Oceangreenの思索

主に、古神道、チベット仏教、心理学等に基づく日本精神文化の分析…だったはずなんだけど!

トン・レン

2009-09-25 | こころ
トン・レン(慈悲を起こすための瞑想)には、
本当は前段階として、
仏教の基本的な考え方(無常や因果など)や、平等心の感覚を求められます。

平等心とは、すべての人々を平等に見る心です。

実際には、
身近で恩のある人と、敵対心の対象、そして関係のない多くの人々を
常に全く平等に見ることはできないと思います。

けれど一時的にせよ、
言ってみれば、すべての人々を、遠くから見ている感覚。

利害関係のない、数えきれない人々が、
“地平の彼方まで”埋めつくし、存在している。

それを遠くから見ると同時に、
近しい人も敵も、その中に平等にいるようにイメージします。

それが、大乗仏教で求められる菩提心…

特定の人間への偏った愛ではなく、
すべての人々、生きとし生けるものへの慈悲を持つための
下地となるのです。

***

トン・レンでは、これらの人々の誰もが、
繰り返す輪廻の中で、一度は自分の母親だった事がある、と
考えます。

全ての母親が、
無私の愛を注ぎ、限りない自己犠牲によって自分を育ててくれた、
とは言えないかもしれません。

なぜ母親に限りない恩を感じ、愛おしむのか、という考え方も、
教えの中には含まれていますが、

とりあえず、一番恩義を感じる人、愛おしい人でもいいと思います。

地平まで埋め尽くす全ての人々が、
一度はそのように自分に尽くしてくれた事がある、と考えます。

考えられない場合、
観音菩薩に、そう実感できるよう祈ります。

***

そうした愛しい人が、苦海に沈んでいるとします。

煩悩や執着や個我に蝕まれ、悪業や人生の苦に縛られている。
潜在的な仏性を輝かすこともなく。

その姿をイメージし、そこから救うために、
自分の幸せや功徳や、過去世に施してきた善根が、白い光となったものを与えます。

又、愛しい人の苦しみや罪業、煩悩や我執などが、
黒い煙や液体となって染みだし、
自分の中に入って来るようイメージします。

吐く息で与え、吸う息で受けとるのです。

与えた光は、相手の鼻孔から入って、
その人を光で満たし、喜びで満たします。

相手からの黒いモノは、自分の鼻孔から入り、自らの自己愛着…個我や我執を、
打ち砕いてくれるとイメージします。

これを、中立の人たちに対しても、敵に対しても行います。

敵の憎しみも煩悩も、
自らのみぞおちの仏性を覆っている個我を、
スカッと打ち砕いてくれる、とイメージします。

最後に、地平まで埋め尽くす全ての人々にも、
同じことを行います。

***

わたしは、こうした観想が実際に慈悲心を高めると思いますが、

マイナスの感情を抑えるための、一種のイメージ・トレーニングと考えてもいいかも知れません。

簡潔にするためにかなり省いていますので、
誤解のない、本当のものとしては、やはり、
きちんと学んだ方がいいとは思います。

わたしの場合、せめてもの気休めかもしれませんが、
部屋にダライ・ラマの写真を飾り、
守護と導きを願っています。

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