山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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杉山城⑦(最終回)

2019-01-05 21:41:06 | 山城ー武州
書籍案内

越後史跡紀行 歴史と人物 【12/16発売】
山城、平城、館跡―。越後各地に遺された84の史跡をたどる歴史紀行。史跡にたたずみ往時をしのび、興亡盛衰や史跡を彩る人物群像にも思いをはせる歴史の旅。新潟日報好評連載、待望の書籍化。

著者:花ケ前盛明
1937年新潟県上越市生。国学院大学大学院修士課程(日本史学)修了。越後一ノ宮居多神社宮司。新潟県文化財保護連盟副会長、上越市文化財調査審議会委員、上越郷土研究会会長。上杉謙信や直江兼続に関する多数の著書がある。

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松山城 東二の郭・東三の郭

本丸東虎口を下り

東二の郭

東三の郭を見下ろしています。

東二の郭に立って本丸東城壁を見ています。

東二の郭と三の郭との間の空堀

三の郭から振り返って見ています。

東三の郭から二の郭への虎口

以上で杉山城は終ります。次回 上田市 太郎山山系 飯綱城

天文6年(1537年)には河越城が北条氏綱によって攻め落とされ、さらにその余勢を駆った北条勢によって松山城も攻撃を受けたが、城主難波田憲重らの活躍で撃退に成功した(松山城風流合戦)。この結果、松山城は河越城を失った上杉朝定の居城となり、威信をかけた拡張工事が行われた。

上杉朝定
略歴
大永5年(1525年)、上杉朝興の子として生まれる。天文6年(1537年)4月に父が死去したため、家督を継いで当主となる[1]。後北条氏に対抗するため、武蔵府中[2]・深大寺に深大寺城を築いている。ところが若年の朝定が家督相続したのを好機と見た北条氏綱に、7月には河越城を攻められ、朝定は敗走して、以後は松山城を居城とした[3]。
天文10年(1541年)、長年抗争していた宿敵・山内上杉家の上杉憲政と和睦し、北条氏康に対抗する。天文14年(1545年)には駿河国の今川義元と連携して対北条大包囲網を作る。義元が挙兵して氏康が駿河へ出陣した隙に、憲政や古河公方・足利晴氏らと連合した8万の大軍で河越城を攻める。河越城主・北条綱成の善戦に遭うものの、落城寸前にまで追い込んだ。しかし翌天文15年(1546年)4月20日、今川との戦いを収めて河越城の後詰にかけつけた氏康の奇襲に遭い、河越城の戦いで扇谷上杉軍は大敗、当主朝定は討死、他の連合軍は四散し、河越城奪還の夢は砕かれた。享年22。
ただし、朝定を誰が討ち取ったかなど、死亡状況を伝える記録が全く存在しないことから、朝定が病死した可能性も排除できないため、実際の死因は不明であり、連合軍の崩壊の原因を北条軍の奇襲ではなく、朝定の突然の死に求める説もある[4]。
朝定の死により、扇谷上杉家は断絶した。一時、扇谷家庶流筋の上杉憲勝が上杉謙信の後援により再興を図ったが、まもなく後北条氏に屈服している。ウィキペディアより

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