山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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出浦城

2017-05-13 09:49:47 | 山城ー信州
出浦城は長野県坂城町上平にある岩井堂山山頂にあります。793mと少々ハードです。

出浦城地図
地方道77号線で竹内製作所の南側町道(セブンイレブン北50mほどの道)を西に進みます。

地方道77号線沿いのセブンイレブンから見た岩井堂山、この先に竹内製作所があります。

岩井堂山の南側、町道を700mくらいで、この民家の右手から農道を進みます。害獣柵を開けて山道があります。途中で道がなくなり尾根を直登します。

南側から見た岩井堂山は西尾根が低く、こちらの尾根を目指します。ただし、右手の岩井堂山山頂へは北側ほど斜面がきつくなりますが本丸周囲に切られた竪堀は圧巻で、私が最初にトライしたときは八本、山の周囲に掘られていました。(下山の時に、麓に居合わせた森林組合の方は、石を切り出すための堀です。と答えており、全てが竪堀ではなさそうです。)

俯瞰図は「信濃の山城と館 2」

なだらかな西尾根から山頂目指しますと瘤が現れ、土橋を形成して迂回させながら大手を進ませるようにしています。

瘤の北下にある曲輪?

瘤を見下ろしています。

西尾根を進み、竪堀が北側へ切ってあります。

上から竪堀の入り口を見ています。

西尾根第二堀切

上から見下ろすと、土塁を形成し空堀になっています。

また登って、二つ目の竪堀口

この虎口をくぐれば、主郭部となりますが次回とします。補足として更埴警察の看板や木々にビラが貼ってあって、関係者立ち入り禁止とあり、秋以降の入山はやめておいた方が無難です。

出浦盛清について
天文15年(1546年) - 元和9年8月18日(1623年9月12日)[1])は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将。真田氏の家臣。主水佐、上総守(介)、対馬守。信濃国埴科郡出浦(現坂城町)の生まれ。実名は昌相(まさすけ)。幸久(ゆきひさ)・頼幸(よりゆき)とも伝わるが誤伝である[2]。清和源氏信濃村上氏の一族である出浦清種の次男とされ、更級郡の上平城主(出浦城主)や、上州岩櫃城代などを務めた。江戸時代後期に松代藩の家老を務めた河原綱徳が記した『本藩名士小伝』の記載に甲州透破(忍者)の棟梁とあり、忍者として知られるが、後述の忍城攻めにおける活躍を「忍」と誤伝された可能性が指摘されている[3]。子に幸久(幸吉とも)。ウィキペディアより

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