山城めぐり(兄弟ブログ biglob)

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塩崎城

2017-06-08 20:58:08 | 山城ー信州
塩崎城は第五回川中島合戦で武田信玄が本陣とした山城です。

塩崎城地図

長野市篠ノ井塩崎を南北に走る地方道77号線で、長谷観音前の信号を西に向かい長谷寺を目指します。

長谷寺

境内に案内板があります。

長谷観音の右手に登り口

登り口

説明版

縄張り図(宮坂氏)

山登り20分で鉄塔のある場所になります。後方から見ると曲輪に見えます。

土橋

尾根を登ってゆき、大岩が道を阻んでいますが、この岩の前から左手に登ってゆきます。

東側先端部に城壁があり

東尾根第一曲輪

第二腰曲輪

第三腰曲輪

東尾根虎口。ここから戻って第一曲輪から西へ階段状曲輪に向かいます。

小笠原長秀が関与した大塔合戦
発端
小笠原長秀は将軍足利義満から信濃国守護に任命された。就任直後の10月には反発した長沼の島津国忠が守護方の赤沢秀国、櫛置清忠らと石和田(長野市朝陽)付近で抗争した。
応永7年(1400年)7月3日、京都を出立した長秀は同族の大井光矩(佐久)のもとを経由し、北信濃の有力者である村上満信には特に使者を送って協力を求め、東北信の国人領主に対しても守護としての政務開始を通告。その中心地である善光寺に一族郎党200騎余を従える煌びやかな行列を組んで入る。そして信濃の国人領主達を召集して対面する。この時の対面は、相当に高圧的なものだったと伝えられている。
守護就任に反感を強めていた犀川沿岸の栗田氏(長野市栗田)や小田切氏(長野市小田切)、落合氏(長野市安茂里)、香坂氏(長野市信州新町)、春日氏(長野市七二会)、三村氏(塩尻市洗馬)、西牧氏(松本市梓川)ら国人は「大文字一揆」を形成し、窪寺氏(長野市安茂里)のもとに集まり談合したが推移を見守ることとした。なお、『大塔物語』によれば大文字一揆には禰津遠光の指揮下に「実田(さねだ)」氏が加わっており、後の真田氏の一族とする説がある。
長秀は、ちょうど収穫の時期となっていた近隣の川中島で、「幕府から知行された守護の所領である」として年貢の徴収を開始する。しかし当時は村上氏が押領していた地であり、守護の一存で所領が左右されることは多かれ少なかれ押領地を有する他の国人領主にとっては認めがたく、多くの国人領主たちを反小笠原に決定付けることとなった。ウィキペディアより

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