絵画指導 菅野公夫のブログ

大好きな絵とともに生きてます

ダビデについて

2017-07-25 | 美術
ダビデについて

ダビデとは、ペリシテ人の巨人ゴリアテを投石で倒したイスラエルの英雄として有名ですが、
なぜ、王になったのかということについて、私は王の娘婿になったから、王の死後王位を継いだと簡単に考えていました。

しかし、今日、本を読んでいて、そんなに簡単ではなかったということを知りました。

それは、この本です。


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ご存知の方は、これ以降読まなくて結構ですが、私は、初めて知ったので、書きたくなりました。

現在は、イスラエルとパレスチナという名前で対立していることを私たちは知っていますが、その元をたどると、
そもそもこのダビデの時代から、こんな対立があったのだと教えられます。

ダビデはゴリアテを倒した後、王の娘婿になりますが、王には息子もいました。
王は、息子に王位を継がせたいと考えていたと思います。しかし、ダビデの人気が高まるに連れて、
自分の王位さえ脅かされるのではないかと恐れて、ダビデを殺そうとしたそうです。
その危機を何度も逃れながら、あるとき、王が川で水浴しているところへ出くわし、ダビデは王の着物の裾を切り取ります。

そして、後に、殺そうと思えば、そのときにやれたが、そんな謀反の気持ちは全くないという証拠として、
その布の切れ端を差し出したというエピソードがあるそうです。

そのことがあって、王はダビデを殺すことを諦めますが、その後も、ダビデの存在が脅威で、なんとかして追い落とそうと
したようです。

そのため、ダビデは、ペリシテ人のところへ行き、イスラエルと戦うことまで考えたようです。
ただ、ペリシテ人は、それが罠ではないかと疑って、ダビデには兵を持たせなかったということです。

その戦いで、イスラエルは敗れ、王は死にます。

ーーー

その後、ダビデは、イスラエルとペリシテ人を屈服させて、統一国家を作ったということです。

その部分は、その本には書いてありませんでした。

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今日の成果

ただ、私は世界史の専門家ではないので、それ以上詳しく知っておく必要はないと思っていますが、
ダビデは、ゴリアテを倒した後、王の娘婿になって、王の死後王位を継いだと簡単に考えていたことが、
そうではなかったということがわかりました。
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ロゼッタストーンは、なぜ大英博物館にあるか

2016-09-28 | 美術
ロゼッタストーンは、ナポレオンの軍が発見しました。
そのままナポレオン軍が、持ち帰れば、これは、今頃ルーブル美術館に飾られていたでしょう。



しかし、発見した後、エジプトでイギリスのネルソンの軍隊と戦争になり、ナポレオン軍が負けます。そのときに、このロゼッタストーンを奪われたということです。

この頃は、発見した国が持ち帰って良いという取り決めになっていたようで、ネルソンの軍隊が自分の国イギリスに持ち帰ったので、今、ロンドンの大英博物館にあるのです。

ーーー
このロゼッタストーンは、三つの言葉が書かれています。
一番上は、エジプトの古代文字ヒエログリフです。
二番目は、エジプトの民衆文字デモチックです。
三番目は、ギリシャ文字です。

発見された場所がロゼッタという地名なので、ロゼッタストーンと呼ばれています。
ナイル川の河口三角州にあるロゼッタです。

三種類の文字で書かれていることから、これは、英文和訳のような翻訳文ではないかと思われます。下のギリシャ文字は時代が新しいので、読めます。同じ内容なら、他の二つも解読できるのではないかと解読競争が行われました。

最初に成功したのが、フランス人のシャンポリオンでした。
イギリスのネルソンに負けた悔しさをフランス人の意地で翻訳競争に勝って晴らしたといわれます。

ギリシャ文字を読むと、クレオパトラという文字とプトレマイオスという文字が見つかります。
ということは、この石が作られたのは、エジプトの末期ということがわかります。
しかし、あの有名なクレオパトラではありません。
クレオパトラと言う人は、7人いました。
ローマのシーザーと結婚したクレオパトラは、7代目です。

