イギリス/ストックポート日報 《England/ Daily Stockport》

イギリス北西部の歴史ある街、ストックポート Stockportから(ほぼ)日替わりでお送りする、イギリス生活のあれこれ。

1か月先のハローウィーン、2か月先のクリスマス。今から何をどうしようというのかウンザリ販売戦略

2023年09月30日 08時00分00秒 | 英国の、生活のひとコマ

9月の終わりのショッピングセンターの駐車場で撮りました。

 

ああ、もうこんな時期か...と思わせる手芸用品店のショーウィンドーのディスプレイ。(うんざりです)

「ハロウィーン・ショップ」と「クリスマス・ショップ」をいっしょに「オープン!」しなくてもいいと思いませんか(節操がない)

そもそも、アメリカ発祥の子供たちのお楽しみイベント、ハローウィーン(10月31日)が終わった後は、11月11日の戦没者慰霊の日、レッド・ポピー・デイにむけて国中が厳粛なムードにひたりきるのがお約束ゴトだったはずなのです。飾りつけやクリスマス・ソングなど浮かれた雰囲気のクリスマスへの期待はちょっとおあずけの、一拍おく期間が必然でした。…たしか20年ぐらい前までは。

この節操のないキャンペーンは9月のはじめ頃から始まったんじゃないでしょうか。クリスマスカードは8月の終わりごろから出回り始めます。早く始めたもの勝ちみたいなイベント先取り競争です。(いったい何の競争なのでしょう?)

レッド・ポピー・デイも、はっきり言ってあまり関心がないですが。王室メンバーもゾロゾロ出てくる軍事パレードをテレビで見るのは楽しみですが。

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ネコの近況報告、ご心配をおかけしました、ティブのハゲ改善

2023年09月29日 07時01分49秒 | うちのネコ、よそのネコ

とつぜんですが、ネコの近況報告…タイベリウス(愛称、ティブ)の背中のハゲの回復状況です。個人的に心配してくださる方がいるものですから。

きのう撮った写真です。

だいぶ生えそろってきました。もう地肌は見せません。

 

以前のように神経質にいつまでも同じ場所を執拗になめ続ける、過剰な毛づくろい衝動はおさまったようです。

なぜ始まって、なぜ今になっておさまったのかはいまだに不明です。

生えそろった毛のグレーの濃度がなぜだか薄いのが気になります。まだ伸び切っていないので何とも言えませんが。

 

ティブの母、リヴィア(愛称、リヴィー)の写真もついでですので、お目にかけます。

あいかわらず、一点の非もないつややかな美しい毛並みと、ずんぐりむっくりした均整の取れていない体型のリヴィーです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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カモメの生態、悪行三昧、ウィットビーのなぜか憎めないなじみの「カモメ」

2023年09月27日 08時00分00秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。(6回目)

「カモメ」の話題です。

 

ウィットビーに限らず、海辺の町には必ずいますよね。

日本で「カモメ」と呼ぶ白い大きな海鳥を英語でseagullと言うことはご存知ですよね、学校で習いましたし。

ただ、正しくは「白い大きな海鳥(便宜上、カモメとよびます)」は、gull ガルと言うべきでそもそも「シーガル」は通名で、そんな名前のガルはいないそうです。

実にさまざまな種類がある「ガル」ですが、ウィットビーにいるのはもっぱらへリンガル herring gull とキットウェイク kittwake の2種類。

(雨宿りに入った美術館パネット・アート・ギャラリーの海を題材にした絵画の展示室にかかっていた、海鳥に関する子供向きの教育パネル展示で知りました)

私がウィットビーで見かけた「カモメ」はすべて、へリンガルのようです。キットウェイクは「カモメ」の小型版で、足が黒く、「キッティウェイク♪」と鳴くそうです。

足がピンクで、大型で「あ~あ~」とやかましく鳴くへリンガルが常習とする暴行、窃盗、追剥ぎ、ゴミ箱あさり、物乞いと言った浅ましい犯罪とは無関係だそうです。

 

ウィットビーの町に設置してあるすべてのゴミ箱には金属製のお願い表示がとりつけられていました。

 

「カモメに食べ物をやらないでください」と書かれた左側の表示の「カモメ」のあつかましい笑顔が気に入りました。

ついでです;右側の「ねっちょり仔イヌ?かたずけましょう」と和訳すればわけがわからない、ゴロの良い標語(イヌのウンコを片付けて、このゴミ箱に入れてください)も気が利いています。「マッキーパップ、クリーニッタップ」と読み上げればマントラのように頭の中で繰り返したくなりますよね。ねっとりしたウンコとイヌのお尻の穴の表現も標語イラストの域を超越しています。

