“精神”の人体像 ― 中村晋也
「日展」には毎年出かけるが、いつも彫刻部門から観ることにしている。彫刻の展覧会が開かれることは概して少なく、「日展」はぼくにとって貴重な機会である。そこに出品されているのは、ほぼ等身大の人体彫刻が大多数で、かなり保守的な作品群だといえるだろう。しかし見方を変えれば、ギリシャ以来の正攻法で堂々と勝負しているということでもある。
ただ「日展」の展示方法には、いささかの不満がないでもない。彫刻がことごとく台の上に乗せられているのである(これは京都展の場合で、他の会場ではどうか知らない)。もちろん彫刻には、胸像など比較的小さな作品もあるので、ある程度の高さを補うことも必要であるにちがいない。しかし等身大の全身像を台に乗せるとなると、まるで英雄をたたえるモニュメントのように、どうしても下から見上げざるを得なくなってしまうのだ。
彫刻家たちは、非の打ちどころのない、理想化された人間像を作ろうとしているのだろうか? だとすれば、ぼくたちには手の届かない存在として、一段高いところに置かれてしかるべきだろう。だが現代の彫刻家は、人間というこの不可解でつかみどころのない存在のありようを、名もない人物の姿を借りて形象化しようとしているのではあるまいか? それをつぶさに感じ取るためには、彫刻家と同じ目線で作品を観る必要があるだろうと思うのだ。高い台の上に立ち、視線がどこか遠くを向いている人物に向かって、対話を試みることは難しい。せめて等身大の彫刻だけでも、地面に直接置いてもらえないものだろうか・・・。
*
台の上で堂々と胸を張り、豊満な肉体を惜しげもなく晒している健康的な人体像に囲まれていると、痩せぎすで貧弱な体しか持ち合わせていないぼくとしては、少々やるせない気分になってくる。ぼくたちは結局のところ、人体彫刻を観ているときには心底冷静ではあり得ないのかもしれない。やはりみずからの体のことを振り返らずにはいられないからである。相手は作りものであるとはいえ、やはり人体に変わりはなく、それは自分自身の体との絶好の比較対象なのだ。
しかしそんな彫刻群の中にあって、中村晋也の作品は異彩を放っているように思う。ぼくが中村の存在をはっきりと意識したのは、彼が2002年に文化功労者に選ばれたことがきっかけだが、それ以来「日展」で彼の彫刻を注意して観ていくうちに、その独特の造形感覚に惹きこまれていった。
「日展」の会場に居並ぶ、生命感にみちあふれた肉体の中にあって、中村晋也の人体像はひ弱で、貧しい。男性的でもなく、だからといって女性的な目立った特徴があるわけでもなく、どちらともつかない。それはいわば、性別や年齢や人種などの属性を超越したひとりの人間そのものであって、それ以上でも以下でもない。そしてその人物は、おのれの肉体を誇示するどころか、もてあましているようにさえ見える。いや、彼は(あるいは彼女は)肉体を見捨て、精神の深みにたゆとうているのである。頬はこけ、腕は痩せ細り、衣服といえば粗末な布切れを身にまとっているにすぎない。
*
中村はこのところ、一貫してこのような連作を手がけてきた。題名を『MISERERE』という。ミセレーレとは、旧約聖書に由来する言葉で、憐れみたまえという意味である。いうまでもなく、ルオーの偉大な版画集と同じ題名でもある。
この彫刻家は、もしかすると舟越保武と同じように、敬虔なクリスチャンなのかもしれない。事実、「日展」の書物に彼が寄せた文章を読むと、いかにもそれらしい言葉にぶつかる。
《精神的な昇華を、飾ることなく表現したいと考えました。しかし御恵みによる平安の世界への誘われは、命の極みにおいてしか得られないものかもしれません。》(「第35回 日展アートガイド」)
“精神的”な昇華を、人体という“かたち”を借りて表現する・・・。彫刻家として、これ以上に困難な仕事があるだろうか?