このロゼッタストーンは、大きさ的には両手で抱えられるくらいの物です。
発泡スチロールでできていれば持ち上げられます。
私が行ったときには、手で触れるように置かれていました。
今は、ガラスのケースに収まっているようです。


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構成力をつけるには

2016-04-22 | 美術
美大を出た人は、デッサン力は抜群にある。しかし、構成力は別という気がする。
構成力を持っていて、美大出の人なら、必ず良い絵が描けると思う。

現状は、この構成力のない人がとても多い。

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私は、どうやって構成力をつけたのだろうと考えてみた。
それは、高校の美術部の顧問を長年してきたことだろう。

私は、60名以上の美術部を担当していた。
例えば、県展制作がある。全員に違う絵を描かせなければならないので、
生徒たちに、必死になってテーマ探しをさせる。

そうすると、一人の生徒のテーマと構図が決まるまでに、少なくとも20枚はアイディアが出てくる。私はそれについて、全て評価を下す。
極端な例は、250枚描いた子がいた。一日5枚描くと言って、50日続けた。
これは、例外としても、結構たくさんの下絵を見ることになる。

部員が60名いたので、20×60で、1200枚を見るわけだ。
その一つ一つについて、良いとか悪いとか言う。生徒に納得させるために、どうしてダメかを説明する。自分としてのだめの理由付けをするわけだ。

県展だけで、これだけのことをする。一年間では、生徒たちが他の展覧会を含めて5~6枚は描くので、1200×5としても、6000枚である。

これが、私が構成力をつけることにつながったのだろうという気がする。

ーーー
この展覧会への取り組みは、ほとんどが具象絵画だが、私はデザインの指導もするので、様々なジャンルのアイディアのアドバイスもする。だから、現代絵画の構成力もつけることができた。

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ここで、結論は、

構成力をつけるには、たくさんの絵を見て、それについて構図について思うことを自分で書き出し、メモしていくことだろうと思う。
また、まず、自分の考えで作品を批評し(これは頭の中で)、専門家がどのように批評するかを聞いてみると良いと思う。

私がラッキーだったのは、ダメな例をたくさん批評したからだと思う。
また、途中経過での批評も自分の構成力をつけるのには、役立ったと思う。

初めに見せてもらったときに感じることと、描き進める途中で感じるものは、また違ったことが思いつくからである。

ーーー
たくさんの作品を見るには、展覧会に行くことである。
画集を見ることである。
しかし、すばらしい作品だけを見ていては、力がつかない。
ダメな絵をたくさん見ることである。

そして、なぜダメなのかをしっかり理由付けすることである。

今の私は、県展、県北展、麓原展など、様々な展覧会で審査をしている。
そのことも力をつけるのに役立っている。
なぜなら、なぜだめなのか、なぜ良いのかを説明する義務があるからである。

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今日は、これから本庄第一美術部の県展制作を見に行く。
批評会を頼まれたからだ。数十名の絵を批評する場が与えられた。
がんばってアドバイスをしたい。自分の勉強として。







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アルカディアの牧童

2016-04-05 | 美術
プッサンが描いたアルカディアの牧童について、最近買った本で読みました。



私が知っていたのは、プッサンについてセザンヌが、「絵はプッサンが全て完成させてしまった。後の画家は、プッサンをやり直すだけだ」と言ったということです。

私は、よく通った雀荘の名前がアルカディアで、そう言えばこの絵は4人だなと思っていました。

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アルカディアとは、理想郷を意味すると聞いていましたが、この碑文の文字はなんだろうと
4人の人たちが話し合っているところだと言われていました。

しかし、この本によると、この景色は、南フランスのレンヌルシャトーだというのです。
レンヌルシャトーとは、ダビンチコードで古文書が発見された場所と言われます。
キリストには、奥さんも子供もいて、キリストが磔から三日後に復活して、このレンヌルシャトーに移り住んだということになっています。

そして、後にその子孫がフランク王国のメロビング朝を開いたという話です。

だから、この碑文の「我、アルカディアにあり」は、キリストがここに来たことを意味しているというのです。

それまでは、聖杯のヒントになることが書かれていると解釈されていました。

しかし、ここがレンヌルシャトーだとすると、碑文の文字はキリストのことで、ダビンチコードの内容がふくまれているということになります。

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この解釈は、最近のものですね。
ダビンチコード自体、私たちが知ったのは最近のことですから。
ただ、その意味が含まれているとすると、プッサンは、ダビンチコードのことを知っていたことになりますね。
ということは、プッサンは秘密結社であるシオン修道会のメンバーだったという事になる。

