山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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千本城

2017-10-18 21:41:13 | 山城ー野州
千本城は栃木県茂木町町田にあります。

千本城地図

国道294号線で茂木町千本地域に入り、国道から地図にある南に分かれる町道を進むと、峠を下って来て民家があるカーブの所に千本城祉のかんばんがあります。(目立ちにくい看板です。)


案内板は道路の東にありますが植木に隠れぎみで見つけにくいところにあります。

峠を下って来てカーブのところの西側に細い道が登城口です。狭い道ですが車で行けます。

大手門(車はこの手前の空き地に止めたほうが良いです。)

説明版

大手門を過ぎると、大きな曲輪、根小屋でしょうか。

根小屋の中央に土塁で仕切ってあります。蔀土塁

蔀土塁の北にも大きな第二曲輪

第二曲輪の西に虎口

二の丸

二の丸西奥
写真のようにこの周辺はよく整備されています。次回本丸へ

千本氏の祖
千本 為隆(せんぼん ためたか)は、平安時代末期から鎌倉時代前期にかけての武将。那須七騎の一角・千本氏の祖。
下野国那須氏初代当主・那須資隆の十男として誕生。
治承4年(1180年)からの治承・寿永の乱では、9人の兄達が皆平氏方に与するなか、弟・与一と共に源氏方に加わった。しかし、後に源頼朝の弟・義経の命に背き罪を得たため[1]、一時期信濃国に逃れ戸福寺氏を称していたが、罪を許されると下野千本の地を賜り、千本氏を称する様になった[1]。建久年間(1190年~1198年)に千本城を築城した。
『源平盛衰記』においては、与一を凌ぐほどの弓の名手であり、元暦2年/寿永4年(1185年)の屋島の戦いにおいて、扇を射ることを義経から命令されたが、戦傷のため固辞し弟を推挙している。ウィキペディアより




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