ってガマン。屋上からセーヌの対岸を観るとルーブルの大屋根が眼の前に見える、。はるか彼方にモンマルトルの聖堂が見える。セーヌの水嵩が少し低くなったな。ともかく、ミレーを観て、ゴッホとゴーギャンを観て、印象派の多くを観て、それで有り難さで一杯です。

きょうは、もうこれで充分。

 


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11-068パリ旅日記21067

2016-07-12 18:55:40 | 旅日記

パリの旅日記21067

6月9日ジヴェルニー行きその2

ヴェルノン駅で列車を降りて、子供公園の鉄道模型みたいな連結バスに乗ってジヴェルニーへ。

到着してすぐに昼飯。広葉樹の深い陰が拡がる席につく。風が涼しい。バスを降りた駐車場ではクルマも人もいっぱいで、ジヴェルニーの邑まで歩くのは人の波の中。レストランも屋内と屋外の二つあって、只今は屋外の席を取れたのが幸運でした。ゆっくりと食事をしたあと通りを歩いて邑の中をいろいろ見物し、いよいよモネの庭へ行きますが入口で順番待ち。結構並んでいます。週末じゃないんですがネ、そんなことには無関係。あとで気づいたことで、入場券の累積番号を読むと 「2710億5161万4167」と言う番号が打ってありますから、それだけの人がここを訪れたということでしょう。

まずはモネの家へ。浮世絵のコレクションには驚きです。部屋は人で人で、おきまりの観光客でいっぱい。こんなに自然光が当たる部屋だと浮世絵が劣化するだろうなぁと心配。かねて文書で読んでいた黄色い部屋や青い部屋も実見。モネの美術館ではカイユボットの展示会。どこかで見た「床に鉋を掛ける人々」に再会して感激。

庭へ出る。花がいっぱい。睡蓮の池の周りは人だかり。物見高いのはどこでも同じこと、と実感する。蓮池と柳の姿はモネの作品で見たような姿でたたずんでいる。まぁ池だけについて皮肉を言えば「私らのムラの池と同じやわナ」だけど、これだけのものを一人のアイデアで作り上げていったという事実に圧倒される。日本の橋もきれいです。写真やイラストで見慣れたものよりはずっとキレイです。

案内書を読むとこの庭もさすがにモネの死後、花の庭は雑草に埋まり睡蓮の池は泥沼になって荒れ果てていたのですが復旧する人があって、徐々に元の姿に戻していったそうです。その復元の際に、花の種類や規模、相互の位置関係など、モネが描いた作品や種の購入伝票などを参考にしたそうです。現在はモネ基金が当施設を運営管理している模様です。

 ①  ②  ③  

  ④  ⑤  写真:①木陰のレストラン、②ジヴェルニーのムラの一角、③同、④睡蓮の池、 ⑤同、  

池の写真は案内書に載った専門家の写真の方がずっときれいで見応えがあるので、自分ではほとんど撮りません。

 午後の迎えのバスで鉄道駅まで。このバスがなかなか来ない。イライラする。フランス時間というやつか。とにかく列車には間に合ってサンラザールまで戻る。これから仕事に行くという息子と別れて、ここからバスで帰る。彼はこれから事務所へ出て夜中過ぎまで仕事・・・。それは秘密。 





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11-067ちょっとパリの話題を離れて

2016-07-08 11:14:55 | この道の先に

風の谷通信No.11-067

パリに滞在中に二ホンから中継されるマスコミの話題はマスゾエ一点張りであった。帰国後にもそれは続いていた。ところが、舛添が辞任した途端にまるですべては無に帰したかのようにこの話題は掻き消えてしまった。政治資金問題が辞任によって消えた訳ではないのに。

そして、話題は二つの選挙に移った。参議員選挙と都知事選挙のこと。加えてダッカ事件である。世の中の動きは速い。

 

さて大橋巨泉さんがいよいよコラム記事を終えた。『今週の遺言』最終回;週刊現代2016.07.09。その最終回の文章が多くのブロガーによって引用されている。私も私なりに引用・記録しておきたい=聊か旧聞に属するが。同時に、もうひとつのコラムが次回で終わるとの予告があった。古賀茂明さんの「官々愕々」であるがこの件は後回しにしておく。

「「もう原稿を書く力もなくなった。・・・94年に「内遊外観」」を書き始めてから930回になる。・・・最後の遺言として、安倍晋三の野望は恐ろしいものです。選挙民をナメている安倍晋三に一泡吹かせて下さい。野党に投票して下さい。最後のお願いです。」」

まったく、まったく。アベさんが選挙演説で触れてはいないが恐ろしい陰謀を隠している。多くの選挙民が気づかないのだそうだ。あるブロガーが「判る人は少ない」と断言している。(元澤二郎曰く「無党派層は動かない」)。恐ろしい、実に恐ろしい。このままではこのクニは壊れるぞ。

 

