二の丸へ
この尾根を登れば二の丸です。
二の丸、西先端を登ると
本丸(南は旧両神村県道279号線楢尾沢峠から小鹿野町へ・北は小鹿野町の国道299号線で志賀坂峠へ、群馬県の中里村に通じています。)
この本丸から両方の街道を監視していたのではないかと思います。
北側の国道299号線
本丸から北尾根へ下り、本丸北城壁を見返したところ。
北尾根の堀切
北尾根二重堀切
この先の北尾根はとても大変な急斜面となります。実は登ってきたのはこちら側で、
東電開閉所の正門から右回りに歩くと、この登り口があります。これは鉄塔104の道で、鉄塔までは緩やかな尾根ですが、
7合目くらいから急斜面となり、滑落すれば大変です。記事の①で紹介した鉄塔102の登り道を利用してください。
この要害山城には三山五郎兵衛あるいは斎藤新左衛門という土豪が居住していたようです。
永禄12年、北条氏邦候の方にては諏訪部遠江守、出浦式部、久長但馬守、井上三河守、三山五郎兵衛、嶋村近江守、日野二郎三郎、蒔田彦五郎、猪俣能登守、三千人出浦式部抜馳にて甲州勢敗北したという。この合戦の地を軍平と称し、信玄が落ち行きところを法師落と呼ばれているそうです。
(城跡ほっつき歩き サイトより)
この尾根を登れば二の丸です。
二の丸、西先端を登ると
本丸(南は旧両神村県道279号線楢尾沢峠から小鹿野町へ・北は小鹿野町の国道299号線で志賀坂峠へ、群馬県の中里村に通じています。)
この本丸から両方の街道を監視していたのではないかと思います。
北側の国道299号線
本丸から北尾根へ下り、本丸北城壁を見返したところ。
北尾根の堀切
北尾根二重堀切
この先の北尾根はとても大変な急斜面となります。実は登ってきたのはこちら側で、
東電開閉所の正門から右回りに歩くと、この登り口があります。これは鉄塔104の道で、鉄塔までは緩やかな尾根ですが、
7合目くらいから急斜面となり、滑落すれば大変です。記事の①で紹介した鉄塔102の登り道を利用してください。
この要害山城には三山五郎兵衛あるいは斎藤新左衛門という土豪が居住していたようです。
永禄12年、北条氏邦候の方にては諏訪部遠江守、出浦式部、久長但馬守、井上三河守、三山五郎兵衛、嶋村近江守、日野二郎三郎、蒔田彦五郎、猪俣能登守、三千人出浦式部抜馳にて甲州勢敗北したという。この合戦の地を軍平と称し、信玄が落ち行きところを法師落と呼ばれているそうです。
(城跡ほっつき歩き サイトより)