ヨークシャー東部海岸地域ではほんっとうに「カモメ(へリンガル)」の害に手を焼いているようです。観光客の手からフィッシュ&チップスやアイスクリーム、袋菓子を袋ごと奪ったり、食べ物の入った買い物袋を持ち歩いていると集団で襲われたり...観光、住民の生活への妨害など人的被害がひどいそうです。

もちろん、カモメの悪行はヨークシャーの海辺の観光地に限ったことではありません。英国内のみならず、同じ種類のヨーロピアン・へリンガルの悪名は西ヨーロッパ全域にとどろいているようです。

 

ずいぶん前のストックポート日報 記事から転載しました☟。世界遺産指定都市、英国西南の国際的な観光地、バース Bath のカモメです☟

 

ストックポートの、カモメとハトが全員集合!のこの広場は数年にわたって工事中のため閉鎖しています。エサやりの人が入れなくなった今、カモメは見かけません。☟☟

どちらも海のない、バースとストックポートのカモメに関する過去の記事のリンクです☟☟(ストックポートの記事は、シーガルとガルについて、他人から聞きかじった大間違いの見識をしゃあしゃあとご披露しているそのままです!)

観光都市、バースのカモメはグルメ! バースその4

ストックポートで共存、海辺のお友達カモメと町のハト、住人がまくエサを目当てに全員集合  

ヨークシャーの観光サイトがリンクを載せている野鳥保護団体、The RSPB のウェッブサイトによれば、へリンガルが生存の糧を人間に寄生することによって得るようになったのはここ数十年来のことだとか。それまでは野鳥として海のサカナをとって自活して人間とは距離を取って生活していたそうです。

強奪したりゴミあさりをしたりして得られる人間の食べ物を常食するへリンガルは必然的に短命だそうです。

エサをやる観光客が後を絶たないため、へリンガルが楽をして苦難の野生生活に見切りをつけることをおぼえちゃったんですね。人をおそれることをやめた野鳥の存在は生態系のためにもよくないです!

海辺の光景に欠かせない「カモメ」の写真を撮るために食べ物をちらつかせる観光客が今でもすごく多いとか。

エサやり、やめましょう!

 

ウィットビーのB&B に連泊中、町の中心に出るために連日 通った商店街、フラワーゲートFlowergate (通りの名前)です。

イヌの話題の回で使った写真です。↑

フラワーゲートに住みついた「カモメ」のロバート。

あごからスキンタッグと言われる余った皮膚をダラダラ垂らしている特徴のある「カモメ」です。

上の写真の右側の、アンティークショップの女性経営者に開店時と、夕方の閉店時に一日2回、店の前で餌(乾燥ミミズ)をもらっているのです!エサやり時間以外も、ペタペタ道をうろついているのをほぼ毎回、通るたびに見かけました。

愛嬌たっぷり、憎めません。通るたびに「今日はロバート、いるかな?」とキョロキョロ見まわしてしまいました。

しかし...地元の人がエサやり...いいのか?!本当はダメでしょうね。

波止場のあるエスク川まで、突き当りの建物を飛び越えれば10秒の場所です。

波止場や海岸にいるおおぜいの「カモメ」仲間とは付き合いがないらしい一匹狼のロバートです。

この絶好のえさ場を他人と分かち合い、荒らされるのはイヤでしょうね。「お前、いつもたらふく食っているようだな、俺たちもつれてけよ」なんて波止場の「カモメ」仲間にすごまれて、大勢おしかけるようになれば商店街もエサやりを禁止せざるを得なくなるのでは?

 

ああ、ややこしい。実は私が「カモメ」「カモメ」と(便宜上)言い続けたへリンガルは、日本語では「ウミネコ」に分類されるみたいですよ?!ウミネコと「カモメ」の一番特徴的な違いは、目だそうです。

日本語の「カモメ」の目は黒く丸くつぶらです。ウミネコの目は細い吊り目状の赤い縁取りがあり、白目が多いので、目つきが鋭い印象が強いのです。へリンガルはすべてこの目つきの悪いタイプです!

 

 

 

 

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雨ふりの日の観光になくてはならない地元の博物館!レトロな展示の化石とグロ物件!

