黒田城は上越高田ICの西1.8kmくらいにある城山と地図に記載されている山城です。
黒田城地図
上越高田ICから平行に走る地方道85線で南に向かい、バス停十字路で右折し浄水場への道を進みます。その先に高田発電所があり、その西山が城山です。
バス停十字路から市道を進むとこの看板があります。
脇に説明板、黒田城は黒田秀忠の先祖が築いた城であり、また黒田秀忠は長尾氏に滅ぼされたとあります。
黒田秀忠について
黒田 秀忠(くろだ ひでただ)は、戦国時代の越後国の武将。黒滝城主。
越後守護代長尾為景の信任を受けて、守護上杉定実の家臣である黒田長門守の養子となり、黒田家を継承した。
為景の後を継いだ長尾晴景が病弱で統率力が無かったため、独立しようと画策して天文14年(1545年)、晴景の弟長尾景康・長尾景房らを殺害して10月に謀反を起こすが、晴景のもう一人の弟・長尾景虎(上杉謙信)の命令を受けた村山与七郎に居城黒滝城を攻められて降伏した。
翌年の天文15年(1546年)2月、再び謀反を起こすが、長尾景虎(上杉謙信)に攻められて敗れ、一族ともども自刃させられた。この戦功で長尾景虎(上杉謙信)の武名が一躍高まった。ウィキペディアより
高田発電所、この先に進み
山から降ろす水路の脇に登り道があります。
牧場のサイロのような建物から尾根に取り付きます。
東曲輪の城壁(仮に)
本丸城壁(上越市は文化財に予算をつけないのでしょうか。十数年前に訪れたときは曲輪は整備されていました。)
本丸、現状は残念ながら、この通りです。
東に見える景色、先は新井市で国道292号線は飯山街道で信濃へ通じています。ですから黒田城は信濃の飯山城からくる情報を春日城へ繋いでいたと推測できます。
縄張り図は佐藤春雄氏
黒田城地図
上越高田ICから平行に走る地方道85線で南に向かい、バス停十字路で右折し浄水場への道を進みます。その先に高田発電所があり、その西山が城山です。
バス停十字路から市道を進むとこの看板があります。
脇に説明板、黒田城は黒田秀忠の先祖が築いた城であり、また黒田秀忠は長尾氏に滅ぼされたとあります。
黒田秀忠について
黒田 秀忠(くろだ ひでただ)は、戦国時代の越後国の武将。黒滝城主。
越後守護代長尾為景の信任を受けて、守護上杉定実の家臣である黒田長門守の養子となり、黒田家を継承した。
為景の後を継いだ長尾晴景が病弱で統率力が無かったため、独立しようと画策して天文14年(1545年)、晴景の弟長尾景康・長尾景房らを殺害して10月に謀反を起こすが、晴景のもう一人の弟・長尾景虎(上杉謙信)の命令を受けた村山与七郎に居城黒滝城を攻められて降伏した。
翌年の天文15年(1546年)2月、再び謀反を起こすが、長尾景虎(上杉謙信)に攻められて敗れ、一族ともども自刃させられた。この戦功で長尾景虎(上杉謙信)の武名が一躍高まった。ウィキペディアより
高田発電所、この先に進み
山から降ろす水路の脇に登り道があります。
牧場のサイロのような建物から尾根に取り付きます。
東曲輪の城壁(仮に)
本丸城壁(上越市は文化財に予算をつけないのでしょうか。十数年前に訪れたときは曲輪は整備されていました。)
本丸、現状は残念ながら、この通りです。
東に見える景色、先は新井市で国道292号線は飯山街道で信濃へ通じています。ですから黒田城は信濃の飯山城からくる情報を春日城へ繋いでいたと推測できます。
縄張り図は佐藤春雄氏