てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

人体表現を巡る旅、その他(23)

2013年06月01日 | 美術随想
豊饒なるルーベンス その5


リュカス・フォルステルマン(ルーベンス原画)『キリスト降架』(1620年、アントワープ王立美術館蔵)

 日本で制作されたアニメ「フランダースの犬」で、主人公ネロが息絶えたのは、この『キリスト降架』の前だった。

 ただ、キリスト教徒ではない日本人からすると、なぜ年端もいかぬ子供がこんな複雑な絵を見たがったのかよくわからないところがある。現代だったら、それこそアニメやマンガのたぐいを楽しんで見ているような年ごろだ。

 いや、実際に日本の人々がテレビの前で感動の涙を流したのは、それがアニメの最終回としてわかりやすく演出されていたからであって、ルーベンスに寄せるネロの思いが理解できた視聴者はさほど多くなかったのではないかと思う。『キリスト降架』も、たとえば聖母子像と比べると美しいわけではなく、聖書をよく知らない人間にはなかなか受け入れがたい題材であろう。

 実際の原画は前にも書いたように巨大なもので、アントウェルペンの大聖堂にあるため、容易には持ち運べない。そこで銅版画の複製が作られ、広く出回ったようだ。大規模な交響曲が作曲された際に、簡易に演奏できる室内楽版が上流階級の人たちに広まったのと同じ経緯である。

 フォルステルマンという人物は、ルーベンスが苦労して見いだした有能な版画家であった。彼は、ルーベンスの原画を忠実に銅版に写し変えることができた(ただしルーベンスの要求が厳しすぎて、衝突することもあったらしい)。

 こうやって作られた版画は、うんざりするほどあるし、展覧会でも非常によく展示されるが、正直にいうと、ぼくは油彩画ほど熱心には観ない。この銅版画から、見上げるほど大きな祭壇画を連想することなどおよそ不可能だし、そもそもこれらは浮世絵などと同じように壁に飾って鑑賞するものではなく、各人が手に取って眺めるのが本来の姿である。

 ところでこれは版画であるために、左右が反対になっている。当然といえば当然なのだが、仕上がった状態が油彩画と同じ向きになるように、反転したかたちで銅版を彫らせることもできなかったわけではあるまい。だが、画家たちはなぜかそういうことには寛容だったようだ。ぼくにとっては、今ひとつ腑に落ちないところではあるが・・・。

                    ***


参考画像:ペーテル・パウル・ルーベンス『キリスト降架』(1611-1614年、アントウェルペン大聖堂蔵)

 家に帰ってから、原画の『キリスト降架』の画像を改めて眺めてみると、聖堂のなかで観るのとはちがい、やはり不気味さばかりが際立ってしまう。それはもちろんぼくに信仰がないからだが、十字架上で絶命したキリストを地上へ降ろすところなど、いかにしても美化しようがないシーンである。

 これだけではあまりにも救いがないので、このあとにキリストは復活するのだということを、是非とも頭に入れておく必要があるだろう。ルーベンスも当然ながら、復活したキリストの絵を描いている(これについては次回で触れる)。

 それにしても、たったひとりの亡骸を降ろすのに、果たしてこれだけの人数が必要なのだろうかと思うぐらい、この絵には人がひしめきあっている。おそらくそれぞれに名前があるのだろうが、ぼくにピンとくるのは、青ざめた顔でイエスの腕のあたりに手を伸ばす聖母マリア(左側の青い衣の人物)、イエスの片足を肩の上にのせているマグダラのマリア、そしてイエスの体を抱え込むようにして受け止めている聖ヨハネぐらいだ。

 ヨハネは赤い服を着て描かれるのが決まりになっているのだろうか、以前エル・グレコのヨハネ像を紹介したときにもそんな姿で描かれていた(「エル・グレコが降臨した場所(4)」参照)。ただ、ルーベンスが描いたヨハネの衣装は、あまりにも赤すぎるような気がする。キリストの体から流れている血よりも赤いのだ。あるいは右下に皿のようなものがあって、なかにキリストがかぶっていた茨の冠が入れられているが、その皿に溜まっている血よりもはるかに鮮烈な赤である。

 人の死を悼むときには、判で押したように黒い衣装と決め込んでいる日本人にとって、このセンスもちょっとわかりにくいものだろう。ただ、版画には色彩がないので、むしろそちらのほうがわれわれの美観にはしっくりする。

 ルーベンスの原画も、実際に大聖堂の暗い灯りのなかで眺めるときには、まったく別の姿をあらわすのかもしれない。聖ヨハネの服を派手だなどと感じるのは、そこらじゅうを光で照らすことに慣れてしまった現代人の世迷い言というべきか。

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