2023年09月25日 08時00分00秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。(5回目)

今回は、雨ふりの日のお楽しみ、美術館と博物館見学。

 

ウィットビー・アビーがたつ丘と「オールド・タウン」のあるエスク川東岸ではなく、砂浜の海岸のある比較的新しい(と言っても18世紀の開発ですが)西岸の なだらかな丘の住宅地の中に、パネット・パーク Panett Park というきれいな公園があります。

私たちが滞在した、海岸そばのベッド&ブレックファーストから川岸の街なかに出るのに毎日その横を通りました。

美術館 Panett Art Gallery と、博物館 Whitby Museum はこの、坂だらけの公園の中の一番高い位置にあります。

実は、外観の写真を撮るのを忘れました!!ウェッブサイトの観光ページから勝手に上の写真を拝借しました。

公園内の美しいらしい庭園は残念、見る機会がありませんでした。(雨の日だったものですから)

建物を入ってすぐの美術館をまず見学。地元アーティストに特化した展示はほほ笑ましく入館無料で雨宿りにはもってこい。とは言え、時間つぶしにもうちょっと見るものが欲しかったので...奥にあるウィットビー博物館 Whitby Museum に入館しました。

驚いたことに、1人£7-00(1,273円) の高額の入館料を取るのです。1回払えば向こう1年、何回でも入館可能な「年会費」(!)だそうです。

英国の多くの博物館は、観光地の地元の郷土史博物館であれ、大学など研究機関の付属であれ、入館無料料が一般的です。特にこのような「マジメ」そうな学術資料を擁する地元博物館では、取ってもせいぜい...2ポンドぐらいが相場ではないでしょうか。

また戻ってくるとは考えにくい観光客を相手に、「年会費」とはちょっとボッタクリ気味な請求ですが、「寄付」と割り切って払いました。

なかなか見ごたえのある展示でしたよ!(ちなみに入館無料の美術館は公営だそうですが、博物館は地元の文化財団のような団体が経営する私営だそうです)

前回お見せした、「地元の名士(?)ドラキュラ伯に扮した立つワ二」の写真をもういちど。

...ひじょうに貴重な太古の生物学的資料らしい、ワニの化石と比較したかったものですから。

恐竜や化石が大好きな夫が夢中になりました。

入館してよかったと言えるでしょう。期待どうりの展示です。ウィットビーは実は海岸と川岸を掘れば掘るだけ、ザックザックと化石が採集できる地として世界的に有名だそうですから。特に、アンモナイト ammonite

ウィットビー・アビーの創始者で英国でのキリスト教布教に大きく貢献した聖ヒルダは邪悪なヘビをみんな石に変えてしまったという言い伝えがあるそうです。

ウィットビーの海岸に面した崖に「スネーク・ストーン」がいっぱい詰まっているのはそのためだそうです。アンモナイトの化石にヘビの顔を彫った中世の巡礼記念のお土産モノが展示されていました。

ちなみに、私たちも海岸や川岸をちょこちょこほじくってみましたがそれらしいものは全く見つかりませんでした!

化石堀りには潮の満ち引きを見極めるなど、コツがあるようです。驚いたことに違法ではありません。

オールドタウンには化石店がありました。20年ほど前、小さかった息子にサメの骨の化石を買ってやったおぼえがあります。

アンモナイトの化石はガラクタ骨とう品店やお土産物店で、「どれでもひとつ5ポンド箱」入りでガラガラと売られていました(買わなかったことが悔やまれます。ウェッブ販売でウィットビー発掘のアンモナイトを夫にクリスマスプレゼントに買おうかと今、思っています)

 

町の川岸の広場のアンモナイト型ベンチ☟

ウィットビーの市の紋章のモチーフは波と聖ヒルダ伝説のヘビ!

地元のプロ・サッカーチームの紋章は同じ構図のアンモナイトが三つ。博物館に展示がありました。アンモナイトは町のアイデンティティであり、観光資源でもあるのでした。

 

そして、太古の炭化した木の化石であるジェット jet (黒玉 コクギョク)、これもウィットビーの有名な特産品です。

19世紀にヴィクトリア女王が、夫君アルバートの死後、服喪のために常に身に着けていたというジェットのネックレスもウィットビー産だそうです。

貴石ですよ、これ☟はものすごく豪華ではありませんか?!ジェットの一枚岩(!)に細工をして本物の切って磨いたアンモナイトの化石が象嵌されたチェス盤です。

オールドタウンのチャーチ・ストリートにはたくさんのジェット工芸店がありました。

何も買わなくて申し訳なかったのですが、写真右側手前の Ebor という手工芸のジェットの装飾品を作って販売しているお店で、いろいろ教えてもらいました。(ジェットの一点ものアクセサリーを買うならおススメの店です)

例えば...