そして、伊集院静さんが巨泉さんの最終稿について書いている。

「文章は才能で書くものではない。文書は腕力で書くものである。つまり体力が文章を書かせるのである。体力の素は気持ち、気力である。気力が続く限り,その人の仕事は文章家であり、文人なのだ。・・・これは大工でも鮨職人でも同じである。・・・」

 

そうだ。そしてアベさんは国民の多くが≪気力をなくする政治≫を目指しているのだ。みんなが(文字通りみんなが)疲れて文句を言う気力も失って、お上の言う通り』唯々諾々と従う日を夢見ているのだ。

それは困る。だから私は高齢者なのに書く気力を保って≪文人≫であろうとしている。売れない文章でも、フォロワーが少なくても、それはそれで構わない。残り少ない、先の戦争の爆撃や機銃掃射を、あるいは耐えがたいような空腹の日々を体験した一人として書くことを止めないのだ。

 

 

 

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11-066パリ旅日記21066

2016-07-07 11:12:01 | 旅日記

風の谷通信No11-066

6月9日(水)ジヴェルニー行き

幸いにも息子夫婦の先導を得て、ジヴェルニーへ連れて行ってもらえることになった。仕事が忙しくて付き合ってもらえない予想であったものが、めぐり合わせが良くなった。ラッキーラッキー、この上なし。

少し歩いて乗り換えなしの地下鉄線でサンラザール駅に至る。どこを通ったか記憶にない。こりゃ独りでは無理だ。まずは≪サンラザール≫という駅名が聞こえない。地下鉄車内で、なんだか≪サラザーㇽ≫と聞えたような気がしたら「降りるんだよ」と促されて駅中へ。どうやって改札を通った全く覚えていない。あとで訊くと「切符はネットで買っておいた」とのこと。乗り場案内は表示板のみ。どの列車に乗り込むのやら全く判らない。

サンラザール駅10時25分発。途中の沿線は、まず鉄道の敷地が広々と、かつ延々と続く。営業路線のすぐそばに延々と引き込み線や操車場が拡がる。その向こうにセーヌが流れ、そのさらに向こうに林や丘が拡がる。手前の岸辺はベッタリと濡れていて、あゝ洪水にやれらたなアと理解できる。進行方向左の丘と対岸のずっと向こうの丘までの間は古代のセーヌ川床だったろうと思わせる景色が続く。あ、ついでながら列車の乗り心地はなかなかよろしい。さすがに高速鉄道の技術をもつ国だと思わせる。

下車駅はヴェルノン駅。駅前に出ると観光業者がいっぱい。観光バスやタクシーが沢山待機中。なんだよ、これは!という感じ。まさかこんなに俗化しているとは想像もしなかった。イヤイヤ、街全体がモネ様サマで成り立っている感じだ。ヴェルノン駅で誘われるままに連結バスに乗り込んでジヴェルニーへ、トコトコ走る。日本の観光地でも見かけるミニ鉄道みたいな連結車だ。(余計なことに往復乗車契約になっている。)

街中に古い教会が建っている。13世紀に建築されたものという。古いなぁー。日本にもそんな古い木造建築があるなあ。別に競争することじゃないけど。

駅前の街を離れると途中は広々とした田舎道。畑や牛の放牧地や林の連続。先ほどまで列車の中から眺めていた景色が道路のすぐ傍に広がる。洪水の跡が生々しい。緑が濃い。プラタナス・ポプラ・アカシア・(多分)マロニエ、等々。明るい緑が特徴。この農村の広さには感嘆の他ない。日本が真似るべし。

たったこれだけ記録するにも推敲に時間がかかって、あーぁもう疲れた。ここで一段落。

     サラザーㇽ駅の寸景




 

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11-065パリ旅日記21065

2016-07-05 20:01:24 | 旅日記

風の谷通信No11-065

6月8日 マルモッタン・モネ美術館

早くに出発。いつもの通り#1号線。ルーズベルト駅で#9号線に乗り換え、ラミュエットで降りる。フランス語は厄介だよ。フランクリン・ルーズベルト駅とは言わないので、案内を聞いていても効果なし。必ず窓枠上の文字表示を読んでいないと「フランクラン・XXXX]というアナウンスを聞き逃してしまう。

この名前を聞き分けるとようやく緊張から解き放されて#9号線に至り、ラミュエットで降りる。案内に従って地上に出るとホラ、またしても広場と放射状道路だ。やれやれ。雲が厚いので方角も判らず、地図との照合ができない。乱視の弱視でじっくりと見まわしていると、どこだったかに標示を見付けた。ありがたいことに≪マルモッタン≫が読める。それに従って歩くとまたしても広場。オヤオヤ。じっくりと構えて道路標識や壁の表示を読んで方角を定めていると、2階の壁に町名表示を見つけ、それに従って広場を越えるとまたしても道路標識が見えた。この広場交差点は表示が「マシ」な方だ。何本もの放射状の道路を迷いつつマルモッタンへと向かう。

 

