遺伝子は指令する。
自らの保持を。自らの増殖を。
遺伝子は、肉体的な自己意識の基礎だけれど、
生命体としての個人を守ってくれる訳じゃない。
遺伝子それ自身を守るだけだ。
遺伝子は死なずに、肉体を乗り捨てながら世代を下っていく。
進化のために、肉体を操作しながら。
乗り物としての生物は、
指令に従っているだけである。
自分の幸せの為に生きているつもりの人も、
実は、遺伝子に動かされているだけかもしれない。
***
遺伝子の目的は、自らの乗り物をサバイバルに勝利させ、
少しでも進化の為に有利な生殖をする事だ。
その為に、遺伝子には、遺伝子のルールがある。
※アウトサイダーには辛くあたれ
※インサイダーには親切にしろ
※可能なときにはいつでもズルをせよ
ライアル・ワトソンの『ダーク・ネイチャー』によれば、
この3つである。
インサイダーとは、遺伝子を共有する血縁と、
遺伝子のサバイバルを有利にしてくれる人間である。
アウトサイダーとは、それ以外の人々であり、
サバイバルに不利益をもたらす人。
また、敵対者である。
サバイバルを有利にする為に、ズルは有用だ。
バレない程度の裏切り、心にもないオベンチャラは
インサイダー内での立場を有利にし、アウトサイダーを蹴落とすために役立つ。
サバイバルに有利になるなら、
嫌いだった人間もインサイダーに取り込む。
ひとたびサバイバルに不利益となれば、
インサイダーもアウトサイダーに突き落とす。
思いに反する顔をするのは、お手のものだ。
本音は、自分の有利だけでも。
これが、遺伝子につき動かされているだけの、
肉体的な人を動かす論理である。
遺伝子の本能をくすぐるオベンチャラに注意せよ。
遺伝子の本能をくすぐる貢ぎ物に注意せよ。
インサイダーと判断されただけの事であり、
もたらされるものは、遺伝子的なメリットだけである。
ひとたびアウトサイダーと判断されれば、
それも失われる。
彼らの“愛”は、平等心に基づく菩提心ではなく、
インサイダー内でのかばいあいだ。
***
チベット仏教で“粗いレベルの煩悩”と言われるのは、
こうした本能の事だと思う。
修行において、意識は、こうした粗いレベルから始まり、
もっとも微細なレベルを目指す。
もっとも微細なレベルは、素粒子のような世界であり、
智恵と慈悲の世界であり、
人間は誰でもそこに至れると、仏教はいう。
劣等感というのは、遺伝子的なサバイバルで勝てない、という思いから
来るものではないか、と思う。
微細なレベルに進むにつれ、失われる。
自らの保持を。自らの増殖を。
遺伝子は、肉体的な自己意識の基礎だけれど、
生命体としての個人を守ってくれる訳じゃない。
遺伝子それ自身を守るだけだ。
遺伝子は死なずに、肉体を乗り捨てながら世代を下っていく。
進化のために、肉体を操作しながら。
乗り物としての生物は、
指令に従っているだけである。
自分の幸せの為に生きているつもりの人も、
実は、遺伝子に動かされているだけかもしれない。
***
遺伝子の目的は、自らの乗り物をサバイバルに勝利させ、
少しでも進化の為に有利な生殖をする事だ。
その為に、遺伝子には、遺伝子のルールがある。
※アウトサイダーには辛くあたれ
※インサイダーには親切にしろ
※可能なときにはいつでもズルをせよ
ライアル・ワトソンの『ダーク・ネイチャー』によれば、
この3つである。
インサイダーとは、遺伝子を共有する血縁と、
遺伝子のサバイバルを有利にしてくれる人間である。
アウトサイダーとは、それ以外の人々であり、
サバイバルに不利益をもたらす人。
また、敵対者である。
サバイバルを有利にする為に、ズルは有用だ。
バレない程度の裏切り、心にもないオベンチャラは
インサイダー内での立場を有利にし、アウトサイダーを蹴落とすために役立つ。
サバイバルに有利になるなら、
嫌いだった人間もインサイダーに取り込む。
ひとたびサバイバルに不利益となれば、
インサイダーもアウトサイダーに突き落とす。
思いに反する顔をするのは、お手のものだ。
本音は、自分の有利だけでも。
これが、遺伝子につき動かされているだけの、
肉体的な人を動かす論理である。
遺伝子の本能をくすぐるオベンチャラに注意せよ。
遺伝子の本能をくすぐる貢ぎ物に注意せよ。
インサイダーと判断されただけの事であり、
もたらされるものは、遺伝子的なメリットだけである。
ひとたびアウトサイダーと判断されれば、
それも失われる。
彼らの“愛”は、平等心に基づく菩提心ではなく、
インサイダー内でのかばいあいだ。
***
チベット仏教で“粗いレベルの煩悩”と言われるのは、
こうした本能の事だと思う。
修行において、意識は、こうした粗いレベルから始まり、
もっとも微細なレベルを目指す。
もっとも微細なレベルは、素粒子のような世界であり、
智恵と慈悲の世界であり、
人間は誰でもそこに至れると、仏教はいう。
劣等感というのは、遺伝子的なサバイバルで勝てない、という思いから
来るものではないか、と思う。
微細なレベルに進むにつれ、失われる。
同じ事をずっと考えていました。
文章にして下さって、ありがとうございます。
例の団体では、こんな事言えませんでしたよね~。
わたしも現役の頃は、(はからずも)加害者の側でしたから、あまり言えませんが(苦笑)
心の奥にはいつも「違う! こんなのを求めてるんじゃない!」という叫びがあったように思います。
話していても何かそらぞらしくて、本当に触れる事のできる真心がどこにもない感じ、かな。
「世の中がこんな風になるって事なら、弥勒の世なんかいらない!」
というのが捨て台詞でした。
やめてから、「畜生、煩悩に仕えさせられてた」と思いましたけど(笑)
あの中で生きることが苦労でしたね。
「清々しいご神気が降りてきて云々」
とか言ってる割にはどきつい感じのする所でした。
私も捨てゼリフを吐いて、飛び出したクチです(笑)。
そうですか(笑)
みんな、あの中にいなければ、いい人たちだったのかもしれませんけど。
もちろん、わたしの主観です(笑)