AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

櫻坂46『Nobody’s fault』とカップリング曲を聴く。その2。(ときめき研究家)

2021-01-23 22:14:29 | ときめき研究家
『最終の地下鉄に乗って』。
曲調と歌詞の内容が一致しない曲だ。
アコースティックギターで始まり、鼓舞するようなイントロは私の好きなパターンだ。最終の地下鉄で、生きる意欲を静かに燃やしているような歌詞を予感した。ところが実際の歌詞には全く希望がない虚無的な言葉が続いている。
「人はどうして我慢しながら生きているんだろう」「ドキドキする何かなんてないとわかってしまった」「これからの人生期待なんかしてない」等々。これでもかというくらいネガティブな歌詞が続く。地下鉄のトンネルのように周りに何も見えない人生を重ねている。同じ車両の乗客にも冷ややかな視線しか向けられない。
よく分からないのは「誰もいない世界へ行きたいと思っていた あの頃の僕って病んでいたのかな」という部分だ。今の彼も充分「病んで」いるように思えるが、その彼から見てももっと悪い状態だったのだろうか。誰もいない世界とは死後の世界のことなのか。それと比べれば、「どうせいつか死ぬんだから今すぐ死んだりはしない」という認識は「病んで」はいないのだろう。
希望は何もないけど、とりあえず生きて行くというニヒルぶった言い方で、実は小さな希望の種だけは隠し持っている、そういう歌詞だと解釈しようか。

『Plastic regret』
この曲も曲調と歌詞の内容が一致しない曲だ。
ピコピコした可愛らしいサウンドなのに、歌詞の内容はシビアな失恋の歌だ。彼の心変わりを知らされて、動揺しつつも強がっているという内容だ。プラスチックのように、思ったより弱くないと自分のことを歌っている。
可愛らしい曲調からは『バスルームトラベル』を思い出した。

『半信半疑』。
この曲も曲調と歌詞の内容が一致しない曲だ。
シリアスなサウンドで、深い苦悩などを歌った曲かのようだが、実はそんな深刻な歌ではない。突然告白されたが、彼が本気なのか、打算があるのではないか、半信半疑になっている奥手女子の歌だ。嬉しいことは嬉しいのだろうが、自分に自信がないのか、彼の気持ちを疑ってしまう。誰でもよかったのではないか、計算通りに自分の心を弄んでいるのではないか、そういう防衛本能で自縄自縛になっている。その挙句の総括が「恋愛って面倒」というのもとても残念だ。この固いバリアーを、彼は果たして突破できたのだろうか。

『なぜ恋をして来なかったんだろう』。
この曲は曲調と歌詞が一致している。
これまで恋など馬鹿にして来たが、実際に恋してしまったらその素晴らしさに舞い上がってしまっているという女子の歌だ。とりとめなく取っ散らかった早口の歌詞、自由奔放なメロディーが舞い上がった感じをよく表している。「さーかりのついた猫」とか、はちゃめちゃだ。
『半信半疑』の彼女が、半分の疑いを払拭できたら、こんな風になってしまうのかもしれない。
「誕生日、クリスマス、バレンタインデー」という3大イベントデーが久しぶりに登場している。(『1・2・3・4ヨロシク』『気づいたら片思い』にも登場。)

『Buddies』。
嵐が去ったこの世界は美しく希望に満ちている、仲間よ一緒に歩いて行こう、と語りかける歌だ。
欅坂時代の2枚目のシングル『世界には愛しかない』を、すぐに連想した。
色々あって、1年以上シングルが出せず、平手友梨奈が脱退し、グループ名を変えて再出発。そんなグループ自身のことを歌っているとも解釈できる。
1番は「We are buddies 仲間だ」と呼びかけているが、2番では「We are friends 友よ」と歌っている。仲間と友はニュアンスが違うはずだが、なぜわざわざ違う言葉を使っているのか。こじつけるなら、buddiesは現在の櫻坂のメンバーのこと、friendsは平手友梨奈をはじめグループを去ったメンバーを指しているのでは。彼女たちは共に戦う「仲間」ではないが、今も「友達」なのだというメルヘンを深読みした。

過去記事
櫻坂46『Nobody’s fault』とカップリング曲を聴く。その1。(ときめき研究家)

櫻坂46『Nobody’s fault』を聴く。(ときめき研究家)

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櫻坂46『Nobody’s fault』とカップリング曲を聴く。その1。(ときめき研究家)

2021-01-17 19:37:16 | ときめき研究家
『Nobody’s fault』については一度感想を書いた。(過去記事)
「誰か他の人のせいじゃない、自分自身の責任だ」と、他人に流されずに自立して生きて行く覚悟を歌っていて、これまでの欅坂46のシングル曲のコンセプトを引き継いでいる楽曲なのだと解釈していた。

しかし、大サビの歌詞には引っかかっていた。
「どんなに深い森も1本の木が集まってできているんだ・・・・・自分のせいにもするな」。
他人のせいにするなと言いながら、自分のせいにもするなとは、一体どっちなのだろう。1本の木と森の喩えは、何を言いたいのだろうか。自立して自分の意志で生きようとしても、俯瞰して見れば森の中の1本の木に過ぎず、大勢の中に取り込まれてしまっているということか?自分を責めず、もっと気楽に流されて生きればいいという悪魔の囁きか?

