AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

堀ちえみの80年代カバーアルバムを聴く。(ときめき研究家)

2019-05-27 19:00:00 | ときめき研究家
休日の午後、家族が全員出かけていて、一人きりの時間。録画して溜まっているドラマを見るか、それとも何かCDを聴くかと物色していたら、1枚のCDが見つかった。堀ちえみ『80‘アイドル シングルコレクション』。10年くらい前に彼女が出したカバーアルバムである。

聴きながら、このブログに記事を書いているか探したが、見当たらなかった。となると、ブログ開始前か。CDジャケットの文字は老眼には小さすぎて読めない(ハズキルーペが必要?)が、どうやら2005年発売のようだ。とすると、堀ちえみ38歳の時の作品だ。彼女は現在52歳で闘病中だ。

1.魔女(小泉今日子) ※カッコ内はオリジナル歌手
2.渚のライオン(早見優)
3.セシル(浅香唯)
4.話しかけたかった(南野陽子)
5.抱きしめたい(松本伊代)
6.恋のハッピーデート(石野真子)
7.青空のかけら(斉藤由貴)
8.夏色片想い(菊池桃子)
9.ダンデライオン~遅咲きのタンポポ~(原田知世)
10.夏のヒロイン(河合奈保子)
11.ちえみシングルス・メドレー
潮風の少女~夏色のダイアリー~稲妻パラダイス~クレイジーラブ~夢千秒~愛を今信じていたい

選曲が素晴らしい。80年代アイドルの曲を1アイドル1曲ずつ選曲しているが、「代表曲」を少し外した選曲になっていて渋い(3.4.は「代表曲」)。本人が好きな曲、または歌いたい曲を選んだのだと思われる。

80年代アイドルとして時代を作って来た仲間たちのヒット曲を、自分の歌い方で歌っている。1.2.5.9.が同期のいわゆる「花の82年組」。中森明菜と石川秀美がないのが残念。6.10.は先輩。3.4.7.8.が後輩の曲だ。

年齢相応のハスキーボイスで、アイドルポップというよりスタンダード風の歌い方だ。それはやむを得ないと思うし、曲に新たな魅力を吹き込んだとも言える。それぞれの楽曲の良さを再認識でき、充実した時間を過ごせた。
アイドルポップは、オリジナルを歌ったアイドルの歌い方や個性のイメージが楽曲に密接にこびりついていて、カバーは難しいと思う。現役アイドルがカバー曲を歌うステージもあるようだが、良い試みだと思う。素晴らしい楽曲は多いので、再びスポットが当たるのはいいことだ。

15年前にこのような意欲的なアルバムが出ていたことに改めて驚嘆した。
彼女の回復を祈る。
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NGT48はいったいどこまで迷走するのだろう?(ときめき研究家)

2019-05-24 23:03:15 | ときめき研究家
HKT48のシングル『意志』は山口真帆のことを想起して書かれた曲ではないかという妄想を記事にした。しかしそれは妄想ではなく現実だったのだ。それどころか、欅坂46の『黒い羊』もが、山口真帆の心情そのものを表現した曲だったのだ。

5月19日に開催された山口、菅原、長谷川の卒業公演は異例づくしだった。
そもそもたった3人で15曲もの曲を披露する機会など、普通では与えられない。卒業公演とは言え、格別の待遇だ。セットリストを見たが、『ファーストラビット』『ウインブルドンに連れて行って』『完璧ぐーのね』『ハート型ウイルス』『Only today』など名曲、人気曲のオンパレード。彼女達が歌いたい曲を好きなように歌って良いとされたのだろう。練習時間も場所も充分提供されたのだろう。
更には、明らかに山口自身の状況、心情とシンクロしている『黒い羊』で本編を締めくくる。この曲には卒業する3人以外の山口シンパのメンバーも参加した。
そして極め付きが、アンコールの、秋元康がこの日のために書き下ろした『太陽は何度でも』。秋元康は一体どんなスタンスでこの事態に臨んでいるのか。プロデューサーとして事態収束に動くべきだと思うが、むしろ事態を創作のモチベーションにして楽しんでいるようにさえ見える。彼お得意のマッチポンプだ。
彼をもってしても事態収束できない難しい事情があり、彼ができることはせめて卒業する3人に曲を提供することだけだった、というのが事実だろうか。