店の脇の、川岸にでる小道をおりたところにある...

小さな川岸が彼のジェット採集所であるという大変な企業秘密(!)やジェットと、流木として流れ着いた木炭の見分け方などていねいに教えてくれました。

夫が「見つけた!」と言って拾って店に持ち込んだ黒い塊は角が取れてツルツルになった古い木炭でした。

 

博物館のウィットビー産ジェットの工芸品に関する展示は、飽きるほどの量でした。

古いモノにはおままごとセットやメダルなど、表面に細かい細工を施した装飾品が多いようですね。

チャーチ・ストリート Church Street のいくつものジェット工芸店で売られていた現在流行のスタイルはシンプルに磨いただけの小さな石に凝ったデザインのシルバーのくみあわせが多かったように思います。

 

私もアンモナイトとジェットに関する展示は熱心に見ましたが、もっぱら関心はグロ物件、いえいえ、生活史と言うか地元の民族学というか...

Hand of Glory という、絞首刑で刑死した罪人がまだ首吊り台からぶら下がっている間に切断した手のミイラ!

下の鏡に写った、手のひらの静脈にピントが合っています。

名前の由来やら民間伝承やらを含むとても長ーい説明の重要な部分だけ紹介すると...ドロボウが夜間に家宅侵入する際、指先に灯をともすと住人はドロボウ作業が終了するまで目を覚まさないという後利益がある、ありがたい「おまじない物」です。

ヨーロッパ中世以来の黒魔術とかかわりがあるそうです。ハリー・ポッターのライバル、ドラコ・マルフォイが持っていたということで評判になった人気の展示物だそうです。(映画を見たはずですが、そんな設定は思い出せません)

19世紀末に古い家を買った人が扉の上の横木からつるされていたのを発見、お守りとして大事に持っていたものの、死後託された人が1931年に博物館に寄付した...とあります。

 

それと、これ、首吊りペンダント!

公開処刑が民間の娯楽だったころ、見物者が争って買ったという見物記念のペンダントだそうです。年代は書かれていませんでした。500円硬貨ぐらいの大きさで、本物(と言うふれこみ)の首吊り縄の繊維がちょこっとだけ入っています!

ガラスのケースは球面になっていて、拡大効果があります。これを身に着けていると咽喉系の病気が治る効果があったそうです!!!

夫は18世紀の歯医者の仕事道具セットと歯を抜いている場面の怖ろしい図解に興味を示していました。

 

とにかく...

昔ながらの展示方法で、古い木製の展示ケースにごちゃごちゃと1日、2日では決して見終わらない雑多な展示物がていねいに分類されて広い館内にズラーッと並んでいるのです。

思いっきりショボい「衣装」展示と、充実した「海事」展示が印象的でした。

近頃は、「インタラクティブ」というか、見せ方に工夫した博物館が多いですね。テーマごとに展示品を動かして、ユニークな組み合わせの展示をしたり、コンピューターグラフィックを駆使したり...入館者の関心をひく工夫がいっぱいです。

その点、このウィットビー博物館は、何の工夫もなく、展示ケースと紙にタイプされた説明のみの19世紀から変わらない展示方法なのが何ともレトロで...気に入りました!

展示台の下のゴロゴロした石も何かの考古学資料だと思うのですが、説明が見当たりませんでした。

 

ジャーンってかんじでカーテンをひけば現れる、まばゆいサンゴのコレクションの展示!

インターネットやテレビはもちろん、カラー写真もなかった時代、博物館や美術館、動物園などで実物を見るしかなかった昔の人はさぞ、びっくりしてありがたがったことでしょう。

開館は1930年だそうです。

 

「民俗学」のコーナーで、大きなガラスケースにごちゃごちゃまとめられていた「極東の遺物」の中には、日本の戊辰戦争(明治維新)の頃のような陣羽織や塗り笠が中国の陶器や塗り物やなぜかシルクロード風の布工芸品といっしょに展示されていました。説明はほとんどありません。

モンゴル風のどてらに「日本」と書かれていたのはともかく、真ん中に盛り上がった一点鼻緒のある子供用のサンダル(東欧風のペイントがしてありました)に「日本の習慣である纏足をした女性の履物、19世紀」と書かれていたのには、入場券を売っていた女性に抗議しました。

