リスボンで訪ねた究極の眺望スポット....
...にある巨大キリスト像、クリスト・レイ Cristo Rei(王、キリスト)
リスボンの、河を見下ろす どの景観スポットからも右手(川下)に大きなつり橋(4月25日橋 Ponte 25 de Abril)と一緒に遠目にもはっきりと、両手を横に水平に上げたキリスト像が見えます。
☝左端の塔の上に十字架のようにみえるのがキリスト像なのですが、スマホで読んでくださっている方には判別できないかもしれません。
町の中心の川岸からは もうちょっとはっきり見えたのですが、残念、写真を撮りませんでした。
キリスト像が立つのはテジョ河対岸の河口に近い、アルマダ Almada という都市の丘の上です。
実は、巨大キリスト像なんて特に見たかったわけではないのです。
河を船で渡ってみたかっただけです。
リスボンの観光案内所で、河の向こう側に行ってみたいんだけど、船はあるのか、と聞いてみました。
遊覧船でもあるのかと思ったのです。
20分ごとにフェリーの定期便が出ている、と教えてくれました。
リスボンから発着する向こう岸の到達点は3か所だったのですが、案内所の人は カシーラス Cacilhas 行きを勧めてくれました。
「大きいキリスト見たいでしょ?」
言われたとおり河沿いを歩いてフェリー乗り場に着くと ちょっと驚きました。
観光フェリーではなく、地元の人たちが通勤や日常の用事(買い物とか)に利用する公共交通フェリーだったのです。
フェリーから見たリスボンの町です。
静かな河の上を約15分、向こう岸につきました。
モダンなガラス張りの船着き場を降りるとすぐ目の前に市電の駅と、それなりに大きなバスターミナルがある広場がありました。
小さな灯台と、展示してある由緒ありそうな帆船と潜水艦もあります。
広場にパラソルをすき間なく広げて、テーブルと椅子を並べた魚料理レストランで昼食を食べました。
レストランの写真をのせた記事のリンクです☟
リスボンで食べたもの...その2、ポルトガル名物の新鮮な魚介料理!堪能しました...しかし!わざわざ調べて分かった!環境への影響を考え、いろいろ疑問アリ (写真多数)
食後、広場からのびるカシーラスの目抜き通りらしい道をちょっと歩いてみました。
☝︎振り返って撮った写真です。奥に見えているのが広場です。
鮮やかな色の3、4階建ての古い建物の間の狭い石だたみの道を歩いていると、南米の田舎の町にでも迷い込んだような錯覚に落ちいりました。
なかなか楽しそうな町という印象です。
撮った写真はこれだけですが。
教会の横の、裏通りにも入ってみました。
どこもかしこも石だたみ。
しかし、何の下調べもせずにやってきたカシーラスの町なかで見るものは他には見当たりません。
(帰国後調べてみたら、美しい砂浜がある河口の海水浴場、橋脚への遊歩道や 古い僧院まであるちょっとした観光スポットらしかったのが わかりました)
やっぱり、ここまで来て見に行かないわけにはいかない、キリスト像。
バスの案内所で直通バスがあることを聞いて 行ってみることにしました。
乗り合いバスで約20分、始発のターミナルから乗り合わせたのはすべて終点クリスト・レイ目当ての観光客ばかり。
船着き場とバスターミナルのある広場を抜けるとバスは ぐいぐい急な坂を上がり続けます。
観光地ではない、普通の街なかのバスから見える景観は生活感たっぷりでとても興味深かったです。
車道も歩道もガタガタ石だたみです。
道の両側には中途半端にモダンで見栄えのしない、1960年代、70年代風のすすけたコンクリートの高層住宅ビルがぎっしりたっていました。
日よけ布を張り出したベランダには洗濯物がいっぱい...
