ラウル・デュフィ『ヴァイオリンのある静物:バッハへのオマージュ』(1952年、ポンピドゥー・センター蔵)
色彩あふれるオーケストレーションで知られた作曲家リムスキー=コルサコフは、和音には色があるといったそうだ。ハ長調だったら白、ニ長調だったら黄色、といった具合に。
ぼくには絶対音感がないからか、音を聞いても色が思い浮かぶということはない。けれども、鮮やかに彩られたデュフィの絵画を観ていると、彼もひょっとしたら音に色を感じ取っていたのではないかという気がする。
バッハに捧げられたこの絵は情熱的な赤に塗られていて、あまりバッハらしくないようにも思う。宗教音楽などの、ちょっとカビくさいというか、薄暗いイメージがあるからだろうか(決してわるい意味ではない)。けれども調べてみると、赤とはイエスが十字架で流した血の色らしく、敬虔なクリスチャンであったバッハにとっては特別な色なのだろう。ただ、デュフィの鮮烈な赤とキリスト教の赤とは、おそらく何の関係もあるまい。
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ここまでくると、デュフィの筆の奔放さも極まったようである。この絵を描いた翌年、デュフィは生涯を閉じることになるのだが、さぞや幸福な晩年だったのではないか、と感じる。しかし実際には長期にわたってリューマチを患っており、治療を受けるために渡米したりもしている。絵筆を握るのも困難な状態だったらしい。
そう聞くと、やはり晩年のルノワールを思い浮かべずにはいられない。彼もリューマチに悩まされ、自由の利かなくなった指に絵筆を結わえつけ、車椅子に座って絵を描いたといわれているが、その作品には画家の苦悩を想起されるものはまったくない。ルノワールにとって、人生とはあくまでも楽しく、喜びに満ちたものであり、絵画もその喜びを増幅させるものでなければならなかったのだ。
デュフィもまた、同じようなことを考えていたのではなかろうか。悲惨なできごとが多発した20世紀において、深刻な内容を深刻に描くことは当たり前になっていたし(ピカソの『ゲルニカ』はその好例だ)、アメリカのポロックはあらゆる思想の網目をかいくぐるようにして、肉体と美術とを直結させる作風へと進んだ。
そんな時代に、クラシック音楽へと耳を傾け、現実とは遠く離れた楽園を感じ取ったとき、デュフィの絵も音楽への讃歌となって結晶した。これはむしろ、彼にとって自然な成り行きではなかったかといいたい。
なおこの絵には、オルガンか何かの鍵盤楽器の上に置かれたヴァイオリンのほかに、右側の壁にはデュフィの自作の絵画も描かれている。単なるバッハへの憧れではなく、彼自身の生活と密着して描かれていることは注目すべきだろう。
なかでも画面の大半を占めるのは、装飾豊かな壁紙である。ここには、デュフィ自身がかつてデザインした模様が使われている。バッハへの敬意と同時に、みずからが歩んできた人生を回顧する意味も込めた、記念碑的な作品だと思う。
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〔あべのハルカス16階から大阪城方面を望む〕
思ったより時間をかけて、じっくりと楽しむことのできた展覧会だった。これからも多彩な企画が準備されているようなので、心待ちにしておきたい。ぼくにとっては新たな観光スポットの誕生というより、単純に美術館が増えたということのほうがうれしい。
とはいえ、最後は同じ階にある展望フロアに出て、地上16階からの眺めを堪能して帰宅したのであった。
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