てつりう美術随想録

美術に寄せる思いを随想で綴ります。「てつりう」は「テツ流」、ぼく自身の感受性に忠実に。

若冲に囲まれて(5)

2013年10月14日 | 美術随想

伊藤若冲『竹虎図』

 鹿苑寺大書院の障壁画以外にも、いくつか若冲の絵が展示されていた。そのなかでとりわけ眼を惹いたのが、『竹虎図』だった。

 当時、日本にはまだ虎はいなかったはずだ。しかし、昔から「龍虎」などというぐらいで、龍とセットでよく描かれてきた。龍はもちろん架空の動物だが、虎を実際に見たことがないという意味では、龍も虎も同じように想像で描くしかなかったわけだ。

 ここで思い出されるのが、一休さんの有名なとんち話のひとつである。将軍が一休に向かって「屏風のなかの虎を退治してくれ」と命じ、それに対して一休が「では屏風の外へ追い出してください」と応じたという、あれだ。もちろんその話のモデルとなった虎の屏風が、誰の何という絵だったのかはわからない。ただし、後世のぼくたちが思い浮かべるようなリアルな虎の絵だった可能性は、はなはだ少ないといえる。

 当時の絵師たちが虎を描くに際して、いくつかの手がかりはあった。虎といえば、猫の親玉のような存在だろうというわけで(分類上は虎のほうが「ネコ科」にあたるわけだが)、身近な猫の姿からイメージをふくらませる。あるいは虎の皮の敷物などは日本に入ってきていたらしいので、これが生きて動いていたらどんなふうだったろう、とイメージしてみる。ちょうど、現代のわれわれが生きた恐竜の姿を想像するのと同じように・・・。

                    ***

 若冲の描いた虎は、もちろん現実のものと比べてみれば外見的なちがいはあるかもしれないけれど、その風格というか、群れと交わらずにひとりで(一頭で)足を舐めているというその孤立感が、猛獣の悲哀のようなものを巧みに醸し出しているような気がする。まあいってみれば、鶏の絵にどこかの家族を重ね合わせてしまうのと、さして事情は変わるまい。


参考画像:伝・李公麟『虎図』(正伝寺蔵)

 実はこの虎、古くから伝わる一枚の絵を参考にしていることがわかっている。京都の別の寺にある作者不明の『虎図』がそれで、中国から伝来したといわれているが、ここ最近は朝鮮の絵ではないかという説も出ている。かつて朝鮮半島には虎が生息していたそうなので、もともとは実際の虎を写生して描かれた可能性もある。

 若冲の絵と比べてみると、虎の模様の位置などがよく似ていて、若冲が本物の虎をじっくり観察する代わりに『虎図』を詳細に描き写したことは、まず間違いがない。ただ、まるで女性の長髪のような繊細な毛の描写は彼のオリジナルというべきで、背後で強風になびいている木の激情的な表現は、虎の凄みを倍加する効果を与えているのではなかろうか。ちなみによく観察してみると、その木は例の「算盤竹」のようにも見えるのだが・・・。


参考画像:伊藤若冲『猛虎図』(プライスコレクション蔵)

 なお、数年前に開かれたプライスコレクションの展覧会では、若冲が色つきで描いた『猛虎図』がやって来ていた。こちらは背景までが元の絵と同じであり、細かい毛でびっしりと覆われた虎の質感も、彼お得意の几帳面な筆力で描写されている。

 若冲が朝鮮ないし中国から渡ってきた絵に触発されて描いた虎は、一枚は京都にあり、もう一枚は太平洋を越えてアメリカで“飼われて”いるということだ。今ではパンダの家族が各地に離散してしまうことも珍しくないと思うが、この虎たちの来歴も、なかなかに興味深い。

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