山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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鷹巣根城(刈谷原城)③

2017-08-29 10:58:54 | 山城ー信州
前回記事の通り、武田信玄は第一次川中島の合戦で、刈谷原城と青柳城を拠点として兵を進めていたことが分かっています。

本丸から北西尾根へ

本丸に戻って

北西第一腰曲輪

第二腰曲輪

第二腰曲輪を見上げています。ここが北西尾根と南西尾根との分岐点になります。

土橋(自然地形ではなく尾根を両側から削り取って作っています。)

小曲輪、面白い施設、北西尾根の要塞でしょうか。

土橋の両側斜面には段曲輪が数段築かれています。

縄張り図は「信濃の山城と館4」本丸から左手に伸びている北西尾根

下ってきた北西尾根を見上げています。

分岐点に戻ってきました。次回 南西尾根へ

東筑摩郡への武田氏侵攻②
25日、麻績、青柳、大岡の占領地の分割を決め、5月1日晴信は深志城へ引き上げたのである。麻績は服部氏、青柳は青柳氏、大岡は香坂氏の地盤であり、青柳、香坂氏はすでに武田氏に従い、安定していたが、おそらく服部氏は武田氏に降伏することを潔しとせず、4月9日葛尾城を捨て、塩田城に立て籠もっていた村上義清を頼って、落延びたのであろう。ついで8月5日には、塩田城も落城したので、村上氏とともに上杉氏を頼って越後に奔った。名族麻績服部氏は滅び、晴信は麻績地方を青柳氏に与え麻績氏を称させたのである。麻績村史より



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