高槻成紀のホームページ

「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

Perspective

2015-03-07 23:03:23 | つながり
伊澤 整

 高槻先生が退官されるにあたり、先生から学んだことと、現在それがどのように活かされているかをお話したいと思います。
 先生から学んだこととは、「視野の拡大・縮小」です。これは、大学の講義を通して学んだとも言えますが、「先生とのお散歩」と卒業研究を通して主に身についたと思っています。
前者の「お散歩」は、研究予定段階でフィールド調査を行った「小山田、神明谷戸」の体験のことです。先生はすたすたと、まるで「ハイキング」が主目的であるかのごとく歩いていました。しかし、時折何の前触れもなく立ち止まり、独り言のように周囲の植物を説明していました。もちろん、研究の最適地を探すことが主目的でしたが、この「説明」が机上の生態学という学問を実地に適用・応用するきっかけとなり、生物に興味を持つことの本質をここで学ぶことができたと思っています。
 普段、「名もない」動植物に対して、好意的という抽象的な感情しか抱いていませんでした。しかし、名称の由来・分布域・現在の生息数という先生の説明によって、その「抽象的な感情」が「具体的な興味」に変化しました。学校教育における「勉強」に縛られて、興味の持ち方を忘れていたことに気付いたのです。生態学の考え方が面白いという、ただそれだけの理由で野生動物学研究室に所属していましたが、目の前にある動植物から各地域における分布の仕方、そしてそこに生息する動物たち、その結果として眼前に広がる景観とスケールを、ミクロからマクロまで拡大・縮小する視野を持つきっかけを頂きました。客観的に見て、その先生の説明は「独り言」のように(実際に独り言だったかもしれませんが…)思われました。ところが、私個人にとっては、動植物に対して興味を持つ、本当の意味での出発点になったと今は思います。
 そして、後者の「卒業研究」でも「視野の拡大・縮小」を学ぶことができました。同学年の研究内容は、里山(昆虫、鳥、哺乳類)・上水・害獣対策・鹿と東京郊外を中心とした同一圏内の研究であり(鹿はこれに漏れますが…)、人間と動物の共生という共通項によって地域の一体化だけではなく、個々の研究内容をうまくつむぎ合わせたものでした。基礎的な学問領域ではありますが、生態学とは何なのかを非常にわかりやすく理解することに役立ったと思っています。私の担当は、里山における中・小型哺乳類がどのような群落を利用したのかを、赤外線センサーカメラで撮影した写真から考察するものでした。しかし、私一人の研究では、有意な結果が出ず、共同研究として人生の友である倉田氏が研究した昆虫との相関性を足し合わせることで何とか形になりました。卒業論文として形になっただけではなく、哺乳類と昆虫という行動圏の全く異なる二つの動物を比較することで、単に「群落」として扱っていた場所をより縮小あるいは拡大することができ、ヒト目線という主観からそれぞれの動物たちの視点という客観に見方を改めることができました。
 現在、私は塾講師という仕事をしています。目の前の生徒に教えること、日々の仕事に追われる毎日で、どうしても視野が狭くなりがちな状況です。もうすぐ、受験という一つの目に見える結果が出ます。実際に試験を受ける生徒たちだけではなく、彼らを指導してきた我々講師たちにもこれまでの結果が表面化するため、お互いに短期的な物の見方、つまり視野がもっと狭くなります。
 ただ、受験というのはあくまで一つの「過程」であり、その後には色々な人生が待っています。人生における目標の多くは可視化できませんが、勉強というのはそれらの人生を豊かにする「手段」だと思っています。彼らも我々もその「手段」が後の人生にどのように役立つのかはわかりません。授業をしている時、目の前の課題をクリアする必要はありますが、彼らには私の授業をどのように役立てることができるか?受験をただの結果とするのではなく、その子にとって過程を充実させるにはどうすれば良いか?それらを考えるために、「視野を広げる」ことが非常に重要です。塾とは、受験に合格する結果を求められる場所・学校の成績を上げる場所、とここ最近もしくは以前から、短期的な結果を求められるものであると考えられているようです。しかし、勉強を目的化するのは、せっかく時間と体力を使って取り組んでいるのに非常にもったいない。その後の人生に良い影響を与えるという長期的な、せめて次のステップである高校で役立つという中期的な視点に立って日々授業に立つよう心掛けています。研究室に在籍していた時期に多くのことを学ばせて頂きました。けれども、その中でもやはり前述した通り、「視野の拡大・縮小」が血肉となって活かされていると実感しています。
そして最後に、研究を通して素晴らしい出会いに感謝しています。私達は研究室発足の2期目にあたりますが、もう少し早く生まれていたり、入学していたりしたら、今の同期・先輩・後輩・高槻先生・南先生には出会うことができず、今の自分は存在しません。
 私の高槻先生の印象は、大学人に多いのかもしれませんが、「仕事」としてではなく、「日常生活」の延長上として日々の授業や研究をされていたというものです。退官されても、所属する場所が変わるだけで、本質的には何も変わらないと思いますが、体に気をつけて、退官後も元気に朗らかに日本の生態学に対して目を光らせて頂きたいと思います。

追伸 中学受験科の国語の授業で、先生の文章が出てきました。驚きと共にヒトと動物の共生のあり方について拙く教えながらも、大学時代のことを懐かしく思いました。
(2010年 麻布大学卒業)
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