山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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竜ケ崎城

2017-06-27 20:10:16 | 山城ー信州
竜ケ崎城は長野県辰野町伊那富にあります。

竜ケ崎城地図
国道153号線の信号小横川入口から西へ町道に入り、すぐに右折すれば池上寺になります。このお堂の左手から御社宮司社跡にまず上ります。ここは曲輪であったのではないかと思われます。

池上寺から城山を見ています。

池上寺、お堂の左手から登ります。

御社宮司社跡から西に登り道があります。とても整備されています。

社跡の説明板

10分の登りで腰曲輪

腰曲輪から5分で虎口が見えてきます。

大手から登って来る敵に対し、櫓が虎口脇にあったと思います。

上から櫓、虎口を見下ろしています。

副曲輪虎口

副曲輪

副曲輪にある説明板、1545年武田信玄が福与城(藤沢頼親)を攻めた時に、小笠原長時が援軍として出陣し、この山城に陣を引いたと伝えられています。

藤沢頼親について
天文年間には甲斐の武田氏による信濃侵攻が本格化し、天文9年(1540年)に家督を継承した武田晴信(信玄)は諏訪郡侵攻を開始する。『高白斎記』に拠れば、天文11年(1542年)には晴信は高遠(長野県伊那市)の高遠頼継らと結び諏訪宗家の諏訪頼重を滅ぼすが、諏訪統治を巡り武田と高遠頼継が対立し、頼継は福与城(長野県上伊那郡箕輪町)の頼親や上伊那の春近衆らを糾合して武田方と敵対する。武田方は頼重の遺児虎王を奉じて諏訪一族を糾合すると同年9月25日の宮川の戦いで高継らを撃破し、26日に武田方の駒井高白斎が上伊那に侵攻し福与城を囲む。28日に頼親は武田方に降伏し、甲府へ出仕したという。ウィキペディアより


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