山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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飯縄城③

2017-10-15 20:11:48 | 山城ー信州
新潟県立博物館へ出かけてきました。



天文23年1555(第二次合戦)と弘治3年1557(第三次合戦)についての史料が多く展示されていました。






飯縄城、北尾根を歩き、曲輪4から曲輪5へ


第五堀切

第六堀切



第七堀切・小曲輪①・第八堀切

空堀と腰曲輪

曲輪②

第八堀切と曲輪③

曲輪④

堀切ケ

曲輪4

曲輪5
この先に竪堀サとコがあったようですが見逃してしまいました。(前回記事 縄張り図参照

小笠原長棟と大日方氏の関係

小笠原長利(大日方長政)が祖とされる。下記はその一説である。
分裂していた小笠原氏を統一した小笠原長棟には子がなく、後継者とするため弟の長利(井川城主の小笠原貞朝の四男であったとされる。)を養子とした。ところがその後、長棟に男子(小笠原長時)が誕生し、長利と長時は不和となった。このため長利は小笠原家を出て、安曇郡広津村大日方(現在の長野県生坂村[注釈 1])に館を構えて大日方氏を称したのが始まりとされる。
大日方長利は香坂忠宗(香坂安房守)を後見人とし、当時小笠原氏とは信濃を二分して対抗する勢力であった村上氏に臣従した。
時期については諸説あって定まらないが、村上氏に従属していた小川氏が背いたため、当主の村上顕国は香坂忠宗(香坂安房守)に命じてこれを討たせた。大日方長利はこれに従軍して小川氏の本拠である布留山城(古山城)(長野県小川村)攻略で功を上げた。これによって大日方氏は小河荘(小川庄)を与えられ、大日方長利は大日方長政と名を改め小川・古山城を本城とした。ウィキペディアより







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