夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

今日は、二人の『母親』の命日です。

2018-07-31 22:10:01 | 日記・エッセイ・コラム

       今日は二人の『母親』の命日です。

 

平成二年七月三十一日没 享年67才

戒名  安養貞成大姉    私の母親

 

 

平成二十八年七月三十一日没 享年88才

戒名 和峰貞寿大姉     夫の母親

気品ある珍しい色の朝顔の花

上の方に上を向いて咲いていますので、誰にも見られずに、萎んでいきます…

(当てずっぽうに、カメラを花の方に抜けてシャッターを数回切ったら偶々一枚こんなに綺麗に撮れていました。

もっと下。私たちの目線近くで咲いてくれると良いのですけれど…)

    

二人の母親の命日が全く同じと言う偶然。

戒名迄同じ貞の文字。

 

           殆ど同じ時代を生きた二人の女性。

夫の誕生年も大正9年と同じ。

 昭和23年8月に10日違いで次男出産と

当時の日本の女性の平均的な経験をしています。

が、二人の母親はとても

対照的です。

私の母は『家』と言う枠の中で、百姓として一生を終わりました。

昭和41年12月25日。46才の夫が脳出血で倒れその夜に急逝。

母は43才、私は13才でした。姑と四人の子供たち。

家の為に、地べたに這いつくばって、作物や子供たちを育てました。

 

平成2年7月14日夜クモ膜下出血で倒れ僅か18日間の闘病生活で急逝しました。

倒れた日にも、猛暑の中、二番茶のお茶の袋を担いで夕方迄働いていたそうです。

67才の母親が炎天下一日中重いお茶の袋を担いでいたと思うと

今でも可哀想で、申し訳無くて涙が自然に出て来ます。

 

      

こんな風に咲いていると折角の美しい花が、台無しですね……

  夫の母親は数年間の入院生活。

89才の誕生日を目前にして亡くなりました。

 

 正直なところ、嫂を始め周囲の関係者はみんなホッとした様子でした…

元々プライドが異常に高くて天の邪鬼の性格の女性でしたが、

昭和56年2月52才の時に60才の舅を亡くして未亡人になってからは、

より一層自分中心の考え方に凝り固まって、言いたい放題、遣りたい放題。

義兄には、「お母さんは人を受け入れない人だから。」とまで言われていました。

舅の法事どころか盆や彼岸の供養墓参り迄疎かにしていました。

     気の毒な人

   一昨日の日曜日

庭に咲いている沢山の花々を持って、富士霊園の夫の両親のお墓。

故郷沼津市の私の両親を始め多くの御先祖様達の眠るお墓参りに連れて行って貰いました。

台風通過後のお墓を綺麗に拭き清めて、手作りの花束やお線香を供えると、

自然に亡き姑が気の毒に思えて来ました。

  何時も常識外れで、半分異常とも思える発言や行動の連続の姑でしたが、最後の電話は真剣そのもの。

お母さん大丈夫かしらと不安になったほどです。

Гアンタにも色々意地悪したけど、アンタの方がよっぽど良かった!

息子(ケビンの本名)を宜しく。」

※誰と比較しているかと言うと、義兄の最初の奥さんや二番目の奥さん。

何時も何時も、Г私は、お父さんのいない子なんかと結婚したくなかった。」とか

罵詈雑言。未亡人の母が夜なべして縫って持たせてくれた着物に「何時も田舎臭いのばっかりなんだから!?」

とか普通の感覚の人の思い付かない半狂人の台詞の連続でした。

   今は、姑への怨みなどは 『あんまり』無くなっています。

※全く無くなった訳ではありません!!

私の母や兄弟親戚友人その他関係者に行った数々の無礼な行動や発言に対しては、物凄く嫌悪感を抱いています。

 

ああならないようにしようと言う私の反面教師。

私の大切な配偶者をこの世に産み出してくれた生物学的な母親。

非常識な発言や行動を注意したり、制止してくれる人たちも周りにいなければ、

本人が気付く以外仕方が無いのですから、姑もある意味被害者なのでしょう…

 

 

                   忘れることの有り難さ

姑が旅立って丸二年。

本来ならば三回忌です。

 

