AKB48 チームBのファンより

鈴木紫帆里さんを中心にAKB48 チームB について語るサイトです。

平手友梨奈が欅坂46を脱退。渋谷PARCOが営業再開したから?(ときめき研究家)

2020-01-25 18:40:14 | ときめき研究家
欅坂46の平手友梨奈が突然脱退を発表した。「卒業」ではなく「脱退」なのは本人の意向らしいが、脱退の理由や今後についての情報は少なく、様々な憶測を呼んでいる。

私は生身派ではないので、平手本人の気持ちには興味はない。企画派として、欅坂46の作品やパフォーマンスの観点から考察してみたい。

平手が欅坂46の絶対的エースだったのは間違いない。全てのシングル曲でセンターを務め、圧倒的なパフォーマンスを示していた。「メッセージ性が強い」と言われる楽曲は、欅坂46の特徴となり、平手個人の(演出された)個性と重なり合って定着していた。乃木坂46は複数メンバーが代わる代わるセンターを務め、バラエティ豊かな楽曲を発表しているのと対照的だ。
『サイレントマジョリティー』『不協和音』『ガラスを割れ』『アンビバレント』『黒い羊』、どの曲も、周囲からの抑圧に反抗し、自らの鬱屈した自意識を抱えた生き辛い青春を描いた楽曲だ。1曲ごとの濃度が高く、真剣に聴くと息苦しさを感じる。こうした歌が続き、煮詰まった印象すら受ける。

平手のソロ曲も同様だ。『山手線』『渋谷からPARCOが消えた日』『夜明けの孤独』『自分の棺』、そして主演映画『響-HIBIKI-』の主題歌『角を曲がる』。グループのシングル曲より更に濃密な楽曲ぞろいだ。

それが平手というアーティストのイメージであり、個性である。そのイメージを大事にするのなら、予定調和で仲良く平和な「卒業」は確かに似合わない。楽曲と同じように、欅坂46というグループの枠にも収まり切れず、はみ出してしまったという形での「脱退」を選んだのではなかろうか。
だとすれば、平手が今後も芸能界に身を置くのであれば、引き続き同じような個性を出していくのだろう。
一方、欅坂46というグループは、グループの基本カラーが大きく変わることになるだろう。第二、第三の平手を作って基本カラーを維持する道もあろうが、迫力で劣る恐れが強い。だったら思い切ったカラーチェンジが得策なのではないか。

『渋谷からPARCOが消えた日』は、2016年、渋谷PARCOが閉店した直後に発表された。
その曲では、一度消えたPARCOが営業再開する日のことを「その頃 私は大人」と歌っていた。2019年11月、予定通りリニューアルされたPARCOが開業した。それに背中を押されるように、大人になった平手は「脱退」を決意したのかもしれない。

もう1つこじつけを。
『山手線』では、「どこで降りれば正しいのかな 何をしたいのかみつからない」と歌っていたが、ようやくやりたいことが見つかったのかもしれない。そして降りる駅は、既存の駅ではなく、2020年3月に暫定開業する高輪ゲートウェイ駅に違いない。

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NHK大河ドラマ『いだてん』は骨太ドラマ。(ときめき研究家)

2020-01-13 16:15:20 | ときめき研究家
昨年のNHK大河ドラマ『いだてん』は低視聴率だったが、私は毎週楽しく見ていた。年末に総集編が放送されたので改めて見たが、1年間の物語が思い出され、改めてよいドラマだと思った。(本放送時にピエール瀧が演じていた足袋屋の前半シーンも、三宅弘城で撮り直してあった。)

日本人が初めてオリンピックに参加し、そして日本で初めてオリンピックを開催するまで、明治から昭和にかけての年月を描いた正に大河ドラマだ。前半の主役は金栗四三で、後半は田畑政治ということになっているが、全体を通して存在感があった中心人物は何と言っても嘉納治五郎だろう。優れた柔道家であり、国際的な知名度・人脈があり、オリンピックへの情熱は誰よりも深い。東京オリンピック開催を生きて見ることはできなかったが、田畑はじめ多くの人々が彼の悲願を実現させた。

もう一人の主人公は古今亭志ん生だろう。そもそもこのドラマの構成が、志ん生が弟子の五りんに語って聞かせる長い長い話(落語)ということになっていた。総集編の冒頭を見て気が付いた。その構成が分かりづらいとか、志ん生を演じたビートたけしの滑舌が悪いとか批判もあったが、その構成がドラマに立体感を与えていたのは事実だ。選手(金栗)や役員(田畑)といったインサイダーではなく、アウトサイダーである一般国民の視点を志ん生が体現していたのではないか。