グループ内の確執を取り繕うこともなく、山口に自由に発言させ、卒業公演を盛り上げる運営の方針は、寛大というか能天気だ。これは、運営としても山口を気の毒に思っていて、せめてもの贖罪なのだと思いたい。しかし、山口の要求する問題メンバーの解雇もできない。どちらにもいい顔をしたいから、このような不可思議な事態に陥っているのだと推察される。ガバナンスの欠如である。

卒業公演後も様々な動きがあった。
加藤美南が「せっかくネイルしているのにチャンネル変えてほしい」という山口への不快感を露わにしたインスタグラムの投稿をして研究生に降格処分、全メンバーがSNS禁止となった。
一方、荻野由佳を殺すという脅迫状を送った男が逮捕された。
長らく隠れていた今村元支配人が週刊誌の取材で何やら弁明をし、早川現支配人がツイッターを開始し、事態収束に動き出す姿勢を見せているが、ファンからは不評を買っている。
もはや、運営、メンバー、ファンを巻き込んだ大混乱、大迷走、カオスだ。まるで団体内の内部抗争もショーの一部として楽しませるプロレス団体の興業のようだ。山口の告発は「マイクパフォーマンス」なのか?いや、さすがにそんなはずはなかろうが、結果的に毎週のようにワイドショーに話題を提供してしまっている。

そしてグループの活動は止まったまま、新曲など出そうもない。
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映画『麻雀放浪記2020』を観る。やはり作品に罪はなかった。(ときめき研究家)

2019-05-12 18:51:30 | ときめき研究家
ピエール瀧が出演しているものの予定通りに公開された映画『麻雀放浪記2020』を観た。
上映館が少なく、しかも短期間で上映終了になりそうだったが、ギリギリで観ることができた。

チケット売り場に「本作品にはピエール瀧容疑者が出演していることを了解ください。」といった掲示があった。また、映画冒頭にも同様の表示が挿入されていた。その時点で「観たくない」と思って退場する人には払い戻しするのだろう。
そこまでして、「観たい人だけが観る」という形を整えての上映には何ら問題がないと思う。

このブログには、以前にも「作品に罪はない」と書いてきた。
映画にしろ、ドラマにしろ、音楽であっても、多くの人の力を集結していったん「作品」として創作されたものは、たった一人の犯罪や不始末のせいで安易に「お蔵入り」などさせてはならないと私は思う。
「作品」は作者たちの手を離れ、独自の生命を持つと思うのだ。

そうは言っても、作品の内容や公開形態によっては、「観たくない人の目にも触れ不快な思いをさせる」とか「犯罪者が主役であって、作品の評価の太宗を担っている」といったことを考慮して、しばらくの間公開を控えるといった判断があっても仕方がないとも思う。しかし永遠に作品の生命を奪う権利は誰にもない。

映画『麻雀放浪記2020』そのものがどうだったのかを書く。ネタバレあり。
1945年の戦後日本で、九連宝燈を上った途端に雷に打たれて2020年にタイムトリップした麻雀打ちの哲(斉藤工)。突然発生した戦争により2020東京五輪は中止となっていた。哲はコスプレタレントのドテ子(チャラン・ポ・ランタンのもも)や彼女のマネージャーのクソ丸(竹中直人)などと出会い、「昭和哲」という学ラン・褌スタイルの雀士としてメディアの人気者になる。真剣勝負の中でもう一度九連宝燈を上って昭和に戻ろうとするが・・・。

荒唐無稽な設定、ストーリーは結構楽しめたが、設定をもう少し丁寧に作り込み、説明してほしかった。2020年に起きた戦争とはどんな戦争だったのか。「平和ボケだった日本はあっという間に負けた」「アメリカの基地があった所を中心に攻撃された」という説明はあったが、敗戦後すぐに普通の日常生活が戻っていたり、憲法改正により自衛隊の国軍化が予定されていたりするが、その間の経緯が想像できない。また、2020東京五輪は中止になったが、その替わりにAI技術を誇示するため麻雀五輪を開催することになったという展開にもついて行けない。
その麻雀五輪開催を画策した組織委員長役がピエール瀧で、気持ち悪い変態風ではあるがそれほど印象的な役ではなく、出演シーンも少なかった。彼のせいで映画全体がお蔵入りになってしまったら、斎藤工も、ももも、竹中直人も、そしてAI内蔵のロボットユキ役のベッキーも気の毒すぎる。