纏足は日本の習慣ではないことと、第一、纏足で内側に折り曲げられた足指で「鼻緒」をはさめるわけがないでしょう?!と。

とても感じのいい受付の女性は私のいうことをていねいにメモに取り、学芸員に伝えると約束してくれました。たぶん、戦前に家にあったガラクタを持て余して寄付した人は実際に極東を何十年も前に旅行してお土産物を買いまわった故人の子供や孫だったのでしょうね。訳も分からず寄付されたものをリサーチもしないで展示したものと思われます。(それも言ってやりました)

その女性は、戦前からずっと展示していた英国の古い農具の説明が、最近、来館者によって大間違いだと指摘されたいきさつと、その間違い説明と訂正した説明をどちらも掲示している展示ケースに案内してくれました。

来館者のアドヴァイスは大歓迎だそうです。正直で気に入りました。

 

よくある、古そうな指さし案内板です。

パネット・パークの外壁に、「博物館と美術館(の入り口)はこちら」と案内しているこの指が、ミイラみたいで気持ち悪いですよね。

入館して判明。名物展示物の「ハンド・オブ・グローリー」のパロディ表示みたいです。(ですよね?)

 

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イヌ連れ歓迎ウィットビーにはイヌ連れ多し、それも同じ種類の複数飼い...多様性に関する疑問等

2023年09月23日 06時21分57秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。(4回目)今日は番外編、イヌの話題をお届けします。

 

ベッド&ブレックファースト(B&B)のご主人が犬の散歩から帰ったところです。私たちは出かけるところでした。

(写真奥に海岸の水平線が見えています)

ボクサー・ドッグのオスカー(手前)とレイア、いっしょに生まれた12歳の高齢の兄妹だそうです。

ウィットビーに滞在中、ものすごい数のイヌを見かけました。本当に、膨大な数のイヌ連れが町中にあふれていました。

 

スコットランドとの国境の町、同じく北海沿岸の歴史ある町、ベリック Bewrick upon Tweed でも滞在中おびただしい数のイヌを町の中で見かけたものでした。どこの店もパブも、カフェも、行く先々でイヌ連れ歓迎だったのが印象的でした。ウィットビーでも同様でした。

ウィットビーのオールド・タウンの中心、チャーチ・ストリートの古いパブで行きあわせたイヌが全部で4匹(!)写っています。気をつけて探してみてください。☟

私が住んでいるグレーター・マンチェスター界隈では、まだまだイヌを連れてはいれる店や飲食店は限られていますから、ちょっと驚きでした。

ウィットビーでは同じ犬種のイヌ2匹(かそれ以上)連れている飼い主を本当にたくさん見かけました。見かけるたびに写真に撮ろうとしたのですが...実際は、もっともっとたくさんそれこそ40組ぐらいは見かけましたよ。

中には、滞在中、バスに乗って日帰りで行ってみた古い漁村のスタイス Staithes で撮った写真も混ざっています。(行き返りのバスにもイヌ連れ客2,3家族と乗り合わせました)

 

飼い主が外出中、家に残された飼い犬のストレスは大変なものだという報告をこの頃よく聞きます。他のイヌがいれば寂しさによるストレスが減る、とも聞いたことがあります。2頭以上いっしょに飼うはそのためでしょうか。

 

 

スパニエル系やラブラドール、黒白のボーダー・コリーなど長毛で、賢くて気性のおだやかな...どちらかと言うと中流家庭や年配のご夫婦が好みそうな犬種ばかり見かけました。

ストックポートあたりでよく見かける、労働者階級、あるいはいかついイメージの男性がよく連れている脚がガニガニして悲哀感あふれる顔立ちの闘犬系のイヌはぜんぜん見かけませんでした。(例外はB&Bのボクサードッグです)

駅の裏で見かけたグレイハウンドはおそらく引退したドッグレースのレースドッグ(競争犬)でしょう。速く走れなくなったグレイハウンドを殺処分から救って引き取るのもとても中流階級っぽい社会貢献だと言われています。

もう1組...(2匹、プラスお友達が連れていたもう1匹)のグレイハウンドの隠し撮りがイヌ本人にバレました。

 

 

 

ボーダー・テリアを連れていた人のなんと多かったことか!

 

故エリザベス女王の愛犬として知られる短足犬、コルギーや...