帰り道は歩道ぎりぎりの細い横道を抜けるルートに変わり、人々の生活をもっと身近に目にすることができました。
路上に椅子を数客並べたバーで昼間からビールを飲む観光客ではない地元の人や、間口の狭い商店、戸口の階段に座っておしゃべりを楽しむお年寄り、などなど。
坂の途中のちょっと立派な噴水のある小さな広場の前でバスが停車しました。
噴き上げる水に青藻がいっぱいわいてまるでバスクリンみたい、しかも広い水盤にたまった水はふちにドロドロ泡を吹く茶色い水垢が吹き寄せられ、キタナいことこの上なし。
メインテナンスできないなら噴水を止めればいいと思うのですが。
古い美しい街に生活感が垣間見えた時、「旅情」を感じるものなのですが、バスの行きかえりに見た なんだかショボくて貧しげなアルマダの生活感は…ちょっと違います。
いえ、この町の風景のショボさは日本でもイギリスでも おそらくその他どこでも よく目にする、ごくありふれた程度です。
でもヨーロッパ有数の国際観光地、リスボンに旅行中、しかもリスボン観光の目玉の一つとして知られる観光スポットへの移動中に目にしちゃったというのが…なんだかちょっぴり後ろめたい気分にさせられました。
目的地の高い丘の上には観光バスがたくさん とまっていました。
キリスト像だけではなく、広大な敷地一帯が宗教施設のようです。
カトリック教徒の巡礼の人も観光バスを連ねてやってくるようです。
景観に統一性を持たせるためか 植えられているのはすべて同じ樹齢のオリーブの木ばかり。
キリストの時代のパレスチナ....? か何かに見えるよう意図していると思うのですが。
像の土台は、コンクリートのカッコつけすぎ現代建築。
巨大な鉄の十字架が、てっぺんにキリストをいただくカッコつけすぎ現代建築に向かってドカンと配置されています。
見た時に「この中途半端な角度は何かな?」と思ったのですが、後で写真を見て気がつきました。
キリストがゴルゴダの丘を登った時に担いだ十字架の角度では?
それなりの尺度の(カッコつけすぎ現代建築の上に立っているキリスト像はめちゃくちゃ大きすぎます)キリストが中腰で下にかがめる角度だと思います。
透明人間に担がれた十字架が配置された素晴らしい眺望スポット!
向こう岸がリスボンです。
独裁者サラザールが独断で建設、1966年に開通し、自身の名前を付けさせた(サラザール橋)壮大なつり橋、「4月25日橋」が見下ろせます。
1974年の革命でサラザールが政権を追われると革命勃発を記念する「4月25日橋」に改名されました。
橋のたもとで通行料金を徴収するようです。
車の長い流れが料金支払いゲートで止まってまた動き出すところをしばらく上から観察しました。
カッコつけすぎ現代建築の中は、いかにもカトリック教会好みのモダンで抽象的な内装の 立派な礼拝施設になっていました。
キリスト像の足もとの展望台にも もちろん上がりました。
(建物の中に入ってみるまで上まで上がれることに気がつきませんでした)
料金を払って7階までエレベーターであがり、ぐるぐる回る階段を3階ほど上がって、吹きさらしの展望スペースにたどり着きました。
静かに流れる大河と河の向こうにキチキチとかたまるリスボンの町...絶景です。
(スマートフォーンで写真を撮っても撮れた写真のスケールの小ささにはいつもがっかりさせられます。だから撮ったのは上の一枚だけ)
写真を撮るのが嫌いなうちの夫は旅行中、たった一枚だけスマートフォーンで写真を撮りました。
両手を広げて王国に人々を迎えるポーズの(だと思います)キリスト像を見上げたところ。
無新論者のうちの夫は自分で撮った下から見上げたキリスト像写真をスマートフォーンのホームスクリーンの壁紙写真に使っています!
風がビュービュー吹き付ける展望台にあがったとたん、大音量で流れているステレオ効果抜群の荘厳な聖歌が聞こえてきました。
信者を敬虔な気持ちにさせる効果は抜群でしょう。
信仰のない私たちはウッと吹き出したいのをこらえました。
キリストの立つ足もとの台に世界各国語で...
