絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

等伯 下巻

2013-09-06 | 読書
等伯の下巻を読んでいます。
今日は、面白い話がありました。

時代は、豊臣秀吉の時代になり、狩野派は、秀吉の依頼で聚楽第に襖絵をかくことになりました。
信長の時代には、等伯は京都へ行くことが難しく四苦八苦して行きましたが、秀吉の時代には堂々と行けるようになりました。

狩野派のトップは、永徳の父松栄です。この松栄に頼まれて等伯も聚楽第の襖絵を描くことになります。
ただ、狩野派のメンバーの中では、息子の永徳が中心画家なので、この永徳に承諾を得ずに加わることはできません。
そこで、父の松栄は、永徳に等伯を会わせ、等伯を参加させたいと言います。

永徳は、等伯など相手にする気もありません。しかし、父が言うならということで、承知する方向で考えると言います。
ただし、まず力量を見せることを条件にしました。

それなりの絵が描けるかどうかを試して、良ければ採用しようという考えです。
しかし、言葉のやり取りの中で、張り合う気持ちがあって、心の中でのバトルがあり、
最後は、どちらが力があるかというような戦いになります。

ーーーーーーー
そして、等伯が作品を完成させて持って着たとき、同じ部屋に永徳が描いた絵と一緒に並べました。
どちらも素晴らしい絵で、甲乙つけがたい作品だったようです。

すると、父の松栄は、これをどちらが上か勝負させようと言い出し、狩野派の最高の弟子たち8人を読んで
投票させました。等伯は息子の久蔵を連れていたので、松栄は久蔵も投票するようにと言いました。

この審査員9名で投票で決めようという訳です。

等伯は、これは8対1で負けるなと思ったそうです。
それは、そうでしょう。狩野派のスーパースター永徳の絵です。
狩野派の仲間が等伯に投票するわけがありません。

しかし、結果は、4対4の同点。一人だけ判断ができず、白票を出しました。
そのため、引き分けです。

狩野派の審査員に当たったメンバーは、自分で良いと思った方に票を投じたことがわかります。
松栄は、それを等伯に示したかったのでしょうか。

派閥やしがらみではなく純粋に良いと思うものを認める気質が狩野派にはあるのだということです。

ーーーーーーー
因みに、白票を投じたのは、等伯の息子久蔵でした。
等伯の方が永徳よりも良いと認めた人が狩野派の中に4人いたことになるのです。

永徳は面白くありません。その結果を知って、永徳は自分で描いた絵を筆で切りつけてしまいました。

ーーーーーーー
これは、本当の話でしょうか?
私は、本当ならなんときもちの良い話だろうと思います。

県展の審査などでも、派閥争いが激しいと聞きます。
みんな審査員は、自分の所属している会のメンバーに賞を取らせたいそうです。
そのために、政治的力関係の争いがあるようです。
しかし、本来は本当に良い絵に賞を与えるべきなのです。

だから、私が特選をもらった時、会員賞をもらった時は、実に気持ちの良い審査だったとおっしゃった役員の先生がいました。
私のようなどこの会にも属さずに、一匹オオカミのような存在では、とても賞は取れないと思われがちなのです。
それが、取れてしまったのだから、審査員も良いものには投票するんだと示したことになるのです。

立派な審査員長がいました。
その方は、挨拶で、こういいました。
審査が終わったら、その時点から今度は審査員が審査を受けることになる。
今回の審査がどうだったかを審査されるのだと。
偉い人だなあと思いました。

本当に良い絵が選ばれたのかどうかをみんなが見て、審査員がインチキをしなかったかどうかを審査するんだというのです。








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高校生のNさん 瓶のデッサン完成

2013-09-06 | 通信指導
高校生のNさんが、瓶のデッサンを完成させてくれました。



かなり苦労していましたが、ここまできました。
まだ、薄いので、もっと黒くすると良いのですが、それは次の課題にしたいと思い、先に進みます。
次は、本のデッサンです。

参考例がたくさんできたので、後からやる人は、少し楽ですね。
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