出城(寺沢の砦)から烏帽子形城へ
出丸(寺山の砦 宮坂氏の著書に載っていました。)「信濃の山城と館3」の本曲輪を南側から見ています。
第一堀切と南支尾根
第二堀切と小曲輪
第三堀切と南曲輪(仮に)
その下に腰曲輪
南支尾根先端部、第二南曲輪
本曲輪に戻って
本曲輪北側下堀切
北尾根を登り烏帽子形城へ、岩尾根
岩尾根の上に北尾根第一曲輪
亀のようね大岩
北尾根第一堀切
北尾根第二堀切
北尾根は大岩を利用し
その上に第二曲輪
北尾根虎口
烏帽子形城、二の丸城壁が見えてきました。
本日はここまで
第一次上田合戦の時に
本村の冠者ヶ嶽(子檀嶺岳)で小県郡の塩田あたりのもので杉原四郎兵衛と名乗るものを大将として、家康の味方となり冠者ヶ嶽・烏帽子形城の古城を修復して立て籠もった。真田昌幸は杉原勢を討伐するために、嫡子源三郎信幸に命じて冠者ヶ嶽に向かわせた。家臣馬屋の別当であった水出大蔵と申す者の進言で、「冠者ヶ嶽城は前方は険しいが後方は傾斜が緩いため、後方から鉄砲を撃ちたてれば、城は持ちこたえることは難しいと思います。」信幸はこの進言を入れ、後方から鉄砲によって攻撃を仕掛けたところ、杉原勢は戦うことなく城を捨て逃れたという。 青木村パンフより
出丸(寺山の砦 宮坂氏の著書に載っていました。)「信濃の山城と館3」の本曲輪を南側から見ています。
第一堀切と南支尾根
第二堀切と小曲輪
第三堀切と南曲輪(仮に)
その下に腰曲輪
南支尾根先端部、第二南曲輪
本曲輪に戻って
本曲輪北側下堀切
北尾根を登り烏帽子形城へ、岩尾根
岩尾根の上に北尾根第一曲輪
亀のようね大岩
北尾根第一堀切
北尾根第二堀切
北尾根は大岩を利用し
その上に第二曲輪
北尾根虎口
烏帽子形城、二の丸城壁が見えてきました。
本日はここまで
第一次上田合戦の時に
本村の冠者ヶ嶽(子檀嶺岳)で小県郡の塩田あたりのもので杉原四郎兵衛と名乗るものを大将として、家康の味方となり冠者ヶ嶽・烏帽子形城の古城を修復して立て籠もった。真田昌幸は杉原勢を討伐するために、嫡子源三郎信幸に命じて冠者ヶ嶽に向かわせた。家臣馬屋の別当であった水出大蔵と申す者の進言で、「冠者ヶ嶽城は前方は険しいが後方は傾斜が緩いため、後方から鉄砲を撃ちたてれば、城は持ちこたえることは難しいと思います。」信幸はこの進言を入れ、後方から鉄砲によって攻撃を仕掛けたところ、杉原勢は戦うことなく城を捨て逃れたという。 青木村パンフより