あなたがたのうちだれが、心配したからといって、
自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
なぜ着物のことで心配するのですか。
野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、
このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、
神はこれほどに装ってくださるのだから、
ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。
信仰の薄い人たち。
マタイの福音書 6章27節~30節
「心配性」・・という人たちがいます。何でも心配し、思い煩ってしまいます。
クリスチャンの中にもいます。これが「信仰の薄い人」・・と言われる特徴の一つです。
聖書には心配の種(問題とか困難な状況とか)に対する対応のポイントが書かれています。
今日のみことばの続きにも”神の国とその義とをまず第一に求めなさい。
そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。”
神の国を求めるなら、神様に信頼して従うなら、神様が支えてくださると言っておられます。
これは約束です。約束のことばに信頼すると良いのです。
人の言葉ではない、人に信頼し、人に頼るのでもありません。
神様の約束のことばを中心にして神様に従うのです。
この時私たちは神様の御業を見、栄光を見ます。
神様の約束のことばはたくさんあります。適応できるみことばを探しても良いです。そのことばに立つことが信仰です。