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敬天愛人

2016-07-18 11:32:15 | 日記



  西郷隆盛(1828年~1877年)が好んだ言葉である。「天を敬い、人々を愛する」の意味です。典拠は諸説がありますが、最も有力な説は、1671年、清の康熙帝の御言葉だとされている。それはともかく、西郷は自分や社会、国家、国際社会の上に「天」という広くて大きな存在を置き、信じて、その下の人民や国家、国際社会の絆をイメージングしていた事になる。広大な理念であり、それゆえ、日本も簡単に統一し、明治維新の立役者の一人になる事ができたのであろう。これからは、日本も藩単位の利益ばかり追求していたらダメだと。

  何も過去の事だけではない。これからの日本や世界の人々もそのような理念や価値観を持たない限りはマクロからミクロまでの問題も解決できないのではないかと。例えば、家族殺人が多発したり、人々が絆が持てないなど、今の日本でも絶望的な状況が見られる。絆が持てなければ、どうしても人間は自分本位になり、その結果、バラバラになる。学校では生徒たちが友人になれなかったり、イジメになったり、大人はお金ばかりを大切にしたり、付き合いができないため、結婚できないとか、結婚しても絆が薄くて、離婚になる例も非常に多い。

  人間は自分の事ばかり考えても、自分の一面的な面しか見えないから発想や生き方が狭くなってしまうものである。同様に、社会や国家の事ばかりを考えても、社会や国家の一面的な姿しか見えてこないから、それへの発想や見方も狭くなってしまう。最悪の場合は戦争にもなるわけである。戦争に導いた権力者たちは狭く、偏った発想の人たちばかりであった。ヒットラーは典型例である。自分の事ばかり考えていても、自分の属する社会や国の事だけを考えていてもダメであり、危険でもあろう。

  西洋ではキリスト教に基ずく「神」を通した人々の絆があり、イスラム圏は同様に「アラー」を通した絆が、儒教圏には「天」を通した絆があった。日本でも「仏」を通した絆が。それらは完全には作用はしていなかったが、人々に社会意識を与えていたのは事実である。でも、明治になり、それまでの仏教が次第に衰え、かと言って、風土が違う関係もあり、キリスト教も浸透せず、次第に人々の絆は薄れていった。1900年前後に活躍した夏目漱石などはその事に強い危機感を持ち、文学作品の中で訴えている。特に、学校現場からは天皇を現人神として祭り上げていくようにもなり、それと矛盾する理念を持つキリスト教や浄土真宗などが弾圧さえも受けていった。ただし、天皇を通して人々の絆が生じたのかは非常に疑問である。政策的に人々の絆は生じないわけだし。又は、学校の場からも。都市部を中心に離婚なども戦前から増えていった。好きという感情や共感からは絆も生まれないからだ。相手のイヤな面が次第に見えてくれば、感情も冷めてしまうわけである。勿論、政治にも無関心になる人も増え、政治の力も落ち、軍部がその分だけ力を持ち、次第に日本も戦争の道を歩んだ。戦後は天皇は象徴性になり、学校現場などからは影を潜めたが、自分本位の発想をする人が相変わらず増えて、今度は経済ばかりを追及するようにもなった。絆は相変わらず薄れ、政治への無関心さも戦前と大差はない状態のままである。高齢化が進み、福祉増進は待ったなしの状態なのに...。

  答えやヒントは多様だろうが、ヒントの一つには「敬天愛人」の理念があるように思われる。確かに、宇宙や気象の事がかなり解明された今でも、天を仰ぐと誰でも心広くなる。一緒に、それも多くの人と一緒に天を見ては仰ぐと、更に心広くなるから。晴れでも、雨でも、夜でも良いから、一緒に天に想いを馳せようではないか。

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