忘却への扉

 日記? 気づいたこと 何気ないひとこま 明日への伝言 願い 子供たちに 孫たちに そしてあなたに・・ 

おっかあ万歳

2014-06-19 | 平和を
 《 悲劇の地 平和誓う 》 【 「サイパンの戦い」70年式典 】 2014/6/16 地方紙記事より
 【サイパン共同=出口明弘】 [北マリアナ諸島(米国自治領)のサイパン島で15日、太平洋戦争での日本敗戦を決定づけた「サイパンの戦い」から70年の式典が開かれた。戦闘に参加した日米双方の元軍人も出席して激戦の犠牲者を追悼し、平和への思いを新たにした。
 元海軍兵の井手口義雄さん(88)=栃木県那須塩原市=は「戦友たちは『おっかあ万歳』と、母親や家族の名前を呼んで死んでいった。『天皇陛下万歳』などと叫んでいたものなど知らない」と、あふれ出る涙を拭いながら戦死した仲間を偲んだ。「自分だけ一人生き残って申し訳なかった」と慰霊訪問を続け、今回で30回目。
 日本軍の野戦重砲兵第9連隊の一員だった自営業、岡崎輝城(92)=香川県坂出市=は、圧倒的な戦力でサイパンに上陸した米軍に「大変なショックを受けた」と振り返った。捕虜となって米本土に移送された際に、「命ある限り、必ず祈りに来るという誓いを立てた」と言い、毎年この時期に訪問。今回は孫やひ孫ら5人も同行した。
 米テキサス州の元海兵隊員、カール・マシューズさん(89)は、約1カ月にわたったサイパンでの日々を「地獄のようだった」と回想。「家族のように親しかった40人の仲間が戦死した」と目を潤ませたが、岡崎さんに「同じ時に、この島に一緒にいたんだね」と声をかけ、固い握手を交わした。
 約400人が集まった式典は、米当局などで構成する実行委員会が主催し、日本政府からは在サイパン出張駐在事務所長の菊池斉領事が出席。元軍人らは式典を前に市街地をパレードし、住民から大きな拍手を受けた。
 米軍はサイパンに1944年6月15日に上陸。占領後は日本本土がB29爆撃機の往復飛行圏内に入り空襲が激化、民間人死傷者が激増する転機となった。米当局によると、10年ごとに開かれてきた大規模な式典は元軍人らの高齢化を理由に、今回で最後となる見通し。]

 【 サイパンの戦い 】 [戦前は国際連盟の委任統治を経て事実上の日本領だったサイパン島に1944年6月15日、米軍が上陸。日本軍の組織的戦闘は7月7日の総攻撃で終わり、サイパンは米軍の日本本土空襲の拠点となった。「絶対国防圏」を突破された日本の敗戦は決定的となり、東条英機内閣は7月18日にサイパン玉砕を発表して総辞職。日本軍は約3万人、米軍は約3300人が戦死。日本の民間人も1万人前後が死亡したとされ、島北端の崖から身を投じるなど自決した人も多かった。]
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 割り切れなくても考える | トップ | 教育の独立の重要性 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

平和を」カテゴリの最新記事