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谷村新司を偲んで。(ときめき研究家)

2023-10-20 21:15:09 | ときめき研究家
谷村新司が亡くなった。このブログでは、彼がアイドルに提供した作品について語りたい。
とは言っても、彼のアイドルへの提供曲はごく僅かで、私が思い浮かべることができたのは以下の3曲だ。

山口百恵『いい日旅立ち』(1978年)。
言わずと知れた大ヒット曲。今回の報道時にも、谷村新司の代表曲として挙げられていたし、山口百恵にとっても代表曲の1つと言える。長く歌い継がれている国民的ヒット曲だろう。
当時の山口百恵は、さだまさし提供の『秋桜』では結婚前日の母親への感謝を、『いい日旅立ち』では人生の旅立ちの決意を、いわば日本的な湿度の高い感傷を歌い上げていた時期だ。阿木燿子・宇崎竜童コンビの『プレイバックPART2』『絶体絶命』のような、ハードボイルドな世界とは全く異なる歌だった。どんな歌でも主人公になりきって歌える、アイドルという枠を超えたカリスマ、国民歌手というべき存在になっていた。
『いい日旅立ち』は国鉄のPRソングで、旅情を感じさせるが、歌詞の中で列車や鉄道とは一切歌っていない。むしろ人生の旅立ちといった風情が強い。曲調は暗く、声域も低く、一歩間違えば陰鬱としたメロディーとも言える。よくこの曲を山口百恵サイドがOKしたものだ。そういう意味で『昴』とも近しい印象の歌だ。しかしそれこそが谷村新司の真骨頂なのだろう。

柏原芳恵『花梨』(1982年)。
1980年デビューの柏原芳恵(デビュー時は、よし恵)は、同期の松田聖子、河合奈保子と人気を分け合ったアイドルだった。当時、現天皇がファンだったことでも知られる。
中島みゆき提供の卒業ソング『春なのに』が有名だが、この『花梨』も一種の卒業ソングと思われる。卒業して上京した幼なじみを思い続ける少女の歌だ。いつしか彼からの手紙が途絶えるが、彼の負担にならないよう「私もボーイフレンドができた」と嘘をつく心情がいじらしくも少し怖い。「カリン カリン」と弾むようなメロディーは可愛らしくはあるが、やはり物悲しく響く。

松浦亜弥『風信子(ヒアシンス)』(2004年)。
最後のソロアイドル松浦亜弥に、どういう経緯で谷村新司が曲を提供することになったのかは分からないが、奇跡的な出会いが名曲を生んだ。
この曲も卒業ソングである。しかし学生時代を懐かしむより、未来を展望する色合いが強い。「いつも65点の私は何色だろう?」「私はいつか私らしい風になる」というフレーズが印象的。岐路に立つ自分を客観的に見つめ、前を向いて歩きだす姿勢が凛々しい。谷村新司的な翳りのあるメロディーが、松浦亜弥のドライな歌声で中和されて心地よく響く。

改めて振り返れば、3曲とも別れや旅立ちを歌った曲だ。3曲の主人公は3人とも一人きり、孤独だ。それは谷村新司の世界観を反映しているのだろう。そして、一聴するだけでわかる、独特の谷村新司ぶしというか、翳りのあるメロディーラインが埋め込まれている。職業作曲家ではないシンガーソングライターは、他人への提供曲であっても独自の色が出ている方が望ましい。依頼する側もそれを求めているのだから。

最後に、谷村新司に『風信子』のサビの歌詞を贈りたい。「ありがとう あなたがくれた全てにありがとう」。
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