気の向くままに

山、花、人生を讃える

「赤い糸」はあるか?

2019年06月27日 | 人生

結婚して2年目ぐらいの時、家内からこんな話を聞かされた。

 

家内は28歳の時、今年中に結婚すると決意し、勤めていた市立幼稚園を退職し、京都宇治市にある生長の練成会に参加し(10日間)、終了後も研修生として道場に残って修行していた。その合間に本に書かれている「幸福なる結婚を招く祈り」というのを毎日読んでいた。

 

そんなある日、本部講師(先生)が彼女にこう言って指導したとのこと。

「○○さん、自分の半身がいると思っているのではまだ足りませんよ。半身ではなく、もう一人の自分がいると思いなさい。そういう気持ちで読んでいれば、どうしなくても、すぐにでも向こうからスーと寄ってきますよ」と。

 

わたしはそれを聞いたとき、びっくりしたというか、大きな感銘を受け、一瞬、頭の中が真っ白になった。何故かと言えば、その頃の私はこんなふうだったからである。

 

私はその頃のある日、朝起きるとすぐに、何とも言えない寂しさに襲われたのだった。「いったいこの寂しさは何なのか?」と思うが、思い当たるものは何もない。じたばたしても良くなる訳でもないから、一晩寝て次の日を待つより仕方がなかった。ところが次の日も、次の日もまったく同じだった。それで、たまらず熱田神宮に神想観(祈り・瞑想)に出かけた。

 

熱田神宮へ行ったのは、この数年前に、ある目的があって神想観に通ったとき、奇跡的なお蔭をいただいたことがあったからである。

 

そして熱田神宮の鳥居をくぐると、こらえていたものがこらえきれなくなって涙がこぼれてきたが、かまわず参道を進み、神前に座り神想観(40分ほど)をした。しかし、泣きたいような心境で、ただ神さまの前に座っているだけのようなものだった。が、それでも少しは気がまぎれ、ふと今の家内を思い出し、彼女と話をしたくなった。

 

その頃は、彼女は知り合いではあったが、個人的付き合いはなかった。けれども電話をすると、彼女は練成に行っているとのことだった。それを聞いた私は、意外にも、すぐに宇治へ行こうと思い、迷惑になってはいけないので、念のため電話をして彼女を呼び出してもらうと、「どうぞ、来てください」とのことだったので、次の日に宇治へ向かった。

 

そして練成を受けながら3日ばかり道場に寝泊まりし、彼女の自由時間に付近を散歩したが、その時、ふと「プロポーズしてしまえ」という気持ちになり、「俺と結婚しないか」とプロポーズした。

 

そんな経緯があったので、彼女からはじめて話を聞かされて、理由もないのに、朝起きてすぐ猛烈な寂しさに襲われたことや、先生が言ったいう「どうしなくても、スーと寄ってきますよ」の言葉に衝撃を受け、頭が真っ白になったのだった。

 

そんなわけで、私は「赤い糸」のようなものはほんとうにあると思っている。

「所詮、夫婦は他人」と言われることもあるが、肉体的にはそれぞれ別の親から生まれていて血のつながりはないのだから、確かにそういう見方もできる。しかし、目には見えなくとも、意識の奥深くでつながっているという事は十分考えられることだろうと思う。

 

≪幸福なる結婚を招く祈り≫ (冒頭と終わりの部分)

○神は一つの魂を陰陽二つの肉体に分割して宿し給い、互いに相呼ぶ半身の魂として、愛というものの美しさと深さと、切実さとを体験せしめ給うのである。・・・中略・・・

 尚、一つの魂の半身を見出し得ざる人よ、必ずその半身が、あなたと同じくその半身を呼んでいることを自覚せよ。既にあなたの半身は今既にそこにあるのである。あなたたちはそれを信ずることによって互いに相逢う時がくるに違いないのである。 
                                                              『真理の吟唱』(谷口雅春著)より

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