さあ、どうでしょうね。

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ただ、もう一つ、アルカディアとは、古代ギリシャの理想郷なんですよね。
古代ギリシャと言えば、キリストが生まれる数百年前ですから、ダビンチコードの内容が隠されているとしたら、なぜアルカディアなんだろう?と思います。




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さざえ堂 続き

2016-03-28 | 美術
さざえ堂の続きを書きます。
思い出すまま、書いてみます。

観音様は33に変身したという話で、秩父と坂東と西国で合わせて100になるとお話しましたが、その全てを周った人は、最後に長野の善光寺に行くと終了となるそうです。

小平の観音様(百体観音)は、その札所めぐりを一か所で実現してしまうということなのでしょうね。

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私は歩いて回るというと、お遍路さんを思い出していまうのですが、あれは四国で88か所を周るものです。人間には88の煩悩があって、全て周ることで煩悩が消えるということらしいです。あれは、空海がその目的で開いたお寺だと言われています。

私は煩悩というのは、108だと聞いていました。だから、除夜の鐘は108つ突くと。
88と108の違いは?

西国と聞いた時は、四国も含まれるのかと勘違いしました。
ここでの西国とは、京都を中心にした関西のことです。
1番は、和歌山の潮岬に近いところにあり、33番は岐阜県です。
一番多いのは、京都で市内に7つ、京都府の他の所には4つあります。
大阪や兵庫県にもあるので、近畿地方全体を西国と言っています。

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さざえ堂の螺旋階段の例では、私が行ったところでは、バチカンを思い出しましたが、テレビではシャンポール城が紹介されていました。
これは、レオナルドダビンチが考案したと言われるそうですが、定かではないそうです。
しかし、建てたのはフランソワ1世で、レオナルドの死後建てられたので、自然を愛したレオナルドの思いがこの建築には反映されていると語られるそうです。

因みに、スーパーの立体駐車場にもこの方式がとられていて、上りと下りが鉢合わせしないようになっているとか、目的は同じですね。

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私は観音様の絵を描いたので、その時の勉強で、悲母観音も興味を持ちましたが、そこでは意外なことを知りました。
悲母観音と言えば、子供を慈しむという思いが込められた絵です。だから母の愛と感じます。
ということは、女性です。しかし、この狩野芳崖が描いた絵には髭があります。
じゃあ、男じゃないかと思いました。
それについて、つきみ荘の専門家に伺ったところ、あれは髭ではなくて、観音様の声の残像だと聞きました。へえーーと驚きましたが、だから、髭ではないので、女性ですとのこと。

後で、写真を見て調べましたが、私にはどう見ても髭に見えます。

一応、観音様は、男でも女でもないというのが、その方の説明でした。
その時々に応じて、男にも女にもなると思えば良いのでしょうか。

ついでに、聞いたところでは、眉間にあるほくろのような物は、ほくろではなく、白い毛が渦を巻いているもので、伸ばせば4.5メートルもあるそうです。
巻き方が右回りと決まっているそうです。

髪の毛も渦を巻いていますが、奈良の大仏の髪の毛は、一つの高さが30センチもあるそうです。直径が18センチくらいとのことです。
頭に30センチの物差しがたくさん立っていると考えたら、覚えやすいですね。

このような観音様の特徴を32相というそうです。
直立して膝が触れるほど手が長いとか、この眉間の白毫もその一つです。

因みに、狩野芳崖が描いた悲母観音は、33の中にはないそうです。

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私にこのさざえ堂についての番組(美の巨人)を見るように進めてくれた中村先生は、
小平の観音様について、本庄市の観光課に問い合わせたところ、詳しいことを知らないと言われて参ったとおっしゃっていました。確かに、このさざえ堂の観音様の写真などは、観光課にはないそうです。

先日の美の巨人では、中の様子が撮影されていました。録画しておいてよかったです。

















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