 

同じく短足犬のダックスフント、そして、今回、1匹だけ見かけたパグを2頭以上いっしょに飼っている人はウィットビーに限らずけっこう多いように思います。

ちなみに、日本でおなじみの犬種名ダックスフントは、英国では全く通じません。英語で、ダッチェスズ・ハウンドと言うそうなのですが、むしろ見た目どおり「ソーセージ・ドッグ」と言った方が通りがいいでしょう。

ところで、イヌ連れにとても寛容なウィットビーとはいえ、やはりイヌ連れ泊はお断りのホテルやベッド&ブレックファーストが多いのではないでしょうか。どう見ても「観光客」らしい多くのイヌ連れはどこに滞在しているのでしょうか。

ベッド&ブレックファーストの奥さんに聞いてみたら、思った通り、床がビニール張りなど「イヌ連れ客専門」の施設でないとイヌを受け入れるのは難しいとのことでした。

滞在したB&Bでは、1階から3階までが宿泊エリアです。(4階の屋根裏部屋は収納階)掘り下げた庭がぐるっとついている、半地下のアパートメントに住んでいるB&Bの経営者ご夫妻は、年寄りイヌの兄妹2匹に宿泊エリアに踏み込ませたことはいちどもないと言っていました。お客の中にはイヌの嫌いな人もいるでしょうから。...そのバランスが問題ですよね。

イヌを連れて泊りがけの滞在をするのなら、一家族で一軒借りる「ホリデー・コテージ(=貸別荘)」か「キャラバン(=キャンピングカー)パーク」、夏ならキャンプ施設を利用するしかないそうです。

...もしかしたら、近隣の町や田舎から日帰りで遊びに来ている人が多かったのかもしれません。

ウィットビー(やその他の町)ではイヌ連れに寛容だという情報が知れ渡っているなら、イヌをどこにでも連れて歩きたい人は喜んで目的地に選ぶでしょう。反対に、イヌが嫌いな人はハアハア言っている雨に濡れたイヌがいるカフェやパブで飲食するのはイヤでしょうから、ウィットビーにわざわざ来ることはないのかもしれません。

「イヌ連れ優遇」をどうやら町ぐるみで選んだらしいウィットビー、私の滞在中の盛況ぶりを見るかぎり上手な選択をしたと言えるでしょう。

大きめのイヌを複数飼いするのは引退していて、そして確実に庭のある大き目の家に住んでいる生活に余裕がありそうな人たち、みたいなイメージがあります。都会でたて込んだ住宅の多いマンチェスター近辺よりはウィットビーの周りの田舎エリアには敷地の広い住宅も多いのかもしれません。

...とは言え、ストックポートから30分もドライブすると行けるピーク・ディストリクトは究極の山岳田舎エリアですが、そう言えば複数飼いのイヌはめったに見かけません...

 

この写真は、夫が「撮って」と言ったので撮りました。

(セッター風のイヌ3匹連れの男性の写真が撮れて好都合です)

黒いコートの男性が、公衆便所に使用料70ペンスを徴収することに憤って憤懣を誰ともなくぶつけて長演説をしていました。ビデオ撮影している人もいました。

観光地として名高いウィットビーが、観光客から公衆便所の使用料を取るのは呆れたことだと私も思います。のみならず、観光案内所では町の観光地図を1ポンドで販売していました!

英国のたいていの観光地では...と言うか、私が行った他のすべての観光地では(!)地元のビジネスの広告が載った観光地図を無料でくれるはずですよ!

...と言っても、私が英国に来たばかりの30年以上前は、使用料を取る公衆便所はたくさんありましたっけ...管理人のオバサンが常駐して清潔で設備が整っていたので驚いた記憶があります。当時、日本の公衆便所は非常に汚かったものでしたから(トイレットペーパーもハンドタオルも皆無でしたしね)

それと、どうしても気が付かずにはいられなかった事実は...地元の人も、観光客も会う人すべてが白人ばかり!!

こんな話をすると嫌がるだろうなぁ...と思って話を向けてみた夫も同意してくれました。それまでの3日間こっそり気にしていたようです。

やはり「人種の話は滞在中一切しないでくれ」とくぎを刺されましたが...うちの近所や生まれ育ったロンドン近郊ではいかに「多様性」に慣れ切っていたのか徹底的に痛感したと言っていました。

中国人観光客のいない観光地なんてほんとうに2,30年ぶりですっ!ワクチン接種率がとても低いという中国ではまだコービッド(コロナウィルスによる感染症)の影響による旅行規制があるようですね。

 

 

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ウィットビーの、下からの眺望のポイント、海に突き出した武骨なピアと有名な怪奇観光資源