私も年を重ねて来ましたので、忘れることも多くなりました。

新しいことを覚える為には、何かを出さないと容量が足りなくなって来ています。

負の言葉や嫌な思い出。

悲しかったことや辛かったことなど。

捨てて

棄てて

忘れて

行きたいと思っています。

                私色に咲いて

二人の母親とも違う私色の明るい朝顔の花。

『母親』『妻』『祖母』等色々な枠の中で生きています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


富士山で働く人々

2018-07-30 22:54:51 | 日記・エッセイ・コラム

今朝の富士山

2018年7月30日(月)

朝8時前の富士山

自宅裏庭から頂上付近を拡大

今朝も夏富士がハッキリ見えました。

 

 

              安全な富士登山の為に

登山客の安全な登山の為に、地元の大勢の方々が奮闘中です。

先日、登山客の安全な登山の為に登山客を誘導していた富士宮市の71才の男性が、下山中体調不良になり救助隊が救助に向かいましたが、低体温症の為に亡くなりました。

本当にお気の毒です。

山麓に住み毎日富士山を見て過ごしている地元民にとっても、決して侮れない日本一の山なのです。

どうぞ万全の準備と無理のない日程で登山して下さい。

            富士山で働く人々

山小屋の経営者。

冬の間は麓で暮らし、夏の間は山小屋に常駐しています。

同居介護中の母親は老人施設に預けているとのこと。

 

                             山小屋のアルバイト

山小屋経営者の隣の家がお嫁さんのお母さんの実家と言う縁で、

ケビン家三男のお嫁さんは、高校の夏休み中、富士山五合目の売店でアルバイトをしていたそうです。

 ※送迎は、各種の荷物を五合目迄運ぶ車に便乗とのこと。

 

 毎日富士山五合目迄車で往復していた。。。。。。。。。。。。。。

     すご~い

富士山五合目迄車で行った事のある人は解ると思いますが、

行きは、真夏から晩秋。或いは冬。ストーブの世界。

帰りは、真冬から、炎天下。灼熱の世界。

行きはヨイヨイ帰りはコワイの世界なのです。

オマケに道は急なカーブの連続が続く危険な山道。

私は何度行っても事故や落石等が怖ろしくて車酔いしてしまいます。

気圧も下がって来るので、余計に酔ってしまうのです。

降りて来る時には、耳がツーンとして気持ちが悪くなります。

 

 

   外国人登山客に対する通訳者

病気や怪我、登山のマナーや入山協力金の呼び掛け等

外国人登山客に対する通訳者が必要になって来ました。

長男のお嫁さんは

中国語、英語、日本語を話しますので、通訳もしています。が

富士山五合目の仕事は、何と朝4時迄に自分で運転して現地集合とのこと。

車で息子と五合目迄行って、とても無理と震え上がったそうです!

 良かった!

大型客船でやって来た外国人客を、御殿場のアウトレットやあちらこちらの観光地に案内している方が

安全ですし、家族もみんな安心しています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


災害への備え

2018-07-29 21:30:10 | 日記・エッセイ・コラム

              災害への備え

富士市防災ラジオ

市役所で購入しました。

枕元に置いています。

灯り各種左から

懐中電灯、ランタン、

電気提灯

右側白い物は、差込型の懐中電灯

玄関の机の上に置いています。

 

セニアカーもガッチリ厳重に雨への備えをしています。

ケビン家では、常に災害に備えて非常食や、常備薬、等も準備しています。

収納方法等と一緒に記事にしたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

 


台風が通過しました

2018-07-29 20:46:28 | 日記・エッセイ・コラム

                         台風が通過して

2018年7月29日(日) 午後4時過ぎ

自宅裏庭から見える富士山

 頂上付近を拡大して撮影しました。

白く見える建造物は、旧富士山測候所跡です。

 

 午後3時過ぎ、何事もなかったかのように富士山が顔を出しました。

 嵐の後は清々しい富士山が見えます!!

強風が、汚れを吹き飛ばし、雨が洗い流してくれるからだと思います。

 

  呑気な事を言っている場合ではありません!

 

 

              2018年7月29日(日)

朝恐る恐る玄関を開けてビックリ…

大きな植木鉢五個は、プラスチック製も陶器の鉢も全部北側から南側に倒れていました。

 

コスモスも折角花が咲き始めて来たのに、転倒してしまいました。

 

支柱は、北から南方向に曲がっていました。

 

ケビンは朝一番に、山の家、畑、街中の事務所の被害状況を確認する為に出掛けました。

幸い大きな被害はなかったようです。(ホッ)