オリンピックに対しては、批判的な視点が目立った。
「大規模な運動会」「平和の祭典」といった本来の理想に対して、時に政治に翻弄され、戦争により中止に追い込まれた史実をシニカルに描いていた。象徴的なのは1940年にオリンピックを開催するはずだった旧国立競技場で、学徒動員の出陣式が行われたシーンだった。
一方、「国を代表して出場」「国民の期待を背負う」ことの重圧、残酷さも、金栗四三、人見絹江、前畑秀子らのエピソードを通じて繰り返し描かれた。近年は「自分のために頑張る」「オリンピックを楽しむ」と語る選手も現れているが、好むと好まざるとを問わず背負わされている現実は変わらないのではないか。
前畑の重圧を知った田畑が、「頑張れ」と言わないように気を付けていたが、結局は有名な「前畑がんばれ」の大合唱に流されてしまうというシーンが象徴的だった。
娯楽性も高い中、考えさせることも多い、重厚で骨太なドラマだったと思う。

史実にはない役を杉咲花が好演していた。金栗に影響を受けて自分もオリンピック出場や女子選手の育成を目指したが、関東大震災で亡くなったシマ。シマの娘で、金栗の弟子である小松と結婚するりく。親子二役を一人で演じた。そしてりくの息子が五りんという設定だ。シマとりくが金栗と志ん生を繋いだ。

元AKB48の川栄李奈は五りんの恋人役をそつなくこなしていた。最終回ではシマのひ孫を出産していたが、その子はオリンピック選手になれるのだろうか。

2020年、いよいよ2度目の東京オリンピックだ。金メダルの個数とか、どうでもいい。平和とスポーツの祭典で、スポーツ本来の感動を数多く味わえることを願っている。
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AI美空ひばり再考。蘇った美空ひばりは52歳か、82歳か?(ときめき研究家)

2020-01-05 17:44:16 | ときめき研究家
昨年のNHK紅白歌合戦に登場した「AI美空ひばり」について、改めて考える。

多くの人々が昭和の大スタア美空ひばりを懐かしむ気持ちはよくわかる。
そういう人々は、今も当時の音源や映像を見聞きして懐かしんでいるのだと思う。その延長として、彼女がもし現在も生きていたとしたら歌ったであろう「新曲」を聴きたいと考えるのも自然だ。その欲求に応えたのが今回の企画である。
1点曖昧な点がある。美空ひばりは1989年に52歳で亡くなっている。意外に若かったのだ。今回の企画は、「52歳で亡くなった美空ひばりが52歳のまま現在に蘇った」のか「30年経って82歳になった美空ひばりが現世に戻って歌った」のか、どちらだったのかは説明されていなかったと思う。
外見は52歳当時のままのようだった。また、AIが学習した過去の声や歌い方も52歳までの彼女のしかなかったはずだから、再現できたのも理論上は52歳だと考えられる。
ところが、秋元康による歌詞では「あれからどうしていましたか? 私も年を取りました」と歌っている。だとすれば82歳という設定なのか。秋元康としては、彼自身は2019年に生きている訳で、『川の流れのように』を書いた30歳の彼とは違う。自分が30歳に戻れないのであれば、美空ひばりが生きたであろう30年間を想像し、82歳になった美空ひばりに宛てて書いたのではないか。また、美空ひばり自身が、常に新しい曲調に挑戦するような進歩的な歌手だったから、52歳で止まっていることを想像しにくかったのではないか。
52歳なのか82歳なのかは曖昧なままだ。敢えて言うなら、肉体は52歳のまま、精神は82歳ということなのだろう。
新曲を作ったのは秋元康をはじめとする現代のクリエーターたち。ボーカロイドに美空ひばり風の歌い方を学習させたのは現代のシステムエンジニアたちだ。面白い企画ではあったが、純粋に新たな一つの創作活動に過ぎない。物まね芸人が美空ひばりの特徴を捉えて真似して歌うのと本質は変わらない。
「蘇る」と言っても、遺伝子操作やクローンといった生命倫理に関わるような行為ではない。このあたりで留めておくのが良いと思う。

これがアイドルだとどうなるだろう。
紅白歌合戦に出演した竹内まりやが歌う『いのちの歌』の背後に、岡田有希子と竹内のツーショット写真が映し出されていた。岡田有希子は1984年デビューのアイドルで、1986年4月、18歳で自ら命を絶った。竹内は彼女に、デビュー曲『ファーストデイト』をはじめ多くの楽曲を提供していた。昨年、それらの楽曲をセルフカバーしたアルバムを出したことでもわかるが、思い入れの深い歌手だったのだろう。
竹内まりやが岡田有希子に歌わせるための新曲を書き、「AI美空ひばり」と同様の技術を使って「AI岡田有希子」に歌わせたとしたら、私はどう感じただろう。

