てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

人体表現を巡る旅、その他(2)

2013年05月05日 | 美術随想
雨の東京散策 その1


〔重要文化財にも指定されている高島屋日本橋店〕

 朝6時前に、東京駅近くの八重洲通りにバスが着く。といっても、駅の裏側にあたるので、復原工事で脚光を浴びた赤レンガの駅舎はまったく見えない。

 そして残念なことに、ここ東京でも、雨の勢いはやはり強かった。通り雨程度なら、どこかの24時間営業の店で時間をつぶして天気の回復を待ってもいいのだが、予報では昼前後まで雨のようである。ぼくはバスを降りたその足で、トイレにも寄らず、長時間椅子に座りつづけた体をほぐすかのように、駅とはちがう方角へがむしゃらに歩きはじめた。

 去年のゴールデンウィークの狭間にバスで上京したおりにも、今日ほどではないが、やはり天気はあまりよくなかった。まだ工事の終わっていない東京駅を通り抜けて、ぼくには未知なる領域である皇居方面へ歩いていく途中で、小雨に降られたのだ。けれども、あてどのない散歩をするのに不便なほどではなく、日比谷公園を経て銀座にたどり着くころには、すっかり雨が上がっていたような記憶がある。

 けれども今回は、土砂降りだ。おまけに、4月の下旬とは思えないほど寒い。この時季の服装に困るのはいつものことだけれど、東京まで出てきて厚手のコートが荷物になるのも困るなと思いながら、天気予報を信じて冬の装いをしてきて正解だった。カメラを構える手がかじかみそうになるほど、冷たい雨だった。

 特に目的もなく歩いていくと、丸善がある。もちろんまだ開店前だが、こんなところに大きな本屋があったとは・・・。梶井基次郎が『檸檬』の舞台にした京都の丸善がなくなってから何年経つだろう、などと考えていると、向かい側には高島屋の重厚な建物が雨に濡れていた。

                    ***


〔住所の表記も手が込んでいる〕

 そうか、ここは日本橋なんだな、とようやく気付く。あてもなく歩いていても、いつしか名所にたどり着いてしまうところが、東京のすごいところかもしれない。

 日本橋は、広重の浮世絵と、テレビでよく映される現代の日本橋と、両方知っている。けれども、それが同じ場所だとはとうてい信じられない。今回はじめて現場に立ってみて、なおその感を深くした。空が、首都高速によって完全に蓋をされてしまっているのだ。

 だが、こういう風景は、ほかにもある。「去年の暮れ、東京のあれこれ(34)」にも書いたが、松本竣介が好んで描いた横浜の月見橋も、やはり首都高速にすっかり覆われてしまっているのである。

 こういう場合に決まって持ち上がるのが、景観論争だ。とりわけ日本橋に関しては、首都高を地下に移設すべきだとか、そうではなくて日本橋をよそに移すべきだとか ― 後者はほとんど意味不明だが ― さまざまな見解があるらしい。しかしそこで問題となるのが、巨額の費用をどこから捻出するか、であろう。

 すでに都市の大動脈として機能している高速道路をいったん停止してよそに移動させるには、気の遠くなるようなカネと、労力と、時間がかかる。今さらそんなことをするぐらいなら、最初からこんなところに高速道路を作るべきではなかったのではないか? なぜ、誰も建設を止めなかったのか?

 調べてみると、日本橋の上に首都高速が通ったのは、今からちょうど50年前のことだという。この半世紀のあいだに、東京に住む人にも意識の変革が起こったということだろうか。たしかに、古い景観をよみがえらせようという動きがあることは事実だし、東京駅の復原工事もその一例にほかならない。

 先のことを考えない都市計画ということでいえば、過剰なまでの地下鉄の増殖についてもいえるのではないか。乗り換えるたびに迷路のようなルートをうろうろ歩かされるのは、行き当たりばったりで地下鉄をどんどん作ったからにちがいない。都市の機能性が優先されて、快適な“デザイン”が後回しにされたばかりに、かえって不便さを招いてしまった不可解な例であろう。

                    ***


〔シャッターには歌川広重の描いた「日本橋」。早朝ならではの光景だ〕

 だが、大阪から出てきたぼくが、東京のことをいくら怒ってもしょうがない。雨は降っているが、せっかくだから日本橋をもう少し観察してみることにした。

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