湘南徒然草

湘南に生まれ、育ち、この土地を愛し、家庭を持ち、子育てに追われ、重税に耐える一人の男の呟き。

松平元康(家康)との戦闘を回避した信長・・・歴史の考察

2017-02-23 18:54:31 | Weblog
今川軍先鋒の松平元康(徳川家康)の最初の任務は
前線基地である大高城に、兵糧を搬入することでした

大高城は今川方の対尾張前線基地ですから
それに対抗して、織田側には、丸根砦と鷲津砦がありました
大高城に兵糧を搬入するためには
当然ながら、丸根と鷲津の両砦を攻撃しなければなりません
少なくとも、その準備は必要です

大高城に兵糧が運び込まれている情報は
直ちに清須の織田信長のもとに伝えられました
ところが、ここで信じがたいことが起きます
信長は、軍議を開いても、世間話をしただけで
すぐに解散してしまったのです

信長は、ここで松平元康と一戦を交える気が無かったからです
砦の守將・佐久間盛重だけには、それを伝えてありました
「砦を捨てて、信長本体に合流せよ」と
しかし、砦からの脱出が遅れてしまったのです

籠城を見越して
丸根砦を抱囲していた松平元康の軍勢の前に
突然、砦の守備隊が出てきたため
両者不意打ちで、戦闘が始まってしまいました

すでに鬼神となっていた松平元康は
敵を、徹底的に打ちのめします
丸根砦守備隊は、佐久間盛重以下、全滅しました
松平元康(徳川家康)にしてみれば
目の前の敵を一人一人倒したその先に
織田信長が待っているからでした

鷲津砦は、籠城策を取ったようですが
朝比奈泰朝が落としました
この、初戦の勝利を聞いて
今川義元は、大いに満足したのでした
コメント (1)
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