情報
寺家にある国指定史跡「北条氏邸跡(円成寺跡)」で、発掘調査現地説明会を開催しました。平成10年度~平成21年度の発掘調査で発見した礎石建物や池跡について、「池跡の全形」や「礎石建物と池跡が同時期にあったのか」などの課題の整理のため、今年度発掘調査を行ったものです。
今回の調査では、同史跡では初めて石造物の五輪塔が出土。また、池跡の南側に六方石による区画がされていることも分かり、これらの状況から、礎石建物と池跡もともに15世紀ごろのものであると考えられる、と市の学芸員が説明しました。説明を受けた参加者たちは、発掘現場の様子を見ながら当時の様子を想像したり、質問をしたりしていました。
「北条氏邸跡(円成寺跡)」は、鎌倉時代の北条氏館跡と南北朝~室町時代の円成寺跡からなり、平成8年に国史跡に指定されました。その様子をより明らかにするため、来年度も発掘調査を予定しています。問い合わせ先 文化財課〒410-2292静岡県伊豆の国市長岡346-1 あやめ会館1階
電話番号:055-948-1428
毛利元就の平城遺構か 小倉城から素掘りの巨大堀跡 北九州の文化振興財団調査
2017年12月07日 06時00分
小倉城大手門前広場で見つかった素掘りの堀跡(北九州市芸術文化振興財団提供)
北九州市が小倉城(同市小倉北区)の大手門前広場で行った発掘調査で、江戸時代の絵図にない巨大な素掘りの堀跡が見つかった。1602年に細川忠興が築城する前に戦国大名の毛利元就が築いたとされる平城の遺構の可能性もあり、調査した市芸術文化振興財団は「小倉城の歴史解明につながる発見」としている。
広場は本丸の東側、兵の駐屯場所とされる「大手ノ勢溜(せいだま)り跡」に立地。堀は南北に延びており、全長約30メートル、深さ約3・1メートル、幅は最大10メートル以上。南側が狭くなっているという。天守閣を建設する際に出たとみられる土で埋められていた。
小倉は古くから本州と九州を結ぶ交通の要衝とされ、忠興による築城前の小倉城に関しては、宗像大社の棟札に「永禄12(1569)年、毛利元就が(九州に進攻する際)小倉の港に平城を築いた」との記述がある。同財団は「城の西側でも似た堀跡が見つかっており、忠興の築城以前から、堅固な堀に囲まれた城があった可能性がある。堀から出土した瓦などを調べ、時代の特定を進める」としている。
発掘調査は、市が広場に物販休憩施設を整備するのに伴い、10月から実施。市と同財団は10日午前10時から現地で説明会を開き、終了後は埋め戻す予定。
=2017/12/07付 西日本新聞朝刊=
布袋岡城は栃木県栃木市都賀町深沢にあります。
布袋岡城地図
地図にある健憧寺からアクセスする方法があるようですが、私は北から大柿花山という「植物園」から登りました。こちらからは、容易に本丸に着きますが、管理人から私有地で園の維持費に協力してくださいとのことで300円の協力費を払いました。健憧寺からは無料で入れます。
国道293号線で都賀町大柿地区に入り、大きな看板で「大柿花山」と建てられています。
園内を東側に登ってゆけば本丸との案内が出ています。
通路が園内散策のために作られたのか、城の縄張りなのか判断しながら登る必要があります。
本丸東城壁
本丸東下帯曲輪
本丸
東側景色
南から本丸を見ています。
本丸南側は一段高くなっていて、奥の土塁上に小曲輪があります。
土塁
土塁上から本丸北を見下ろしています。
土塁上にある小曲輪、祠が祭られています。ここから南に詰め丸がありますが次回とします。
寺家にある国指定史跡「北条氏邸跡(円成寺跡)」で、発掘調査現地説明会を開催しました。平成10年度~平成21年度の発掘調査で発見した礎石建物や池跡について、「池跡の全形」や「礎石建物と池跡が同時期にあったのか」などの課題の整理のため、今年度発掘調査を行ったものです。
今回の調査では、同史跡では初めて石造物の五輪塔が出土。また、池跡の南側に六方石による区画がされていることも分かり、これらの状況から、礎石建物と池跡もともに15世紀ごろのものであると考えられる、と市の学芸員が説明しました。説明を受けた参加者たちは、発掘現場の様子を見ながら当時の様子を想像したり、質問をしたりしていました。
「北条氏邸跡(円成寺跡)」は、鎌倉時代の北条氏館跡と南北朝~室町時代の円成寺跡からなり、平成8年に国史跡に指定されました。その様子をより明らかにするため、来年度も発掘調査を予定しています。問い合わせ先 文化財課〒410-2292静岡県伊豆の国市長岡346-1 あやめ会館1階
電話番号:055-948-1428
毛利元就の平城遺構か 小倉城から素掘りの巨大堀跡 北九州の文化振興財団調査
2017年12月07日 06時00分
小倉城大手門前広場で見つかった素掘りの堀跡(北九州市芸術文化振興財団提供)
北九州市が小倉城(同市小倉北区)の大手門前広場で行った発掘調査で、江戸時代の絵図にない巨大な素掘りの堀跡が見つかった。1602年に細川忠興が築城する前に戦国大名の毛利元就が築いたとされる平城の遺構の可能性もあり、調査した市芸術文化振興財団は「小倉城の歴史解明につながる発見」としている。
広場は本丸の東側、兵の駐屯場所とされる「大手ノ勢溜(せいだま)り跡」に立地。堀は南北に延びており、全長約30メートル、深さ約3・1メートル、幅は最大10メートル以上。南側が狭くなっているという。天守閣を建設する際に出たとみられる土で埋められていた。
小倉は古くから本州と九州を結ぶ交通の要衝とされ、忠興による築城前の小倉城に関しては、宗像大社の棟札に「永禄12(1569)年、毛利元就が(九州に進攻する際)小倉の港に平城を築いた」との記述がある。同財団は「城の西側でも似た堀跡が見つかっており、忠興の築城以前から、堅固な堀に囲まれた城があった可能性がある。堀から出土した瓦などを調べ、時代の特定を進める」としている。
発掘調査は、市が広場に物販休憩施設を整備するのに伴い、10月から実施。市と同財団は10日午前10時から現地で説明会を開き、終了後は埋め戻す予定。
=2017/12/07付 西日本新聞朝刊=
布袋岡城は栃木県栃木市都賀町深沢にあります。
布袋岡城地図
地図にある健憧寺からアクセスする方法があるようですが、私は北から大柿花山という「植物園」から登りました。こちらからは、容易に本丸に着きますが、管理人から私有地で園の維持費に協力してくださいとのことで300円の協力費を払いました。健憧寺からは無料で入れます。
国道293号線で都賀町大柿地区に入り、大きな看板で「大柿花山」と建てられています。
園内を東側に登ってゆけば本丸との案内が出ています。
通路が園内散策のために作られたのか、城の縄張りなのか判断しながら登る必要があります。
本丸東城壁
本丸東下帯曲輪
本丸
東側景色
南から本丸を見ています。
本丸南側は一段高くなっていて、奥の土塁上に小曲輪があります。
土塁
土塁上から本丸北を見下ろしています。
土塁上にある小曲輪、祠が祭られています。ここから南に詰め丸がありますが次回とします。