この場合、年齢は曖昧にできない大きな問題になる。18歳なのか51歳なのかでは全く違う。
アイドルファンとしては18歳の彼女が蘇って、アイドルポップを歌うという企画であってほしい。竹内まりやも、きっと18歳の彼女のイメージを持ち続けていて、新曲を書くとしたら18歳の彼女に歌ってほしいと考えるのではないか。
私の持論は、「アイドルの輝きは一瞬」というもので、その一瞬を見逃さないように鑑賞することが重要だ。「アイドルは長続きしない」ことを批判として言う人がいるが、「刺身は長持ちしない」ことと同様に批判になっていない。もちろんその時々の魅力を発しながら、長くアイドルを続ける稀有な例もあるが、数年または数カ月で活動を終えるアイドルであっても鮮烈な輝きを放ち、長く印象に残る例もある。
だから、18歳の輝いていた瞬間に充分な作品を残せなかった岡田有希子が、AI技術で蘇り、竹内まりやが作った新曲を歌うことができるとすれば、AI美空ひばり以上に意義深いことと考える。


2019年紅白歌合戦の感想はこちら

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2019年紅白歌合戦の感想など。(ときめき研究家)

2020-01-02 20:03:42 | ときめき研究家
昨年の大晦日もNHK紅白歌合戦を見た。

三山ひろしの歌唱時のけん玉ギネス挑戦は3年連続だった。1年目に失敗し、2年目に見事成功。そこでやめておけばいいのに、3年目に挑戦し、案の定失敗した。2年目の記録を1人だけ超える新記録を目指すなんて、ハイリスクローリターン過ぎる。失敗した時のダメージを1年目に学習したはずなのに、わざわざまたリスクを取りに行くとは賢明でない。そもそも、けん玉が気になって誰も歌を聴いていない。
大皿に乗せるだけは、けん玉の得意な人にとっては簡単な技なのだろうが、生中継で、1人でも失敗したらアウトという状況では、プレッシャーで体も思うように動かなくなるのだろう。今回失敗した人も、まさにそんな感じで動きがぎこちなかった。「来年またチャレンジ」という流れになっていたが、これで三山ひろしは次回も出場できることが確定なのか?

松田聖子は、前年に引き続き、アイドル時代のアップテンポな曲の4曲メドレー。『時間の国のアリス』と『ロックンルージュ』は、紅白に出演していた松任谷由実作品で、配慮があったか。加えて『チェリーブラッサム』と『夏の扉』。選曲は良かったのだが、キーをかなり下げていたと思われ、往年のハイトーンは聴けなかった。それはやむを得ないが、エコーのかけ過ぎで、カラオケルームのような雰囲気だったのは残念。前髪を下ろして、メイクもやや控えめだったのは良かった。昨年はシングル曲限定のコンサートもやっていたようで、その路線が、私も含めた昔からのファンのニーズには合っていると思う。

AKB48は世界中の48グループメンバーと一緒に『恋するフォーチュンクッキー』を歌った。2年続けて、その年に出した曲ではなく、グループの代表曲を歌ったことになる。紅白歌合戦の常連メンバーになった証だが、世の中で認知される新曲がなかったということでもあろう。

坂道グループは3グループ揃い踏みで、今の勢いを感じた。
そのうち欅坂46は、2年前に複数メンバーが過呼吸になった曰く付きの『不協和音』を披露。ただ、この曲を「神曲」だとか過剰に評価し、特別に激しいパフォーマンスだとするのには疑問がある。ぶっちゃけ口パクで踊っているだけだし、この曲だけが特に消耗するとは思えない。
『不協和音』は私も好きな曲だが、同様にメッセージ性の強い曲で、今年出した唯一のシングル曲『黒い羊』を聴きたかった。

松任谷由実は前回に続いての出場。ラグビーワールドカップに因んで、『ノーサイド』を披露した。この曲は大学ラグビーのリーグ戦最終戦を歌った曲で、当時大学ラグビーは人気があったのだ。いい曲だとは思うが、前回の彼女のパフォーマンスに比べれば物足りなかった。
今回の紅白歌合戦には、ワールドカップメンバーが大勢出演し、いろんな場面でコメントを求められていた。ラグビー人気を定着させるために出演しているのだろうが、むしろ紅白がラグビー人気に便乗しているみたいだった。

「AI美空ひばり」には色々と考えさせられた。
没後30年を経て、彼女が現在に蘇って新曲を歌ったらこうなるという企画で、イタコのような、ちょっと怖い企画だった。
プロデュースと作詞は秋元康。彼は、こういう状況に応じて求められる作品(「TPOソング」とでも言うべきか)を作ることには非常に秀でている。この企画にふさわしい、注文通りの楽曲だった。「あれ から~」というサビは妙に耳に残っている。
AIの定義は非常に幅が広いが、この企画では、過去の美空ひばりの歌い方、喋り方、動きを学習したコンピュータが、秋元康が作った新曲を自動演奏するというものだった。既にあるボーカロイド技術の範疇内だったと思う。自分で意志を持って動く訳ではない。演奏するたびに細かな表現が変わったり、目が合った客席の客に手を振ったり、そういう生身の人間のようなことはできないものだ。
まあ、でもこの程度でとどめておくのが良いのだと思う。生前の彼女のファンだった人達にとっては、過去の映像を見て懐かしむことより、少しだけ臨場感のある体験になったのだと思う。


2018年紅白歌合戦の感想はこちら
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