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「晴行雨筆」の日々から生まれるもの

きっかけ 神宮

2015-03-07 23:28:55 | つながり

神宮 理沙

 2007年の夏、麻布大学のオープンキャンパスで配られていた1枚のチラシには、新しく設立された野生動物学研究室の紹介と、優しそうに笑う高槻先生が写っていました。そのチラシを何度も読み返しながら受験勉強し、もしこれで野生研に入れなかったらどうしようかと思いながら入学式を迎えたのを覚えています。
 その写真のイメージとは裏腹に、入学してから聞こえてくる高槻先生の「厳しい人」という噂にびくびくしながら野生研のドアをノックし、研究室を手伝わせて頂くようになり、そのまま野生研に入ることができました。
 先生と杉浦君と嵐山に調査に行き、斜面をぼてぼてと歩いている大きなガマガエルを発見した時のことです。反射的に捕まえようと手を出したら、「素手で触るもんじゃないよ」と注意をされてしまいました。それもそうだと思い眺めていると、なぜか先生は落ちていた棒切れでカエルをつつき始めました。怒ったカエルは「ぷうっ」と膨らんで威嚇するのですが、そんな可愛らしい仕草に3人で大盛り上がり。すると先生は「神宮さん、写真撮るからこっちに向けて!」と一言。私は杉浦君と顔を見合わせ、「あれ、触っちゃダメって今さっき言われたような…」とお互いの心の声が聞こえて笑ってしましました。私は野生研のそういう雰囲気がとても好きで、先頭に一番楽しそうな先生がいらっしゃって、その周りでわいわいがやがややっている学生たちがたくさんいる、そういう研究室だったと思います。
 高槻先生に、一番お礼を言わせて頂きたいことがあります。
 先生と初めて一緒に嵐山に行った日に、私の見ている世界はがらりと変わりました。林道を歩きながら次々と花の名前を教えてくださる先生の後を、メモを取りながら追いかけていったあの時、私は初めて嵐山にたくさんの花が咲いていることを知りました。1年生の時から2年近く毎月通っていたにもかかわらず、そこに沢山の種類の植物たちが次々花を咲かせていたことに、恥ずかしいことにちっとも気付いていなかったのです。嵐山に行くのはサークル活動の時だけで、年配の方や先輩達から木を伐ったり育てたりすることを教えられ、作業に手いっぱいでよそ見できなかったということもありましたが、それにしてもよくこんなに見えていなかったものだと自分でも衝撃的でした。7月の晴れた暑い日、今まで緑色一色だと思っていた森の中が本当に突然色とりどりになって、それから森に行くのがもっとずっと楽しくて魅力的なものになりました。
 それまで目を閉じて耳をふさいで歩いていたんじゃないかと思うくらいに、自分の意識次第で、鳥の鳴き声が聞こえ、生き物の足音が聞こえ、花々を行き交う虫たちの軌跡が見える。まだまだ様々なことに気付かずに通り過ぎてしまう事の方がずっと多いのだと思いますが、知らなければ、見ようと意識しなければ見えないものがこんなにあると野生研でのフィールドワークの中でたくさん教えて頂きました。
 先生がよくされていた「里山」の話がとても好きで、人が生活の中で手をかけてきた自然に興味を持ち始めたのも研究室に入ってからでした。卒論は先生にはわがままを言って嵐山でやらせて頂きましたが、テーマ決めの際に「なぜ嵐山?人工林?」と聞かれても何も答えられませんでした。けれど、人工林の中に咲いていたカシワバハグマの前でじっと座って待っていたら、マルハナバチが忙しそうに何度も何度も吸蜜にやってきました。本の中でしか知らなかった生き物たちの暮らしと戦略を自分の目で見ることができて、素直に感動しました。また、一度はお荷物だと放り出されてしまった森が、集まった人たちの手によって変わっていき、生き物たちのつながりが少しでも戻ってきていたことに喜びました。そしてそこが、特別なものが何も無くても、私たちのすぐ側にあって、地元の子供たちが鬼ごっこをしに来るような誰でもふらっと入れる普通の山だということがとても嬉しかったのです。野生研で、嵐山で卒論が書けて本当によかったと思っています。
 先生に教えて頂いたことがきっかけとなって、自分の中で変化したこと、感じたことがたくさんありました。野生動物学研究室で学ぶことができたことは、私にとって一生モノです。本当にありがとうございました。
(2012年 麻布大学卒業)

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