てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

抽象画再考、芦屋にて(1)

2012年02月21日 | 美術随想

〔阪神芦屋駅から見た景色〕

 抽象画家の津高和一が、17年前の大震災の犠牲になったことは何度も書いてきた。地震の数日後に西宮に行った際、全壊した彼の家の前を偶然通りかかったことも。そこには、画家がすでに荼毘に付された旨を知らせる貼り紙があったことも。

 それ以来、津高和一はぼくにとって特別の存在になった。西宮北口の駅近くの法心寺にある津高の墓に参ったこともある。墓といっても、津高家の庭にあった石に画家の筆跡で「架空通信」という字が彫り込まれていただけだったが。架空通信とは、生前に彼が自宅の庭で開催していた展覧会の名称であるそうだ。

 だが津高和一の死と、瓦礫と化した彼の家とは架空でも何でもなく、ぼくの脳裏にひとりの芸術家のたしかな、しかし不条理な最期を刻み付けることになった。

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〔芦屋市立美術博物館のモダンな外観〕

 唯一の救いは、没後に彼の展覧会が多く開かれるようになったことだろうか。特に1月17日の命日の前後には、阪神地区の美術館やギャラリーで彼の残した絵を展示するのが恒例のようになっている。

 今年は、芦屋市立美術博物館を訪問した。いつもは阪神の駅からバスに乗るのだが、この日は松の生えた公園など眺めながらのんびり歩いてみた。

 芦屋も、もちろん震災の大きな被害を受けているはずだ。今歩いているこの道も、かつてはひび割れ、あちこちが隆起したり陥没したりしていたのかもしれない。さらに南へ歩くと、歩道と車道を隔てるコンクリートに市民や子供たちが思い思いに描いた壁画が並んでいる場所に出た。

 よく観ると、平成2年と書かれている。芦屋市立美術博物館はその翌年に開館しているので、それに合わせたワークショップのようなものがあったのだろう。それにしても、この壁画はあの大震災を見事に生き延びたわけだ。歳月が経ってかなり汚れてはいるけれども、よく残っているものだと感心した。

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菅井汲『S.JANVIER.90』(1990年)

 いつものことだが、この美術館にはあまり人がいない。館内に入ったところにある吹き抜けのエントランスは広々としている。声を出せば反響しそうだ。

 壁面には、菅井汲(くみ)に依頼して制作された『S.JANVIER.90』という作品が掛かっていた。JANVIERとはフランス語で1月のことだから、たぶん1990年の1月に描かれたということだろう。Sというのはスガイのイニシャルでもあり、観てのとおりS字形ということでもあろう。

 菅井は海外で大変高く評価された画家だ。ぼくが使っていた教科書にも、たしか彼の絵が載っていた。けれども国内では、美術館の常設展でたまに見かける程度である。2000年に大規模な回顧展が神戸で開かれたのを観た覚えがあるが、人出はかんばしくなかったようだ。

 菅井は阪神大震災の翌年に突然世を去ったが、今や彼の絵は時代から取り残されているように感じる。デザイナー出身の菅井は、見事に均整のとれた、バランスのいい作品を仕上げるのに長けていたが、一度壊滅的になった街を見てしまった者にとっては、菅井の抽象画は破綻がないだけに脆く感じられてしまうのかもしれない。

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1 コメント

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津高 (H)
2018-02-08 12:42:12
津高と菅井についての文章はとても素晴らしいものですね。
とくに津高についての連載は、これまで読んだ津高関連のどの文章よりも。

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