山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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杉山城②

2017-12-21 21:07:31 | 山城ー野州
本丸周囲を歩きます。


南側空堀、階段を登り本丸

東側の空堀を形成する土塁

南側土塁と南曲輪への通路

南曲輪

南第二曲輪

南第二曲輪と谷を間に西尾根を見ています。

南西曲輪、南側は整備されています。

城山の南に鳥居が見えています。ここから登れば道があり容易です。

次回 市貝町 大谷津城

杉山城は千本氏の支城とされています。
那須氏の出自は、藤原道長の曽孫資家(貞信)が奥州白河郡八溝山の賊を討った功で、下野国那須郡を賜わり同地に住したことから起こるとも、古代那須国造の末裔ともいう。また、相模山内首藤氏の一族とする説もある。いずれにしても平安末期から江戸時代初期まで、下野国那須郡内に勢力を保った。
 はじめ須藤を称し、平安時代末期の資隆に至って那須を称したという。資隆の子が与一宗隆で、宗隆は源平合戦に際して源義経に従って出陣し、屋島における扇の的の功名により歴史に名を残した。建久四年(1193)孫にあたる光資のとき、源頼朝の那須野巻狩が行われ、その準備と経営の功績によって御家人の地位を得た。
 戦国時代、那須氏の下には一族の芦野・福原・千本・伊王野氏や重臣の大関・大田原氏がいて、那須本家を加えて「那須七騎」と称された。そして那須七騎は、それぞれ独立性が強かったことでも知られている。

●那須七騎
那須氏
芦野氏
福原氏
千本氏
井王野氏
大関氏
大田原氏

 那須氏はのちに勢力争いを演じる宇都宮氏や佐竹氏のように室町幕府から守護に任ぜられることはなく、守護代あるいは目代といった地位を確保していたようである。そして、鎌倉公方などの勢力の一翼をにないがら、鎌倉時代以来の名門武家としての意地を貫いて勢力を拡大した。 武家家伝より

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