てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

日々のこと(1)

2021年07月29日 | その他の随想


 去年からは、まったくひどい日々の連続だ。もちろん、例のウイルスのことである。われわれの日常生活というものは、去年を境に、本当に一変してしまったのだろうか? そうは思いたくないのだが。

 美術の面に限っても、さまざまなスケジュールの変更があり、休館に追い込まれる美術館も相次いだ。休みのたびごとに展覧会に出かける習慣のあるぼくとしては、困惑するしかない事態だった。しょうがないから、あまり“密”になることのない植物園などへ出かけ、木々の鬱蒼と茂るなかを歩いたりして時間をつぶしていたものだ。

 やがてそんな日も過ぎ、休館明けの最初の日に、南大阪にある小さな美術館に出かけて行った。他に来客は誰もおらず、監視員の姿もなかったので、ぼくはマスクを外し、それまでの飢えを満たすように、絵画とじっくり向き合った。久しぶりに本物の美術と相対する喜びに、ぼくの体は震え上がらんばかりだった。何というか、“美術のありがたみ”を再確認したような気持ちだったのだ。自分にとっては、こういったものは決して“不要不急”のものではないのだと。

 さて、展示を観終わって美術館を出ようとすると、係員の人から呼び止められた。話によれば、ぼくが休館明けの最初の客だったというのだ。ぼくがそこに出かけたのはすでに午後のことなので、午前中にはひとりの客もいなかったということになる。美術に飢えていたのは、ぼくだけではないはずなのに・・・。

 やがて、館長さんが出てきた。もちろん双方ともマスクをしていたが、ちょっとばかり世間話をした。美術館の館長なる人と会話をするのははじめてのことなので緊張したが、どこかの企業に勤められていた方らしく、学者然としたところはなくて、豪快なオジサンといった感じだ。

 ついにぼくは、休館明け最初の来館者として、記念写真に写されることになった。ロビーの花瓶の横に立って、マスクをしたままシャッターを切られたぼくは、このことに何の意味があるのか、ちょっと疑問に思いもしたのだが・・・。

 いよいよ美術館を後にしようとするぼくを、館長さんは、あたたかな握手で送ってくれた。この時期に握手をするのはいかがなものか、という気もしたが、自分の美術館に久々に人が来てくれたことがそれほどうれしかったのだろう、と思うことにしている。

                    ***

 ただ、これも思い返せば遠い話で、それ以降も緊急事態宣言は繰り返され、今が第何波なのかもよく分からない状態になっている。

 明けない夜はない、などといわれているが、ではいつになったらこの夜は“明ける”のか、まったく見当もつかない日々だ。本当に、ため息が出るというものである。

つづく

(画像は記事と関係ありません)

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