忘却への扉

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戦争に行くのは、俺たちだと小学生怒る

2017-08-18 | 平和を

 【 地 軸 】 2017.8.14 地方紙1面下段コラムより

[ 数年前の41歳の誕生日、ずっと抱えていた不安がわずかに薄らいだ。「これで、戦争が起こっても兵隊に取られることはない」と。
 ▲戦中、兵役対象は17~40歳。終戦時、20~40歳の男性で軍隊に籍があったのは6割に上った。兵役は、これほどに多くの人に免れ得ないものだった。
 ▲今は亡き母方の祖父は、天皇を警護する近衛師団に属した。天皇が神とされていた時代。戦後も「誇り」にしていたという。
 ▲一方井、父方の祖父は軍隊経験がない。背が低かったからと聞いていたが、昨年になり違う理由だったと知った。家族が多く、生活が苦しかったことを、役場の担当者が配慮してくれたという。命をつなげたことに安堵(あんど)しつつも「お国のため」に戦地に行けないつらさがあったかもしれないと、自らは語らなかった背中を思い出す。
 ▲作家の松本清張さんは逆に、恣意(しい)的に兵役に就かされた。森史郎さんの「松本清張への召集令状」(文春新書)によると、34歳で招集されたときは虚弱体質で、家族持ちの自分がなぜ、と不振に感じた。軍事訓練に熱心でなかった懲罰だったと、後に気付く。戦時下、庶民の運命は国家の思惑に左右された。
 ▲安倍政権が3年前、集団的自衛権行使を容認する閣議決定をしたとき、ある小学生が怒りの声をあげた。「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。平和憲法の下、徴兵されるかもという心配を子どもにさせる、政治の責任を思う。]

 ( 忘却への扉 ) 兵役対象の40歳間では、とっくの昔に過ぎたが[兵隊に取られることはない]との安心感など虚構に過ぎない現代。
 先の侵略戦争終戦から72年を迎えた15日、政府主催の全国戦没者追悼式が東京で開かれた。その日の新聞1面には【 揺らぐ「不戦」堅持 】 【 首相 加害責任ふれず 】 【 終戦72年 安保法運用や改憲現実味 】の大きな題字。
 父は病気で徴兵試験に落ち兵役は免れたが、朝鮮北部で仕事をした。本土でも防火訓練を指揮したとか聞いたが、本人に戦時中のことは一度も聞くことはなかった。
 「戦争に行くのは、政治家ではなく、俺たちだから」。小学生の言うように、戦争をする国にする政治屋たちは、戦地に行くことなどなく、安全が補償されている。なのに戦争法や憲法改悪までとは無責任で卑怯だ。戦争をそれほどしたいならば、自分たちや家族が軍隊で訓練し、戦争に行けばいいのだ。
 私自身は兵役にとられなくても、孫たちとその子供たちの将来の非戦の平和を守る責任があると思う。そのためにも戦争をする軍隊を認めない日本国憲法を守る。