開拓の精神を失ふ時
人類は腐り
開拓の精神を持つ時
人類は生きる
精神の熱さに活を与えるもの
開拓の外にない
~高村光太郎“開拓に寄す”より~
***
高村光太郎は、戦中~戦後、
独り、岩手の山小屋に疎開していた。
智恵子は既に失っていた。
わずかな土地を開墾し、やっとの思いで自給自足する厳しい生活。
けれど、彼の精神は充足していたと思う。
すべてを構成するものの中に智恵子を見い出しながら、
自らを厳しい生の絶壁の縁に置いて、
最後の精神的飛翔を遂げた。
敗戦という、偽りで塗り固めた権威主義の崩壊。
生きるために土にまみれればいい、素朴でありのままの現実の快哉。
その中で、欧州かぶれの詩との決別を指向し、
うちなる東洋と西洋の止揚を目指した。
***
わたしが古代に惹かれるのは、そこに主体的な開拓精神があるからだと思う。
日本全体が、北海道の国立自然公園みたいな原野だったとき、
そこに人が生きる場所を作り出した人々がいる、と思うと、
クラクラするような、勇気がわくような、不思議な気持ちになる。
日本では…イヤ、アジア全体でも、
開拓は、自分では動かない権力者が、力のない人々をこき使って行ったもの、
つまり強制的なもの、というイメージが強い。
でも古代には、権力者が身をおく都会すらなかったろう。
自らも原野に身を置き、苦労を共有するよりない。
人口は少なくて、人はすべて貴重な人材だったと思う。
上の世代が開いた土地が、手狭になる。
若い世代は、新しい土地を求めて旅立つ。
仲間を募って。
生きるための厳しさの中に、馴れ合いの余地はない。
古代首長の条件は、実力の他にまた、霊力だったという。
天災や凶作があると、首長の資格が問われた。
彼をトップにすることで物事がうまく運ぶ、という事が必要だった。
天皇でさえ血統主義ではなく、
一族の中で、一番うまくやれそうな人間が選ばれた。
でも、馴れ合いを排除する実力主義の厳しさは、
常に、新しい土地、という希望を伴うものだったと思う。
実力のない人間は、トップには立てない。
けれど、上を助けることで、新しい土地に生きる希望が生まれる。
***
国津神は、現在“土着の神”として扱われる事が多く、
神道の神をすべて自然神とする立場からは、鬼子とされることさえあります。
けれどわたしは、
国津神は、基本的に土地の開拓者であり、
地域コミュニティの精神的支柱だと思っています。
開拓者が乱立し、それぞれに勝手な行動をとれば、
社会全体はうまく機能しなくなってしまうから。
そうした社会全体をまとめる為に天津神はあるのだし、
それ故に、国津神より上位の扱いになるのだと。
すべての開拓されたコミュニティをまとめて、
うまく物事を運ばせる実力・霊力あっての天津神であって、
中央の権威付けの為の存在ではない、と思う。
天津神と、個々の国津神を比べたら、天津神が上位になるのは当然だけど。
すべての国津神が手を組んだら、わからない。
或いは、すべての国津神に手を組ませ、社会全体をうまく運ばせる存在があれば、
そちらこそが本当の天津神の守護を得ているのだ、と思う。
どちらにせよ、天津神至上主義、天津神権威論による神道は、
開拓精神をしぼませる。
開拓時代のアメリカでは、個人個人が国津神で、天津神たるキリストによって社会化されていたのだろう。
***
高村光太郎の言葉の中に、太古の国津神たちの声を聞く。
善光寺の仁王門から。
(高村光雲と弟子の作)
地附山古墳の山から。
高校の坂の下にあった神社から。
森や川柳の将軍塚の林の中から。
“開拓せよ、開拓せよ。その精神を失うな”と。
開拓なんて到底できないわたしだけれど、
生きるための勇気をもらう。
人類は腐り
開拓の精神を持つ時
人類は生きる
精神の熱さに活を与えるもの
開拓の外にない
~高村光太郎“開拓に寄す”より~
***
高村光太郎は、戦中~戦後、
独り、岩手の山小屋に疎開していた。
智恵子は既に失っていた。
わずかな土地を開墾し、やっとの思いで自給自足する厳しい生活。
けれど、彼の精神は充足していたと思う。
すべてを構成するものの中に智恵子を見い出しながら、
自らを厳しい生の絶壁の縁に置いて、
最後の精神的飛翔を遂げた。
敗戦という、偽りで塗り固めた権威主義の崩壊。
生きるために土にまみれればいい、素朴でありのままの現実の快哉。
その中で、欧州かぶれの詩との決別を指向し、
うちなる東洋と西洋の止揚を目指した。
***
わたしが古代に惹かれるのは、そこに主体的な開拓精神があるからだと思う。
日本全体が、北海道の国立自然公園みたいな原野だったとき、
そこに人が生きる場所を作り出した人々がいる、と思うと、
クラクラするような、勇気がわくような、不思議な気持ちになる。
日本では…イヤ、アジア全体でも、
開拓は、自分では動かない権力者が、力のない人々をこき使って行ったもの、
つまり強制的なもの、というイメージが強い。
でも古代には、権力者が身をおく都会すらなかったろう。
自らも原野に身を置き、苦労を共有するよりない。
人口は少なくて、人はすべて貴重な人材だったと思う。
上の世代が開いた土地が、手狭になる。
若い世代は、新しい土地を求めて旅立つ。
仲間を募って。
生きるための厳しさの中に、馴れ合いの余地はない。
古代首長の条件は、実力の他にまた、霊力だったという。
天災や凶作があると、首長の資格が問われた。
彼をトップにすることで物事がうまく運ぶ、という事が必要だった。
天皇でさえ血統主義ではなく、
一族の中で、一番うまくやれそうな人間が選ばれた。
でも、馴れ合いを排除する実力主義の厳しさは、
常に、新しい土地、という希望を伴うものだったと思う。
実力のない人間は、トップには立てない。
けれど、上を助けることで、新しい土地に生きる希望が生まれる。
***
国津神は、現在“土着の神”として扱われる事が多く、
神道の神をすべて自然神とする立場からは、鬼子とされることさえあります。
けれどわたしは、
国津神は、基本的に土地の開拓者であり、
地域コミュニティの精神的支柱だと思っています。
開拓者が乱立し、それぞれに勝手な行動をとれば、
社会全体はうまく機能しなくなってしまうから。
そうした社会全体をまとめる為に天津神はあるのだし、
それ故に、国津神より上位の扱いになるのだと。
すべての開拓されたコミュニティをまとめて、
うまく物事を運ばせる実力・霊力あっての天津神であって、
中央の権威付けの為の存在ではない、と思う。
天津神と、個々の国津神を比べたら、天津神が上位になるのは当然だけど。
すべての国津神が手を組んだら、わからない。
或いは、すべての国津神に手を組ませ、社会全体をうまく運ばせる存在があれば、
そちらこそが本当の天津神の守護を得ているのだ、と思う。
どちらにせよ、天津神至上主義、天津神権威論による神道は、
開拓精神をしぼませる。
開拓時代のアメリカでは、個人個人が国津神で、天津神たるキリストによって社会化されていたのだろう。
***
高村光太郎の言葉の中に、太古の国津神たちの声を聞く。
善光寺の仁王門から。
(高村光雲と弟子の作)
地附山古墳の山から。
高校の坂の下にあった神社から。
森や川柳の将軍塚の林の中から。
“開拓せよ、開拓せよ。その精神を失うな”と。
開拓なんて到底できないわたしだけれど、
生きるための勇気をもらう。