「誰かのせいにしても1つが残る椅子取りゲーム それならいっそ孤独を選びな」という歌詞も難解だ。椅子取りゲームとは何ぞや?責任の押し付け合いをしても、結局自分自身の責任は1つ残っているということか?
難解な歌詞を色々考えながら聴くのも楽しみの1つだ。1回聴いただけで全部わかってしまうのも味気ない。多様な解釈を可能としている曖昧な楽曲だ。

ふと、平手友梨奈が最後に参加したシングル『黒い羊』を思い出した。
「全部、僕のせいだ」という慟哭のような歌唱。グループの中で孤立していたとかいった情報もあったようだが、その真偽には興味ない。しかし、「全部、僕のせいだ」と歌った直後にグループを去ってしまった彼女の影を『Nobody’s fault』にも感じてしまう。「自分のせいにもするな」という曖昧な歌詞は、彼女のように自分を追い詰め過ぎないように挿入されているのかもしれない。

カップリング曲も、何回も繰り返し聴いて、ようやく良さが分かって来るような曲ばかりだ。

『ブルームーンキス』。
月のきれいな夜に初めてキスをしてしまった後の、気まずい雰囲気を描いた楽曲。こんな雰囲気になるのならキスなどするべきではなかった。いや、遠回りした時点でキスをする予感があったのだから、まっすぐ彼女を送って帰ればよかったのだ、などと理屈っぽくうだうだ考えている。
でもそれは彼の独り相撲だ。「何か話さなければ最悪の日になる」と焦っているが、全くの思い違いだ。「くちづけのその後でお喋りはしないで」と桜田淳子も歌っている(『はじめての出来事』)。こうなることは彼女も予感していたはずで、むしろ期待通りなのではないだろうか。気まずくなることなく、平然として余韻を楽しむくらいでいいのだ。まあそれができないのが奥手男子の悲しいところなのだが。

曲調も変わっている。Aメロ、Bメロは深刻ぶったおどろおどろしいメロディー、編曲だ。それに対し、「あ、キスしちゃった」という台詞をはさんだサビのメロディーは大らかで、その切り替えが印象的だ。でもその大らかなメロディーに乗る歌詞が、理屈っぽいうだうだした後悔の独白というのがこの曲の面白さなのだろう。

そのほかのカップリング曲については、また改めて。
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2020年紅白歌合戦の感想など。(ときめき研究家)

2021-01-03 19:42:47 | ときめき研究家
昨年の大晦日もNHK紅白歌合戦を見た。

三山ひろしの歌唱時のけん玉ギネス挑戦は4年連続だった。1年目に失敗し、2年目に見事成功。そこでやめておけばいいのに、3年目に挑戦し、案の定失敗した。4年目の今回は成功。今度こそ、これでやめたほうがいい。

何だかんだ言って一番楽しみにしていたのはNiziUの『Make you happy』だった。たぶん生歌だったと思うが、ダンスしながらしっかりした歌唱だった。メンバーの顔と名前は依然として1人も一致しない。歌詞の字幕が出ていたのでよく聞き取れた。
その次の瑛人『香水』も、初めてフルコーラスで聴いたが、印象に残った。3年ぶりにLINEが来て、実際に会ったのだろうか。香水の匂いのせいだと言っているのだから会ったのかと思ったが、全て回想だという解釈もできる。お経のような平板なメロディーと「ドルチェアンドガッバーナ」の部分が独特。
この2曲とも、動画配信で人気になったというのが今日的。CDのミリオンにこだわり続けるAKBグループとは対照的だ。

日向坂46と櫻坂46は2組続けての出演で、まあいつも通りのパフォーマンスだった。
乃木坂46は、レコード大賞の優秀作品賞を受賞した『世界中の隣人よ』ではなく『Route246』を披露した。コロナ禍のメッセージソングばかりだったので、全く違う曲で良かったと思う。

松田聖子の『瑠璃色の地球』は1986年の楽曲だが、今にふさわしい曲。「1つしかない私たちの星を守りたい」というメッセージは、コロナ云々以前に、SDGsが注目された2020年にぴったり。当時の美しい高音は出ておらず、たぶんキーを下げていたのだろうが、変なタメは作らず丁寧な歌唱だった。

GReeeeNが初めて顔出しでテレビ出演ということだったが、何だか動きが不自然だった。どうやら本人たちをイメージしたアバターの動画を見せていたようで、まあ言ってみれば、映像は去年のAI美空ひばりと同じで、歌だけは本人たちが歌っていたのだろう。紛らわしいので、ちゃんと説明してほしかった。

後半は1曲の尺が長く、フルコーラスを歌う歌手が多かった。それは良いことだ。
コロナの影響で、出演者を減らし、応援合戦や、変な余興も少なくなって、歌唱中心の内容になったのは良かった。
色んなタイプの歌手が出演し、古い歌、新しい歌を混在して披露する。それが紅白歌合戦なのだろう。無観客でも、1か所に集まらなくてもいい。今年は夜中に出かける人も少なかったからか、視聴率も少し上がったのは何よりだった。


2015年紅白歌合戦の感想 
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