中原浩大『レゴ』(1990-91年)
再現可能な作品の最たるものといえば、中原浩大(こうだい)の『レゴ』がそうであるかもしれない。“一点もの”が、芸術の貴重さ、あるいは存在価値を決定づけているとすれば、現代美術に関してはその基準がまったく当てはまらないことをよく示している。
『レゴ』は、いうまでもなく、レゴブロックを組み合わせた立体作品だ。ぼくはレゴブロックで遊んだことがないので、具体的にどうやって作られているのか分からないが、最近よく眼にするフィギュアのようなものは含まれず、純粋な色のカタマリで構成されている。
ここで中原は、至って大真面目に作品を作り上げているような気がする。当然かもしれないが、子供がブロック遊びをしているのとはわけが違う。いってみればレゴのひとつひとつが、絵の具のひと筆ひと筆に相当するのだろう。
そういうつもりで観ると、レゴという扱いにくい珍奇な素材を駆使して、新しい芸術を創造しようという(それが成功しているか否かは別として)試みが透けて見えてくる。従来あった素材を使って前人未到の表現にたどり着こうとすること、その一方で、これまで誰も使おうとしなかった素材で未知の美術を作り上げること、という現代美術の二極化が、ここにはっきりあらわれている。
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そうやって中原が仕上げたものは、完成しているのかいないのか、まさに奇妙キテレツな作品となった。一見すると、某ファストフードのキャラクターを連想させるような愛らしさもあるが、何だか不安を煽るようなアンバランスさもある。木製のテーブルに無造作に載せられているところが、よりいっそうヘンテコである。
ただ、この作品を裏側から観たところが、実は隠されたハイライトなのではないかと、ぼくは思っている。正面から見えるピエロのような物体とは別に、過剰なまでに色とりどりの断面が展開されている。まるで、そこだけ別の作品であるかのように。
オモテとウラとの、想像を絶する二面性。人間はともかく、芸術にも裏表がある、とでもいうのか。『レゴ』は、ふとそんな深読みをしてみたくなる作品でもある。
つづく
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