ようやくにしてマルモッタン邸に到着。ここまでの道路脇の緑が濃いことよ。草の広場も背の高い樹々も軟らかい深緑に溢れている。日本よりも緯度が高いのにやわらかい広葉落葉樹が多くて緑が柔らかい。軟らかくて濃くて、針葉樹のような硬さがない。

まぁそれはいいとして、とにかく憧れのマルモッタン邸に到着。地図の表示ではエッフェル塔よりも郊外に位置していて、なんだか街の果ての遠いところのように感じたのだが、来てみるとなんてことはない。

玄関に着くと数人が並んでいるだけ。拍子抜けがした。やはりここまでやってくる鑑賞者は少ないと見える。入場検査は鞄の中身まで広げること。券を買ってカバンを預けて、音声ガイドを借りる。

展示品はマルモッタン氏の収集品が中心。1階2階と一通り見て回ったあと、まだ肝心のモネの作品が見えない。案内人に尋ねたら、あちらの階段を降りなさいという指示。降りてみると!!!あった!!!モネの作品だけが集中的に展示されている地下室です。

高名な絵「印象・・・日の出」があった。先の京都でのモネ展で見損なったのだ。これが観たくてここまで来た、とでも言いたいものだ。加えて、一面の睡蓮の画。まるでオランジュリーを模したかと思うような睡蓮の画の部屋。

帰途、ルーズベルト駅で降りて昼食。そのあとピカソ館へ行く。なんとなんと。憧れて待ちくたびれてやっとここまで来たのに、改装直後の企画は「彫刻」だと。絵画が殆んどナシ。彫刻は判らん。途中で抜け出して中庭へ降りて行き日陰で昼寝していた。アカシアとねむの木の緑がきれいだった。

 

       

 写真左から: 地下鉄からマルモッタン邸への道 振り返るとエッフェル塔 道路脇の広場の緑

     2枚とも ピカソ館の中庭 バラがきれい

 

 

 

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11-064パリ旅日記210604

2016-07-04 16:07:54 | 旅日記

 

風の谷通信No11-064

6月7日

火曜日とあってドノン館は休み。昨日確認したピカソ館はまだ開館時間には早い。ポンピドーまで歩く。やっぱり休み。小学生みたいな集団に開扉寸前らしいが共育目的の特別プログラムなのか、如何せん。入り口前に佇んでいたポーランドから来たという若者が呼びかけてきた。「火曜日はパリじゅうの美術館が休みだよ。特例はオルセーだけ。」ありがとう。大声で礼を言って地下鉄へ引き返し、モンマルトルへゆく。

いつもとはルートを変えてピカール駅まで乗り越してゴッホの家を目指す。だけど行ってみたら「あゝそうだ、前にも来たよ」ということ。かつてゴッホが弟と共に住んだという小さな表示板が壁に貼りつけてあるだけのこと。付近の街は中流地域。大聖堂前の観光道路とは全く異質な生活道路が続く。しかし、石畳の姿には感心する。小さな敷石をひとつひとつ敷き詰めて造った道路の姿はすばらしい。

                  

  石畳の道 左:ゴッホの家の近く 右:モンマルトルの頂上付近

そのまま歩いて坂をのボルト風車のレストランの横を過ぎてモンマルトル美術館へと至る。雑誌や教科書で見慣れたモンマルトルやムーランルージュの広告の原画がいっぱいに掲示されている。中庭と裏の畑の緑が美しい。

       

        

この画像の処理には困ったもんです。元のファイルで縦横を修正しているのに、この画像フォルダーにアップすると横向きに寝てしまう。何回も修正してみたけど結局は横に寝てしまう。困ったもんだ。困ったもんです。左上から順番に、美術館内部・窓から中庭を見る・中庭のバラのアーチ・窓から中庭を見る、風車のレストラン。なんだか雰囲気が出ないなあ。

 補足:興味深いことを発見!ブログ本文を開いて、これらの画像をクリックすると、拡大画像が正しい上下の姿勢で表示されます。

丘の頂上で昼食。3年前に暗くてつんのめったカフェへ今回も入ってみたが、ずいぶん雰囲気が(悪い方へ)変わっていた。止めた方が良かった。


丘を降りて近代美術館の方へ歩こうとしたが径が判らない。ブランシュ広場を降ってピカール広場へ移る。その途中のたったそれだけの道が判らない。次いでピガール広場から一駅降りてサンジョルジュまで歩こうとしたらこれがまた判らない。

悪い視力を嘆きながら、街角の壁の表示を捜しつつ、またガイドブックの地図を眺めつつ、うろつくこと約1時間。諦めた。苦労して歩いて到着して「火曜日で休みです」と言われたら悔しいよ。惨めだよ。歩いてピカール駅まで戻りランビュトーまで帰る。ここでもまた地上へ出た処で迷いかけたが、これはご愛敬。

どうも、広場を中心に放射状に広がる道路には弱いと見える。縦横十字の都市造りに1000年以上も慣れ親しんできた国民性のなせる業か、ならばそれは逆に国民的特性かも。

 

 


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