2018年元日の朝日新聞朝刊は矢沢永吉さんの記事が1面を飾っていました。題して「一瞬のハッピーがあれば、人はまた走れる」矢沢さんはサクセスとハッピーは違うとして、次のように語っています。「20代で長者番付に出たけど、心がちっとも温かくない。『神様、成功したら寂しさ、悲しさは消えるんじゃなかったの』と聞いたら、神様が指さした。見るとサクセスとは違う、もう一つのハッピーというレールがあった。成功と温かくなることは別だったんだ」この言葉を自分なりに解釈してみました。長者番付に出たり、武道館を満員にしたりすることをサクセス呼ぶ時、サクセスは数量的に表せます。いくら稼いだ、コンサートに何万人動員したといった具合に。しかし、数量的な評価が続いてくると、いつの間にか稼いだ額、動員した人数が独り歩きしだし、数字の裏に含まれている意味がスリップしてしまい、やがて矢沢永吉個人とは別の意味を持つようになってしまうのではないでしょうか。矢沢永吉の個性とは離れたところで数字が意味を持つようになると、他者との区別は数字の差でしかなくなります。その時、当の本人は自分のかけがえのなさについて虚ろな思いを抱くことになるのかもしれません。矢沢さんの「サクセスとは違うところにハッピーのレールがあった」という言葉には、おそらくそのような思いがあったのではないかと思います。
今、矢沢さんは「ひとりワイン」にハッピーを感じているそうです。「ツアー全26公演、完走。肩も腰も手首も痛めてる。いまはもう体力を気遣って、飲みに出ない。こないだも山口県の周南の小さなホテルで、お湯で割って飲むワイン。せいぜい2杯、3杯くらいかな」そのひとりワインのさ中、「その日のことも何日か前も、インターネットでズラーッと分かる。熱い感想がバンバン来る。ファンから、初めて聴いたという若い世代から」、自身に対するネット上の投稿に目を通していると記事は書いています。「部屋でひとり。ゆっくりと、酔いながら」ひとりワインの時間を大切にしていると。
新年早々、まだお屠蘇を飲む前から、いい記事を読んだなぁと、何か心にしみるものがありました。
今、矢沢さんは「ひとりワイン」にハッピーを感じているそうです。「ツアー全26公演、完走。肩も腰も手首も痛めてる。いまはもう体力を気遣って、飲みに出ない。こないだも山口県の周南の小さなホテルで、お湯で割って飲むワイン。せいぜい2杯、3杯くらいかな」そのひとりワインのさ中、「その日のことも何日か前も、インターネットでズラーッと分かる。熱い感想がバンバン来る。ファンから、初めて聴いたという若い世代から」、自身に対するネット上の投稿に目を通していると記事は書いています。「部屋でひとり。ゆっくりと、酔いながら」ひとりワインの時間を大切にしていると。
新年早々、まだお屠蘇を飲む前から、いい記事を読んだなぁと、何か心にしみるものがありました。