生まれてから今までのぼくの経歴のなかで、できることなら“なかったこと”にしたいのが、ヴァイオリンを習っていたという事実である。
たしか12歳のころから音楽教室にかよいはじめたので、世間的に見てもかなり遅かったけれど、最終的には子供たちが結成するジュニアオーケストラで第2ヴァイオリンを弾くまでは到達した。夏のあいだは皆で合宿して練習に明け暮れ、定期演奏会ではヘンデルやメンデルスゾーンを披露したりもしたし(録音したものを聴くと決して“うまい”とはいえないシロモノだったが)、その楽器は少年時代のよきパートナーではあったのだ。
ただ、思春期の到来とともにぼくの心身も不安定になり、いつしかヴァイオリンを手にする日も少なくなっていった。ある日、久しぶりに楽器のケースをあけてみたら、弓がすっかり切れてしまって老婆の毛髪のように散乱していた(多分、しまうときに弓を緩めるのを忘れたのである)。それ以来、自分のヴァイオリンに手を触れたことがない。今はどこでどうなっているか。捨てられてしまったのだろうか。
世の中には家を売ってストラディヴァリウスを購入したという人もいるけれど、そんなに高価ではないにしろ、やはり親にカネを出してもらってそれなりのヴァイオリンを買ったのだったし、根気づよく指導してくれた先生にも、ヘタクソな騒音に付き合わされた家族にも、ひいては隣近所の人にも、今となってはお詫びの言葉もない。ささいな道楽、といってしまえばそれまでかもしれないが、つまるところ、ものにならなかったのである。
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けれども存外、そういう人は少なくないのかもしれない。当時、ぼくと一緒にヴァイオリンをかき鳴らしていた少年少女たちのなかには、いまだに芸術の道一本で生活している人などいないはずだし、趣味で音楽をたしなんでいる人に限ってみても、ごくごく少数なのではあるまいか。
それほど、ひとつの楽器との蜜月を維持するのは難しいことなのである・・・。ふとこんなことを書いてみる気になったのは、先日、毛利文香という気鋭のヴァイオリニストのリサイタルを聴いたからだ。
場所は、嵐山近くの上桂にあるバロックザール。前にも触れたが、たいていはまだ無名の新人の演奏会に使われるのに、ときおりどういう巡り合わせか、ラインハルトとかブロンフマンといった世界的巨匠が来演することもある。
毛利文香の存在は、これまでまったく知らなかった。だが先月のこと、パガニーニ国際コンクールで2位に入賞したとかで、ちょっとしたニュースになったのを耳にした。これはチケットも完売かな、と思っていたら、意外にも当日券が出るということだったので、足を運ぶことにしたのだ。
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その日のリサイタルの様子をいちいち細かく書く気にはならない。自由席だったので、気兼ねして端のほうに座ったのだったが、ステージの上からダイレクトに音が響いてくるさまは、ぼくの耳というよりも心臓をぐっとつかんだ。今でもしばしば演奏会には足を運び、オーケストラなどでは何十人もの奏者がヴァイオリンを弾くのを聴いているわけだが、たった一本のヴァイオリンが、なぜこれほどまで心に刺さるのか。
まるで少年のような顔をした毛利文香 ― 彼女は慶応の文学部に在学中とのことで、プログラムも自分で執筆していた ― は、一概に情熱的とも、叙情的ともいえないアプローチで、ヴァイオリンを歌わせ、語らせる。あえていえば、思索的とでもいおうか。特に、プログラムには無伴奏の曲が2曲も含まれているのが興味深かった。実をいうと、イザイの無伴奏ソナタなどは今回はじめて聴いたのだが、ところどころにバッハへのオマージュが散見され、それが毛利本人のなかで、楽器そのものへの讃歌として鳴り響くかのようだった。
アンコールで、再び伴奏者を従えないで登場した毛利文香は、彼女を有名にしたコンクールの名前ともなっているパガニーニの奇想曲第24番を弾いた。例の、ラフマニノフなども引用している名旋律だが、次々と変容するヴァイオリンの音色を操り、しかも技巧に走るところのない充実した音楽性は、楽器ひとつで人をここまで感動させられるのか、という見本のようでもあった。同時に、小学生のころ、担任の教師の命令によって、全校生徒の前でヘタクソなヴァイオリンをたったひとりで弾かされた幼き日のぼくの情けない姿が脳裏をよぎるのを如何ともしがたいのだった。
(了)
(画像は記事と関係ありません)