證城は長野県上田市上山田町の荒砥城の同一尾根にあります。
證城地図
国道18号線、信号温泉入り口から県道498号線で万葉橋を渡り、城山公園を目指します。そこが荒砥城です。
つづら道を登ると櫓が見えてきます。
復元櫓から東を見ています。右手の三角山が出浦城、中央の奥、尾根の先端部に和合城・左の山が葛尾城、ここは村上義清の根拠地でした。
南物見台から尾根を見ると手前の桧?からすぐの尾根の峰が證城です。
二の丸南門
二の丸南門の桝方、狭く、入ってきた敵は殲滅されそう。
二の丸、内小屋
二の丸の小屋の中にある絵図、城館と山城の関係がよくわかります。
武田氏が滅亡して、上杉景勝によって荒砥城は勤番制によって詰められたとのこと。長野市の武士がほとんどです。
系図
荒砥城の変遷、以上を学習して
本丸東門
本丸南門の桝方
本丸
中央の峰が證城、左手の高い峰が冠着山(通称姨捨山)
次回 證城へ
證城地図
国道18号線、信号温泉入り口から県道498号線で万葉橋を渡り、城山公園を目指します。そこが荒砥城です。
つづら道を登ると櫓が見えてきます。
復元櫓から東を見ています。右手の三角山が出浦城、中央の奥、尾根の先端部に和合城・左の山が葛尾城、ここは村上義清の根拠地でした。
南物見台から尾根を見ると手前の桧?からすぐの尾根の峰が證城です。
二の丸南門
二の丸南門の桝方、狭く、入ってきた敵は殲滅されそう。
二の丸、内小屋
二の丸の小屋の中にある絵図、城館と山城の関係がよくわかります。
武田氏が滅亡して、上杉景勝によって荒砥城は勤番制によって詰められたとのこと。長野市の武士がほとんどです。
系図
荒砥城の変遷、以上を学習して
本丸東門
本丸南門の桝方
本丸
中央の峰が證城、左手の高い峰が冠着山(通称姨捨山)
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