夢見るタンポポおばさん

富士山麓の風景、花の写真。エッセイ。

冥福を祈る

2011-07-31 23:59:35 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は私の母親の命日です。

故郷の小さなお墓の前の薬師堂の薬師様。

墓参に行くと丁度掃除をしていらして、参拝させて頂きました。

この薬師様の真後ろに私の両親を始め、ご先祖様が眠っています。

母が逝ってもう二十一年も経ちました。

「いくつになっても母との別れは辛い。」

九十余歳のお婆さんが亡くなった時、七十何歳のお婆さんがしみじみと言っていました。

お母さん、

私の子供が七歳の時に亡くなったのに、私もすっかりお婆さんになって、もうじき、六人目の孫が産まれるんですよ。

安心して、ゆっくり休んで下さいね。


戻れるかどうかが大切

2011-07-30 21:31:58 | 日記・エッセイ・コラム

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今日は、一年ぶりに、頭のMRIを撮影しました。

主治医に脳幹左橋の出血の跡の画像を見せて頂きました。

黒い影は、去年よりはっきりしなくなっています。

顔面麻痺、身体の不自由さは、以前とは比較にならないほど改善されつつあります。

ヘルパーさんに来て頂くようになって、火傷、切り傷、転倒などの怪我は

防止し易くなった。

体調の良い日は入浴出来るので、皮膚のトラブルも減って来た。

ふらつきと、痛みは悩みの種。

新薬リリカのおかげで痛みは減少傾向だったのですけれども、最近また色々な副作用が出て来ています。

恐ろしい夢と眼の異常。

霧視というのは、私初めて経験しました。

正直、霧視という言葉も十日前に初めて知りました。

リリカの量を減らすことになりました。


夏と言えば蝉

2011-07-27 22:36:07 | 日記・エッセイ・コラム

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今日の富士山。

芸術は爆発だと叫んでいる太郎さんみたい!

Гオイ、政治家何やっているんだ!

しっかりしろ!国民の為の政治をしろ!

民の苦しみに寄り添え、声を聞け!!」

富士山が叫んでいるみたいです。

我が家の玄関先の南天の葉の裏に蝉の脱け殻。

行商のお肉屋さんが見つけました。

夏と言えば蝉の鳴き声。

蝉も何年ぶりかで地上に出て来て、我が家の庭がすっかり変化していたのでさぞかし驚いたことでしょう。

ゆっくり樹液を吸える木も見当たらず慌てて、桜並木の方に移動したようです。

蝉の鳴き声のように、私たち国民も声をあげましょう!

もういい加減にして欲しい。

まさか日本は、直ぐに埋めて、文句を言われたら、また直ぐに掘り返すなんて馬鹿げた真似はしないでしょうね。

原発の事故の原因究明。安全性の確認。将来の日本人にこの国の未来と希望と自然を確実に残すこと。

民主主義の法治国家として、きちんと、国民の納得のいくように、叡智を結集してこの国難に立ち向かって欲しい!

予算は、私たちの払う税金で成り立つと言うことを忘れないで欲しい。


テレビの思い出

2011-07-26 21:37:21 | 日記・エッセイ・コラム

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日本のテレビ放送と私は同い年らしい。

大相撲の朝潮が活躍している時代。

テレビは、田んぼ一枚と同じ金額の高価な買い物だったらしい。

田んぼは売っていないと思うけれども、私の育った家には、テレビがあった。

『工面が良い家』だったらしい。

祖父が大相撲を見ていたのがテレビの一番古い記憶だ。

テレビには良い思い出が全く無い。

嫌な思い出ばかりだ。

上に兄が三人もいたので、幼い私にチャンネル権は全く無し。

プロレス。西部劇。ボクシング。?

見ていないから知らない。

嫌だったのが、夕飯を食べた後兄の同級生や、近所の人たちが、家にテレビを見に来ること。

農作業に一日中精を出し、夕飯を食べようという時に大勢の人が押しかける。

母は、また一仕事。

サツマイモの蒸かしたのや、トウモロコシ、スイカなど色々出してもてなしていた。

勿論後片付けもする。

幼い私は、母に今日の出来事を話したくてたまらないのに、テレビのおかげでゆっくり家族団欒が出来ない。

「テレビはおかずじゃない。」と祖父は良く言っていた。

家にテレビがあるのに、テレビが無い家の子より、テレビ番組のことを知らない子だった。

テレビには、ミシンカバーと同じような織物のカバーが掛けてあった。

家の中心のお仏壇の前に四本足で立っていたテレビ。

まさか、テレビの中に写るなんて当時の私は全く想像していなかった。