...というメッセージが刻まれていました。
「神は愛なり」と文語体で書いてほしかったです。
1959年に除幕されたこの宗教モニュメントを建造させたのはやっぱり当時の独裁者、サラザールだそうです。
有名なブラジルのリオ・デ・ジャネイロの巨大キリスト像、「贖い主、キリスト」からインスピレーションを得た(というよりマネ、自分が支配する国の首都を見下ろす立派な宗教像が欲しかったんですね)そうです。
観光客の多くは両手を広げた「はりつけポーズ」でキリスト像と一緒に記念写真を撮っていました。
ありきたりで恥ずかしい(インスタグラムに投稿してたりするともっと恥ずかしい)...というか、信仰のある人もけっこう来ているみたいなのに、罰当たりな感じです。
このカップルは大はしゃぎでした。
はりつけポーズのみならず、キリストの背後でぬかずく聖人のモダン彫刻のポーズまでマネする彼氏の写真を撮る彼女。
それを写真に撮る私。
...にある巨大キリスト像、クリスト・レイ Cristo Rei(王、キリスト)
リスボンの、河を見下ろす どの景観スポットからも右手(川下)に大きなつり橋(4月25日橋 Ponte 25 de Abril)と一緒に遠目にもはっきりと、両手を横に水平に上げたキリスト像が見えます。
☝左端の塔の上に十字架のようにみえるのがキリスト像なのですが、スマホで読んでくださっている方には判別できないかもしれません。
町の中心の川岸からは もうちょっとはっきり見えたのですが、残念、写真を撮りませんでした。
キリスト像が立つのはテジョ河対岸の河口に近い、アルマダ Almada という都市の丘の上です。
実は、巨大キリスト像なんて特に見たかったわけではないのです。
河を船で渡ってみたかっただけです。
リスボンの観光案内所で、河の向こう側に行ってみたいんだけど、船はあるのか、と聞いてみました。
遊覧船でもあるのかと思ったのです。
20分ごとにフェリーの定期便が出ている、と教えてくれました。
リスボンから発着する向こう岸の到達点は3か所だったのですが、案内所の人は カシーラス Cacilhas 行きを勧めてくれました。
「大きいキリスト見たいでしょ?」
言われたとおり河沿いを歩いてフェリー乗り場に着くと ちょっと驚きました。
観光フェリーではなく、地元の人たちが通勤や日常の用事(買い物とか)に利用する公共交通フェリーだったのです。
フェリーから見たリスボンの町です。
静かな河の上を約15分、向こう岸につきました。
モダンなガラス張りの船着き場を降りるとすぐ目の前に市電の駅と、それなりに大きなバスターミナルがある広場がありました。
小さな灯台と、展示してある由緒ありそうな帆船と潜水艦もあります。
広場にパラソルをすき間なく広げて、テーブルと椅子を並べた魚料理レストランで昼食を食べました。
レストランの写真をのせた記事のリンクです☟
リスボンで食べたもの...その2、ポルトガル名物の新鮮な魚介料理!堪能しました...しかし!わざわざ調べて分かった!環境への影響を考え、いろいろ疑問アリ (写真多数)
食後、広場からのびるカシーラスの目抜き通りらしい道をちょっと歩いてみました。
☝︎振り返って撮った写真です。奥に見えているのが広場です。
鮮やかな色の3、4階建ての古い建物の間の狭い石だたみの道を歩いていると、南米の田舎の町にでも迷い込んだような錯覚に落ちいりました。
なかなか楽しそうな町という印象です。
撮った写真はこれだけですが。
教会の横の、裏通りにも入ってみました。
どこもかしこも石だたみ。
しかし、何の下調べもせずにやってきたカシーラスの町なかで見るものは他には見当たりません。
(帰国後調べてみたら、美しい砂浜がある河口の海水浴場、橋脚への遊歩道や 古い僧院まであるちょっとした観光スポットらしかったのが わかりました)
やっぱり、ここまで来て見に行かないわけにはいかない、キリスト像。
バスの案内所で直通バスがあることを聞いて 行ってみることにしました。
乗り合いバスで約20分、始発のターミナルから乗り合わせたのはすべて終点クリスト・レイ目当ての観光客ばかり。
船着き場とバスターミナルのある広場を抜けるとバスは ぐいぐい急な坂を上がり続けます。
観光地ではない、普通の街なかのバスから見える景観は生活感たっぷりでとても興味深かったです。
車道も歩道もガタガタ石だたみです。
道の両側には中途半端にモダンで見栄えのしない、1960年代、70年代風のすすけたコンクリートの高層住宅ビルがぎっしりたっていました。
日よけ布を張り出したベランダには洗濯物がいっぱい...