2023年09月22日 08時00分00秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。(3回目)

エスク川河口の、東岸と西岸からそれぞれ北海にむけて伸びる桟橋 (ピア) pier が2本あります。

 

 

英国の観光地として名高い海岸にはたいていある、19世紀建造の瀟洒なつくりの観光ピアがウィットビーにはありません。

観光ピアにはカフェ、アイスクリーム・スタンド、パブやお土産物屋、ゲーム・アーケード(レトロなゲームセンター)などがあるのが普通です。

ウィットビーのピアは、がっしりと実用的なコンクリート製です。

雨降りの、風が強い日に河口の西岸(僧院のある丘のある側の対岸)からのびるウエスト・ピア West Pier を先端まで歩いてみました。

ピアは灯台のあるちょっと広くなったこの場所(上の写真)でおしまい。

 

 

天気のよかった別の日に、丘の上の、教会の墓地から見下ろした河口の眺めです。(昨日のストックポート日報 参照)左側がウェスト・ピアです。

ピアの先には幅の狭い、防波堤 breakwater があります。上から見るとゆるく湾曲しているのがわかりますね。

灯台のあるピアのおしまいまではたくさんの観光客が歩いてきていました。

ウィットビー・アビー(僧院)と教会のある丘の上を見上げたり、川沿いにつづく古い波止場町を振り返ってみたり、眺望スポットなのです。

...そう言えば対岸の、イースト・ピア East Pier には、ウェスト・ピアにあった鉄の柵がありません!危なそうですね。

どちらも上を歩けるようになっているにもかかわらず、丘の上の眺望が望める、こちら側のウェスト・ピアのほうがもっと人気のある眺望スポットのようです。

防波堤の上の板張りのデッキは遊歩道になっているのですが、この日は風が強くて、灯台のある眺望スポットでピアを引き返す人がほとんどのようでした。特に、イヌ連れは板張りの床を避けがちです。(晴れても降っても、町中イヌを連れた人がなんと多かったことか!?)

板と板の間は3~4センチぐらい開いていて、イヌの足がボソッとはまらないか心配です。(1匹だけ、勇敢なラブラドール犬が前を見てスタスタと歩いていきました)

私たちは、一番先まで行きました!灰色の荒れた波の水平線の眺めは最高でしたが雨と風の中、じっと立っているのは苦痛でした。メガネが濡れるし。早々に引き返してコーヒーが飲める所を探しました。

ところで、私たちが滞在したベッド&ブレックファーストに、朝食時にいつも一緒になる、40歳ぐらいのひとり旅の男性がいました。1週間以上毎日、ピアの先(防波堤の板張りデッキの下)で1日中釣り糸をたれていた熱心な釣り人でした。

板張りデッキの一番先まで行くと、この写真のやぐらの下に下の防波堤に降りる昇降口と鉄の梯子段があります。

 

目当てのマカレル(青地に黒のトラジマ模様のサバの一種)が毎日10 尾以上釣れたそうです。その他にも釣ったけど食べられないので放してやった多くのサカナを含め、写真を見せてもらいました。

マカレルのなん尾かは新聞紙でくるんで持ち帰り、宿の奥さんにプレゼントしたそうです。他は地元のグルメパブに持ち込み、毎日違うレシピで料理してもらって食べて帰ったそうです!連日10匹以上パブに寄付、持ち込みマカレルを料理してもらって、ビールは飲み放題が代価のなかなか楽しい取り決めのようです。

「客の持ち込んだサカナが厨房に入った」と聞くや否や注文が殺到!パブは大儲けだったでしょう。

釣り人の持ち込み大歓迎のレストランやパブが海辺の町にはかなりたくさんあるそうです。客として入って聞いてみるまでは料理してくれるか引き取ってくれるかは、わからないそうですが「ここはイケそうだな」という店は何となくカンでわかるのだそうです。

 

雨ふりで強風にもかかわらず、たくさんの人が199段の階段を上がるのがピアから見えました。

199段はカンベンね...と言い続けていた夫がその翌日の晴天の夕方に、自主的に上がってしまった顛末は前回の ストックポート日報 をお読みください。

ウィットビーと言えば、避けて通れない話題が吸血鬼ドラキュラ Dracula です。

 

ウェスト・ピア手前の、エスク川西岸はゲーム・アーケードやら安っぽい土産物屋やら立ち食いフィッシュ&チップス屋やらがズラッと並ぶ通俗観光地エリアです。

そこで一番人目を惹くのがこのドラキュラ・イクスペリエンス Dracula Experience というアトラクション。

観光案内には「博物館 museum」あつかいで載っていますが、どうもうさん臭いですね。入らなかったので断言できませんが、外見から判断するとお化け屋敷っぽい雰囲気です。

