高屋肖哲『弘法大師像』(1928年)
高野山を開いたのは、いうまでもなく空海である。またの名を弘法大師といい、「弘法も筆の誤り」ということわざがすぐに思い出されるように能書家として知られているわけだが、金釘流をもって自認するぼくとしては、何ともケムタイ存在でもあった。
その一方で、いわれなき親しみを感じさせる存在でもある。それはぼくが特に真言宗を信仰しているからではなくて、東寺や四天王寺で開かれる縁日が、毎月の21日と決まっているからだ。21日というのは、ぼくの誕生日なのである。もっとも、縁日が開かれるのは、空海が21日に没したことにちなんでいるという。
空海ほど昔の人になると、生まれた日がいつなのかはっきりしないのかもしれないが、亡くなった日に大きなイベントをやるというのが、ぼくには興味深い。“月命日”には、もちろん何らかの法要もあるのかもしれないけれど、仏教とはあまり縁のなさそうなモノの売り買いが大っぴらにおこなわれるというのは、不思議である。空海が杖で地面を突くと、そこから温泉が噴き出したなどという伝説が各地に伝わるのも、この人物が聖なるものと俗なるものとのハギアワセであるかのような印象を与えなくもない。
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実際、ぼくには上に記した以上に、空海について深い知識はない。ただ、ずいぶん前に奈良国立博物館で密教の展覧会を観て、金剛杵(しょ)や金剛鈴(れい)といった法具にはじめて出会い、その造形的なおもしろさに撃たれた覚えがある。
そういえば、福井の実家にはなぜか、澄んだ音色を奏でる三鈷鈴(さんこれい)のようなものがあった。持ち手の端っこが3つにわかれ、さらに先端が丸まっている。昆虫の化石のようでも、突き刺しにくいフォークのようでもあった。なぜそんなものが家にあるのか、それこそ弘法市で買ってきたのかどうか知らないが、ぼくは意外なほど幼いころから、そうとは知らずに法具を身近に置いていたのだ。もちろん、当時はそれを単なる楽器の一種として認識していたはずだけれど・・・。
ところで、いろんなところで見かける空海の肖像は、どれも似たような姿をしている。座った状態で、右手に金剛杵を、左手に数珠を持っているのである。たとえば他の宗教で、キリストが最後の晩餐に臨むシーンや、十字架にハリツケにされるところを描いた絵画などでは、作者によってさまざまなバリエーションがあるように思うのだが、なぜ空海に関しては、いつも判で押したように同じ格好をしているのか、昔から疑問に思っていた。しかも右手の角度が、いかにも不自然なのだ。
どうやら、これは一種の“印”を結んでいる姿らしい。それがどういう意味をもつものなのか、ぼくはまったく知らないけれど、たとえば手を合わせたり、眼をつむったり、平身低頭したりする仏教お馴染みのポーズとは、まったく似ても似つかないのが驚きでもある。
そして、その空海本人が、気味がわるいほど無表情に描かれているのだ。キリスト教の宗教画は、おそらく観ただけで即座に感情移入でき、クリスチャンの涙を誘うように考えられているのではないかと思うが、空海の肖像には仏画などにも通底する“表情の曖昧さ”が、あまりにも歴然とあらわれている。観る者が、その距離感を乗り越えて信仰の域に至るのは、なかなか難しいことであるのかもしれない。
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