帰り道は歩道ぎりぎりの細い横道を抜けるルートに変わり、人々の生活をもっと身近に目にすることができました。
路上に椅子を数客並べたバーで昼間からビールを飲む観光客ではない地元の人や、間口の狭い商店、戸口の階段に座っておしゃべりを楽しむお年寄り、などなど。
坂の途中のちょっと立派な噴水のある小さな広場の前でバスが停車しました。
噴き上げる水に青藻がいっぱいわいてまるでバスクリンみたい、しかも広い水盤にたまった水はふちにドロドロ泡を吹く茶色い水垢が吹き寄せられ、キタナいことこの上なし。
メインテナンスできないなら噴水を止めればいいと思うのですが。
古い美しい街に生活感が垣間見えた時、「旅情」を感じるものなのですが、バスの行きかえりに見た なんだかショボくて貧しげなアルマダの生活感は…ちょっと違います。
いえ、この町の風景のショボさは日本でもイギリスでも おそらくその他どこでも よく目にする、ごくありふれた程度です。
でもヨーロッパ有数の国際観光地、リスボンに旅行中、しかもリスボン観光の目玉の一つとして知られる観光スポットへの移動中に目にしちゃったというのが…なんだかちょっぴり後ろめたい気分にさせられました。
目的地の高い丘の上には観光バスがたくさん とまっていました。
キリスト像だけではなく、広大な敷地一帯が宗教施設のようです。
カトリック教徒の巡礼の人も観光バスを連ねてやってくるようです。
景観に統一性を持たせるためか 植えられているのはすべて同じ樹齢のオリーブの木ばかり。
キリストの時代のパレスチナ....? か何かに見えるよう意図していると思うのですが。
像の土台は、コンクリートのカッコつけすぎ現代建築。
巨大な鉄の十字架が、てっぺんにキリストをいただくカッコつけすぎ現代建築に向かってドカンと配置されています。
見た時に「この中途半端な角度は何かな?」と思ったのですが、後で写真を見て気がつきました。
キリストがゴルゴダの丘を登った時に担いだ十字架の角度では?
それなりの尺度の(カッコつけすぎ現代建築の上に立っているキリスト像はめちゃくちゃ大きすぎます)キリストが中腰で下にかがめる角度だと思います。
透明人間に担がれた十字架が配置された素晴らしい眺望スポット!
向こう岸がリスボンです。
独裁者サラザールが独断で建設、1966年に開通し、自身の名前を付けさせた(サラザール橋)壮大なつり橋、「4月25日橋」が見下ろせます。
1974年の革命でサラザールが政権を追われると革命勃発を記念する「4月25日橋」に改名されました。
橋のたもとで通行料金を徴収するようです。
車の長い流れが料金支払いゲートで止まってまた動き出すところをしばらく上から観察しました。
カッコつけすぎ現代建築の中は、いかにもカトリック教会好みのモダンで抽象的な内装の 立派な礼拝施設になっていました。
キリスト像の足もとの展望台にも もちろん上がりました。
(建物の中に入ってみるまで上まで上がれることに気がつきませんでした)
料金を払って7階までエレベーターであがり、ぐるぐる回る階段を3階ほど上がって、吹きさらしの展望スペースにたどり着きました。
静かに流れる大河と河の向こうにキチキチとかたまるリスボンの町...絶景です。
(スマートフォーンで写真を撮っても撮れた写真のスケールの小ささにはいつもがっかりさせられます。だから撮ったのは上の一枚だけ)
写真を撮るのが嫌いなうちの夫は旅行中、たった一枚だけスマートフォーンで写真を撮りました。
両手を広げて王国に人々を迎えるポーズの(だと思います)キリスト像を見上げたところ。
無新論者のうちの夫は自分で撮った下から見上げたキリスト像写真をスマートフォーンのホームスクリーンの壁紙写真に使っています!
風がビュービュー吹き付ける展望台にあがったとたん、大音量で流れているステレオ効果抜群の荘厳な聖歌が聞こえてきました。
信者を敬虔な気持ちにさせる効果は抜群でしょう。
信仰のない私たちはウッと吹き出したいのをこらえました。
キリストの立つ足もとの台に世界各国語で...
