岩ヶ城の役目は前回記事の地図にあるように、西方900mの所にある上平城を守ることにあります。(宮坂氏)この周辺は北から舟窪砦、寺山砦、城ヶ峰城、日輪寺城、岩ヶ城、てえら城、えびら城と城塞で囲んでいます。上平城主は東箕輪地域を支配し、これだけの要害を配置して領地を守っていたわけです。
本丸へ
右手の高いところが宮坂武男氏の見方では本丸で、左の低いところを二の丸としています。私は前回記事で西曲輪としましたが、ここが本丸ではないかと思います。明らかに西曲輪の部分は位置が高く、宮坂氏の指摘する本丸、二の丸を睥睨しています。
宮坂氏の縄張り図に準じて説明を続けます。二の丸から本丸城壁を見ています。
本丸西側
本丸東側
本丸から私の言う西曲輪を見ています。私が西曲輪は本丸ではないかと主張する意味がお分かりかと思います。というか本丸は、この頭頂部から東側の看板のあるところまで、本丸と考えるべきかもしれません。現に西曲輪と本丸とでは仕切りがありません。
二の丸から南東尾根が伸びています。
南東曲輪から二の丸側を見ています。
南東尾根堀切
南東尾根第二曲輪、南側を土塁のように土を残しています。南下は諏訪・箕輪線が走っています。
第二曲輪を東から見返しています。この先南東に道は続き大手となっているようです。
『長野県町村誌』では岩ヶ城は知久左衛門、隠栖の地と伝えられています。
次回 上記で挙げた、城ヶ峰城
本丸へ
右手の高いところが宮坂武男氏の見方では本丸で、左の低いところを二の丸としています。私は前回記事で西曲輪としましたが、ここが本丸ではないかと思います。明らかに西曲輪の部分は位置が高く、宮坂氏の指摘する本丸、二の丸を睥睨しています。
宮坂氏の縄張り図に準じて説明を続けます。二の丸から本丸城壁を見ています。
本丸西側
本丸東側
本丸から私の言う西曲輪を見ています。私が西曲輪は本丸ではないかと主張する意味がお分かりかと思います。というか本丸は、この頭頂部から東側の看板のあるところまで、本丸と考えるべきかもしれません。現に西曲輪と本丸とでは仕切りがありません。
二の丸から南東尾根が伸びています。
南東曲輪から二の丸側を見ています。
南東尾根堀切
南東尾根第二曲輪、南側を土塁のように土を残しています。南下は諏訪・箕輪線が走っています。
第二曲輪を東から見返しています。この先南東に道は続き大手となっているようです。
『長野県町村誌』では岩ヶ城は知久左衛門、隠栖の地と伝えられています。
次回 上記で挙げた、城ヶ峰城