*
このたび、この稿を書くためにいろいろ調べものをしていて、意外な事実に突き当たった。中村は『MISERERE』の連作と並行して、奈良の薬師寺に『釈迦十大弟子像』を奉納してもいたのである。ぼくは薬師寺をたびたび訪れているのだが、このことは今の今までまったく知らなかった。
中村彫刻を支えている造形意識は、どうやらキリスト教だけに根ざしているわけではないようである。彼は特定の宗教に限定されない広い視野で、人間における“精神的”なものについて考えているにちがいない。そしてひとりの彫刻家として、“精神的”なる人物像を追い求めてきたのにちがいない。彼の人物像が、ときに聖像にも似た高潔感をただよわせる所以であろう。彼にとって、彫刻は単なる“かたち”ではないのである。
中村は今回の「日展」出品作をもって、10年にわたる『MISERERE』のシリーズを終えることを表明した。しかし、おそらくまた別の人物像のもとに、彼の“精神”は刻み込まれることだろう。ぼくはそれを楽しみにしている。
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「日展」には毎年出かけるが、いつも彫刻部門から観ることにしている。彫刻の展覧会が開かれることは概して少なく、「日展」はぼくにとって貴重な機会である。そこに出品されているのは、ほぼ等身大の人体彫刻が大多数で、かなり保守的な作品群だといえるだろう。しかし見方を変えれば、ギリシャ以来の正攻法で堂々と勝負しているということでもある。
ただ「日展」の展示方法には、いささかの不満がないでもない。彫刻がことごとく台の上に乗せられているのである(これは京都展の場合で、他の会場ではどうか知らない)。もちろん彫刻には、胸像など比較的小さな作品もあるので、ある程度の高さを補うことも必要であるにちがいない。しかし等身大の全身像を台に乗せるとなると、まるで英雄をたたえるモニュメントのように、どうしても下から見上げざるを得なくなってしまうのだ。
彫刻家たちは、非の打ちどころのない、理想化された人間像を作ろうとしているのだろうか? だとすれば、ぼくたちには手の届かない存在として、一段高いところに置かれてしかるべきだろう。だが現代の彫刻家は、人間というこの不可解でつかみどころのない存在のありようを、名もない人物の姿を借りて形象化しようとしているのではあるまいか? それをつぶさに感じ取るためには、彫刻家と同じ目線で作品を観る必要があるだろうと思うのだ。高い台の上に立ち、視線がどこか遠くを向いている人物に向かって、対話を試みることは難しい。せめて等身大の彫刻だけでも、地面に直接置いてもらえないものだろうか・・・。
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台の上で堂々と胸を張り、豊満な肉体を惜しげもなく晒している健康的な人体像に囲まれていると、痩せぎすで貧弱な体しか持ち合わせていないぼくとしては、少々やるせない気分になってくる。ぼくたちは結局のところ、人体彫刻を観ているときには心底冷静ではあり得ないのかもしれない。やはりみずからの体のことを振り返らずにはいられないからである。相手は作りものであるとはいえ、やはり人体に変わりはなく、それは自分自身の体との絶好の比較対象なのだ。
しかしそんな彫刻群の中にあって、中村晋也の作品は異彩を放っているように思う。ぼくが中村の存在をはっきりと意識したのは、彼が2002年に文化功労者に選ばれたことがきっかけだが、それ以来「日展」で彼の彫刻を注意して観ていくうちに、その独特の造形感覚に惹きこまれていった。
「日展」の会場に居並ぶ、生命感にみちあふれた肉体の中にあって、中村晋也の人体像はひ弱で、貧しい。男性的でもなく、だからといって女性的な目立った特徴があるわけでもなく、どちらともつかない。それはいわば、性別や年齢や人種などの属性を超越したひとりの人間そのものであって、それ以上でも以下でもない。そしてその人物は、おのれの肉体を誇示するどころか、もてあましているようにさえ見える。いや、彼は(あるいは彼女は)肉体を見捨て、精神の深みにたゆとうているのである。頬はこけ、腕は痩せ細り、衣服といえば粗末な布切れを身にまとっているにすぎない。
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中村はこのところ、一貫してこのような連作を手がけてきた。題名を『MISERERE』という。ミセレーレとは、旧約聖書に由来する言葉で、憐れみたまえという意味である。いうまでもなく、ルオーの偉大な版画集と同じ題名でもある。
この彫刻家は、もしかすると舟越保武と同じように、敬虔なクリスチャンなのかもしれない。事実、「日展」の書物に彼が寄せた文章を読むと、いかにもそれらしい言葉にぶつかる。
《精神的な昇華を、飾ることなく表現したいと考えました。しかし御恵みによる平安の世界への誘われは、命の極みにおいてしか得られないものかもしれません。》(「第35回 日展アートガイド」)
“精神的”な昇華を、人体という“かたち”を借りて表現する・・・。彫刻家として、これ以上に困難な仕事があるだろうか?
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このたび、この稿を書くためにいろいろ調べものをしていて、意外な事実に突き当たった。中村は『MISERERE』の連作と並行して、奈良の薬師寺に『釈迦十大弟子像』を奉納してもいたのである。ぼくは薬師寺をたびたび訪れているのだが、このことは今の今までまったく知らなかった。
中村彫刻を支えている造形意識は、どうやらキリスト教だけに根ざしているわけではないようである。彼は特定の宗教に限定されない広い視野で、人間における“精神的”なものについて考えているにちがいない。そしてひとりの彫刻家として、“精神的”なる人物像を追い求めてきたのにちがいない。彼の人物像が、ときに聖像にも似た高潔感をただよわせる所以であろう。彼にとって、彫刻は単なる“かたち”ではないのである。
中村は今回の「日展」出品作をもって、10年にわたる『MISERERE』のシリーズを終えることを表明した。しかし、おそらくまた別の人物像のもとに、彼の“精神”は刻み込まれることだろう。ぼくはそれを楽しみにしている。
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