...というメッセージが刻まれていました。
「神は愛なり」と文語体で書いてほしかったです。
1959年に除幕されたこの宗教モニュメントを建造させたのはやっぱり当時の独裁者、サラザールだそうです。
有名なブラジルのリオ・デ・ジャネイロの巨大キリスト像、「贖い主、キリスト」からインスピレーションを得た(というよりマネ、自分が支配する国の首都を見下ろす立派な宗教像が欲しかったんですね)そうです。
観光客の多くは両手を広げた「はりつけポーズ」でキリスト像と一緒に記念写真を撮っていました。
ありきたりで恥ずかしい(インスタグラムに投稿してたりするともっと恥ずかしい)...というか、信仰のある人もけっこう来ているみたいなのに、罰当たりな感じです。
このカップルは大はしゃぎでした。
はりつけポーズのみならず、キリストの背後でぬかずく聖人のモダン彫刻のポーズまでマネする彼氏の写真を撮る彼女。
それを写真に撮る私。
行かなかったと 言うか 行けなかった 後悔を
抱えたまま 何となく 忘却するのかと
思ってましたが 貴女の ブログの お陰で
見る事が 出来て 有り難く お礼申し上げます
アフリカの アンゴラの友人(既に故人ですが)
の里が Almadaから かなり奥に入った田舎だ
と言うだけの記憶です
貴女の「噴き上げる水に青藻がいっぱいわいてまるでバスクリンみたい、しかも広い水盤にたまった水はふちにドロドロ泡を吹く茶色い水垢が吹き寄せられ、キタナいことこの上なし。」と言う表現も描写が素晴らしく
バスの帰り道の
「古い美しい街並みに生活感が垣間見えた時、「旅情」という文学的な言葉が浮かぶものなのですが、なんだか貧し気でしょぼい印象のバスの行きかえりに見た地元の光景....見てよかったのか? 後ろめたく感じられる光景でした。」
日本は発展したから 後ろめたく 感じるかもしれませんが ポルトガルから アンゴラに 出稼ぎにでた 人を 相手に 日本の商品(ヤマハのバイク 日産のピックアップ NECの電話網)を 売る
商売をしていた 僕にしてみると
うすら寂しい故郷を忍びつつ アフリカで小銭を稼いでる 彼らが 大好きです
その 故郷の雰囲気を 味わいたいし
日本も 戦後(僕の育った頃)は似たような ものだった と 思います
亡くなった アンゴラの友達(ポルトガル人)を思い出し 筆が長くなりました 個人的な事を
書き綴って ご迷惑をかけたら ゴメンナサイ
私が駆け足で通り過ぎた日本人の関心をあまり引かないような街に個人的な思い入れがある方がいてそれを書き残してくださったのもうれしいです。
ところで...
びんぼったらしい町の描写がちょっと度を越えたかもしれません。町がしょぼく見えたのは事実ですが。ただ、あの程度のしょぼさは日本でもイギリスでもどこでもあることで、発展途上国のように子供や障害者が物乞いをしているとかそんな目をそむけたくなるようなものを見たわけでは決してないのです。後ろめたく思えたのは日本が発展したから、というのともちょっと違いますね。
ヨーロッパ有数の観光地に行って、見てはいけないものを見ちゃったかも、というのが後ろめたさの要因でしょうか?
本文、ちょっと書きなおしました。
クリスト・レイが船着き場から歩いていける距離にあったなら、私がバスで通ったコンクリートの高層住宅街の様子は全く変わっていたでしょう。徒歩でクリスト・レイ見物に向かう観光客相手に俗っぽいお土産物屋や、英語の話せるスタッフを擁したカフェ、ロザリオや聖母像を売るカトリック・グッズを売る店など立ち並び、噴水のメンテナンスもバッチリ整い水盤に腰かけアイスクリームを食べたり水にコインを投げ込んだりする観光客がいっぱい、観光で潤う町になっていたことでしょうに。
アルマダは、あれでいいのです。目をそむけたくなるような貧しい光景は見かけませんでしたよ!超有名観光スポット(への道)にしたらしょぼく見えたというだけです。