気の向くままに

山、花、人生を讃える

思い出した荻野博士の業績

2019年06月24日 | その他

10年以上も前のこと、ある日、テレビをつけると「その時歴史は動いた」という番組が始まる所だった。どんな番組かと思ってしばらく見ていると、冒頭、荻野博士のオギノ式が当時の世界では画期的な素晴らしい発見であるとの説明があった。

 

私のオギノ式についての知識は、人の雑談から知った「人工避妊の方法」ぐらいの認識しかなく、つまらないものだと思っていたので、冒頭のこの解説を聞いて興味深々となり、最後までこの番組を見せてもらった。そして、大きな誤解だったことを知るとともに感動した。

 

荻野博士が開業医をしていた当時の新潟では、結婚して3年間は籍を入れないで、その間に子供が生まれれば正式に籍を入れ、子供が生まれなければ離婚という時代だったそうです。そして、3年の内に子供が生まれず離縁されると、それを苦にして自殺する人もあったというほどの切実な問題でもあったとか。また、当時は一般に多産で、しかも、お産に関する医療も充分でなく、産後の休養もままならず重労働をし、寿命を短くしていた時代でもあったとのこと。

 

そんな時代の中にあって、荻野博士は、「子供を生みたい!」とすがるように訴える婦人の声に動かされ、なんとかこの婦人たちの力になりたいというわけで、それまでは謎であった妊娠のからくりを調べようと思い立ったとのことでした。そして婦人たちに献身的に尽くしながら、地道な研究をつづけ、ついに妊娠のからくりを発見したという事で、大いに感銘させられたのでした。(おわり)

 

「なんでこんな話を?」と訊かれそうだが、最近、結婚しない人や少子化傾向に歯止めがかからないという話題から、ふとこの番組と荻野博士のことが思い出されたので書かせてもらった次第。荻野博士の業績を讃えたいと思う。

 

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