斉藤工は褌姿にもなって熱演だが、いつもの斉藤工だった。それ以上にドテ子役のももが素晴らしかった。本職は姉妹デュオのミュージシャンのようだが、ハスキーな声と体当たり演技に釘付けになった。実質的に彼女が主役のアイドル映画として観ていた。タイムトリップした男に恋するという設定が同じ『時をかける少女』の原田知世に匹敵すると言ったら大袈裟か?竹中直人はこういうB級作品にいつも出ている印象だが、作品に締まりをもたらしていた。AIユキ役のベッキーも怪演と言っていいだろう。

昭和の博徒である哲にとって、2020年は「ヒリヒリする勝負」ができない居心地の悪い時代に感じられた。しかしシマウマとしかセックスできないドテ子も、口先八兆で危ない橋を渡り続けるクソ丸も、ドテ子の追っかけオタク青年も、市井の小博打に興じる子どもたちも、みんなヒリヒリする人生を生きている。時代が変わっても人間の本質はそう変わるものではない。そして哲も、AIユキとの対戦では、人間臭いイカサマ技も駆使して、ヒリヒリする勝負を展開する。
そんな真面目に論評するのも照れくさくなるようなB級映画だ。興行収入を稼いだり、賞を取ったり、後世に残ったりする映画ではない。それはピエール瀧が出演していようがいまいが関係ない。1984年の和田誠監督、真田広之主演の名作映画『麻雀放浪記』とは全く違う。
しかしそんなB級映画でも、公開されてこそ酷評され、呆れられ、それでもまあ良いところもあったななどと語られるのだ。お蔵入りしてしまったら何もなかったことになってしまう。公開を英断した制作者、配給会社、映画館に感謝する。
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4月23日、さくらシンデレラを秋葉原劇場で初観戦。南ララさんの笑顔が素敵。(ときめき研究家)

2019-05-06 18:14:07 | ときめき研究家
10連休前、ナッキーさんに誘われて、秋葉原の劇場でさくらシンデレラの公演を観た。
ナッキーさんは3年前から通っていて、このブログにも記事を掲載している。名古屋発祥のアイドルグループだが、現在は秋葉原と新宿に専用劇場を持ち、毎日公演をしているようだ。

初めて観て、初期のAKB48劇場公演にナッキーさんに誘われて行った時と似たような印象を受けた。初期AKB48劇場公演との共通点、相違点を記す。

共通点。
1.専用劇場を持ち、ほぼ毎日公演をしている。
2.楽曲は全曲オリジナル曲。カラオケを流して歌うスタイル。生で歌っている。
3.歌って踊るスタイル。振り付けが80年代風。(いわゆる今風のダンスとは違う)
4.歌の間にトークが入る。これが結構グダグダでいい。

相違点。
1.劇場のキャパシティ。(AKBは250名、さくらシンデレラは50名程度。)
2.劇場の形態。(AKB劇場は座席+立ち見で邪魔な柱あり、さくらシンデレラ劇場はカフェ形式でドリンクを飲みながら自由席で見られる)
3.1公演の時間、曲数。(AKBは2時間でアンコール含み16曲、さくらシンデレラは1時間でアンコールなしの7曲(私が観た1公演はそうだった))
4.衣装。(AKBは特注の衣装で公演中数回衣装チェンジあり、さくらシンデレラは既製服で衣装チェンジなし(私が観た1公演はそうだった))
5.さくらシンデレラは、公演の合間にはチェキ撮影など触れ合いの時間がある。

コンセプトは初期AKBと非常に似ているが、まだそこまでの人気がないので、狭い会場で比較的緩い運営で公演ができているのだろう。
1時間7曲というのは鑑賞するのには適切なボリュームで、ゆったり座って観られるのもいい。

