
小合友之助『扇面ちらし』(1948年、京都市美術館蔵)
小合(おごう)友之助という人は、それほど知られているとは思えないが、京都の染色の大家であるそうだ。なかでも蝋染めという技法を極め、後世に大きな影響を与えたという。
けれどもぼくは陶芸や漆芸に比べて、染色には今ひとつ馴染めない。やはり本来は絵画が好きなので、染めなどというまわりくどい手順を踏んで平面の芸術を作り上げる人たちに、なぜ絵筆を使って絵を描こうとはしないのだろう、という素朴な疑問を抱くこともある。もちろん、染色でしか出せない質感といおうか、手触りのようなものがあるのは明らかだ。表現したいモチーフをじかに画布にぶつけたがる直情径行タイプの人には、工芸は向かないだろう(その点、岡本太郎はいくつかの工芸作品も残しているので、不思議に思う)。
工芸にはさまざまな工程があると思うが、その実態はあまり一般には知られていない。いや、決まったマニュアルなどがあるわけではなく、個人がめいめい工夫を凝らしては新しい表現方法を模索しているのにちがいない。
けれども科学技術の世界とはちがって、それだから工芸の技術が眼に見えて発展するとか、一般の人の生活に影響を与えるとかいう話にはならない。その作家の作品に、独特の色彩や造形をもたらすだけのことである。ただその態度が、加速度的に画一化されつつある世の中の風潮に一石を投じることになるのではないか、とも思える。工芸の展覧会に年配の人ばかりではなく、若い人や家族連れが訪れているのを見ると、この国もまだまだ捨てたものではないな、という気がする。
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けれども「日展」の列品解説を聞いたりすると、洋画や日本画部門に比べて、工芸美術部門の参加者は圧倒的に年齢層が高い。ぼくは京都で二度ほど聞いたのだが、30人ほど集まった観覧客のなかで、もしかして自分が最年少ではないか、と思えるほどだった(ちなみにぼくはもう40歳を超えている)。京都には工芸を学ぶ若い人が多くいると思われるのに、ちょっと気がかりである。
何年か前に、3人の作家からなる解説を聞いたのだが、そのなかに中井貞次氏がいた。この人は「日展」の常務理事を務めていて、ぼくも毎年作品を拝見しているが、繊細で色鮮やかな染色が多いなかで、彼のは一貫した渋さと、たくましさがある。樹木をモチーフにした作品が多いが、枝や葉のひとつひとつを細かく描写したりすることはなく、あくまで塊として表現され、重厚な色彩とも相まってずっしりとした量感を感じさせるのである。
その中井氏の恩師に当たる人が、小合友之助なのだった。けれども、『扇面ちらし』を観てもほとんど似たところはない。これがどのような機会に制作されたものかはわからないが、おそらくは展覧会に出品するためというよりも、誰かに依頼された仕事なのではないかと思う。
白い屏風のなかに、まるで桜の落花のようにランダムに散らされた扇。そのスタイルは日本古来からあるものだが、題材はさほど日本的なものに偏ってはいない。湿潤な和の風土よりも、からりと乾いたモダンな感覚があふれている。デザイン、といってもいいすぎではないだろう。
制作されたのは、戦後である。近代の日本家屋にふさわしい意匠を考えたすえにたどり着いた、新しい染色のスタイルなのかもしれない。
(了)
DATA:
「京都市美術館コレクション展 第2期 模様をめぐって」
2012年1月27日〜3月25日
京都市美術館
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