「江戸の敵(かたき)を長崎で討つ」のような話で申し訳ないが築地市場は江戸時代松平定信の隠居後の庭園があった所の跡地である。松平定信の(宇下人言)で(長崎の地ことに乱れて)と(長崎は日本の病の一つのうち)という言葉を知った。長崎を築地と言い換えると今にも使える。
さてペリ-来航時の浦賀奉行戸田伊豆守氏栄の親族が長崎奉行だったと文献にあったが気にはしていなかった。最近の長崎奉行の本では天明年間の長崎奉行だった戸田氏孟(うじたけ)の記述が目立ってきた。長崎では不評の人物であった。まじめに業務を行った人が現地では不評の人だったようだ。