当日の出演メンバーは5名で、1人1人特定するのにはちょうどいい人数だった。その中では南ララさんが気に入った。若い頃の小泉今日子、あるいは現在の有村架純に雰囲気が似ている。まあその2人は『あまちゃん』で同一人物を演じていたので似ているのは無理もない。要は昭和風のタヌキ顔ということ。歌の時も、トークの時も、素敵な笑顔を見せてくれて、ファンになった。

ファーストアルバムが出ていたので購入して帰った。10連休中、カーステレオで何回も繰り返し聴いた。全10曲だがクオリティーが高く、AKBグループや坂道グループの楽曲と比べても遜色ないと思う。
中でも、シングル曲でもある『未来プロローグ』『夏恋クレシェンド』『桜の木の下で』は出色の出来だ。

『未来プロローグ』は、生命保険の商品名みたいなタイトルだ。夢を叶えるために努力するといったありがちな内容の歌詞で『初日』や『孤独なランナー』と同様。「今日という日は一度だけ 後悔しない」とか、本当にベタな歌詞なのに、素直に感動できる。爽やかな曲調がマッチしていて、音楽の力を感じる。
『夏恋クレシェンド』は、これもありがちな夏の恋を歌った歌詞。サウンドはHKT48『12秒』にどことなく似ている。サビで同じメロディーを畳みかける所が印象的。
『桜の木の下で』はAKB48『桜の木になろう』を連想してしまうような曲名のバラード。卒業ソングではなく、桜の木の下で沢山の思い出を作って行こうという、どちらかと言えば「入学ソング」だ。SKE『手をつなぎながら』に近い。ソロ部分が多く、メンバーの声を聴き分けられればもっと楽しめるのだろうと思う。最近正規メンバーに昇格したという南ララさんは、おそらく参加していない。

その他の曲もコミカルな『ほしがりガール』『ネコカブリーナ』や、自己紹介ソング『さくらシンデレラ』、歌い上げるラブソング『最後の恋人』など、バラエティに富んでいる。10曲というのが、飽きずに聴き続けられる適当な曲数だ。

生で観るのもたまにはいいが、やはり私は楽曲を鑑賞する方が好きな「書斎派」なのだと再認識した。
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松井玲奈著『カモフラージュ』を読む。ネタバレあり。(ときめき研究家)

2019-05-02 16:27:01 | ときめき研究家
元SKE48の松井玲奈が短編小説集を出し、評判だというので、早速購入して読んでみた。
内容や味わいの異なる6編の短編小説から構成されていて、かなり読み応えがあった。

6編とも作者の実体験とはかけ離れたフィクションと思われ、その創作力には感心する。
アイドルでありながら鉄道オタク、アニメオタクとしても有名で、役者としても個性的な役をこなしている。多芸の人なのだろう。
SKE48時代はW松井と言われながらも常に2番手扱いだった。奔放な松井珠理奈に対し大人しいイメージがあったが、卒業後はそういう呪縛からも自由になり、好きな仕事を楽しんでいるような印象を受ける。

彼が泊まるホテルの部屋に手作りの弁当を持参してデートするOLを描いた『ハンドメイド』と、マザコンで潔癖症の元彼のことが忘れないOLを描いた『拭っても、拭っても』の2作が特に気に入った。
2作の主人公は松井玲奈自身と同年代であり、心理描写にもリアリティがあるように思われる。会社勤めなどしたことがないはずだが、いかにもありそうな話だと思わせる。いや、実際にはないのかもしれないが、あってもおかしくないという創作上のリアリティがあるのだ。文章も端正で、難しい言葉は使っていないが軽く読み飛ばすことを許さない奥深さがある。会話もセンスがいい。

他の4編もそれぞれ味わいがある。少年の目から見た大人の秘密をSFチックに描いた『ジャム』、メイド喫茶で働く地方出身者の生活を描いた『いとうちゃん』、夫婦の小さな秘密を描いた『完熟』、ユーチューバー3人組のライブ配信中のハプニングを描いた『リアルタイム・インテンション』、いずれもひとひねりが効いていて、不思議に印象に残る。

芸能人が余興で描いた小説ではない。多芸の人、松井玲奈のまた新たな才能が明かになったというべきだろう。


松井玲奈出演映画『gift』の感想はこちら。
松井玲奈出演映画『笑う招き猫』の感想はこちら。

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