前回、2001年ごろに来た時に、前を通りかかって吸血鬼ドラキュラとウィットビーの関係に興味をもちました。

その時まで、19世紀英国のゴシック(怪奇)小説の草分け的小説、「ドラキュラ Dracula 」が1897年にウィットビーで執筆されたということを知りませんでした。それどころか、ロンドンに住む主人公の婚約者目当てにやってきたトランシルバニアのドラキュラ伯が英国で最初に上陸した港がウィットビーだという設定だそうです!

作者、ブラム・ストーカー Bram Stoker はウィットビー在住(国籍はアイルランド人だそうですが)で、僧院の廃墟や、広大な墓地のある中世の教会などの怪奇性をヒントに、ドラキュラ伯がウィットビーに来る設定を思いついたのだそうです。

ドラキュラ伯は教会に続く199段の階段を駆け上がり、墓地に隠れたということになっています。

(どちらにも入館していないので何とも言えませんが!)ストーカーの文学性やドラキュラ物語の背景にマジメな興味がおありならば、ドラキュラ・イクスペリエンスよりも、ウィットビー・アビーの資料館をおススメします。初版本を含む詳しい展示があるということなので。

チャーチ・ストリートの書店にはドラキュラ専門の棚と怪奇小説専門の棚がありました。

特売、£2-99 (542円、出版社の希望価格です)のペーパー・バッグを買おうかどうか迷って結局買いませんでした。著作権が切れているので、探せばオンラインで無料で読めるはずです。...ちょっと難しそうなやっかいな英文なようです。翻訳を読んだこともありません。

日本で、40年近く前ドラキュラのフランス映画を見たのですが、ウィットビーらしい港町が出てきたのかどうか、妙に耽美的でストーリーもはっきりと覚えていません。オンラインサーチで調べたあらすじとずいぶん違ったような気がします。

滞在先のそばの食品店のショーウィンドウにドラキュラの名をレベルに冠したワインが並んでいました。

夫は「不味いぞ、絶対」と決めつけました。

 

雨の日の観光地での過ごし方の決定版。地元の(マジメな)博物館に行きました。

ああああ、好きだなぁ、恥ずかしいなぁ、ドラキュラ伯に扮した立つワニ!!!

吸血鬼ドラキュラ、貴重な観光資源ですね!

現地での格安ペーパーブック入手がかなわなかった今、意地でも無料で読んでみなければ!(和訳が見つかればそっちの方が好都合)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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過去の記億をたぐれなかったウィットビー再訪問、絶景と英国内有数の貴重な歴史遺跡!

2023年09月21日 07時30分00秒 | イングランド北部

イングランド北東部の有名な観光地、ウィットビー Whitby 、続きです。

 

ウィットビーのもっとも名高い観光名所と言えば、北海を見下ろす小高い丘の上にそびえたつ古い僧院、ウィットビー・アビー Whitby Abbey (の廃墟)でしょう。

...なんて言っておいて、実は私たちは入場料を払って見学していません!

いちばんちかくで撮った写真が、これです☟。

疲れた顔をして写っちゃっているのは夫です。

ウィッキピーデアから勝手に借りた立派な写真で全体をお見せします。☟

現在は、主に古城など廃墟のような史跡遺産を現状のまま保存して公開している私営の非営利団体、イングリッシュ・ヘリテージ English Haritage が管理しています。上の写真のような全景を見るには £11-00 (2,013円)の入場料を払って敷地内に入らなければなりません。

敷地内にはちょっとした庭園やピクニックエリア、立派な資料館、カフェやギフトショップなどがあります。

夕方の6時過ぎ、閉館後に入り口付近を通りました。レトロなアイスクリームヴァンがまだ店開きしていました。

658年、アングロサクソン七王国のひとつノーザンブリア王国の国王が建立した英国の初期キリスト教建築を代表する(もっとも古い部類の)ものすごーく貴重な遺跡です。初代の僧院長は国王の姪、聖ヒルダ、ウィットビーの守護聖人...だそうです。

国王ヘンリー八世が国教制をしいて、カトリック教を禁制化、1538年に閉鎖されました。

以後、使われなくなったまま荒廃して500年近く、長く近海を航海する船乗りたちの方位を知るための目印として使われてきたそうです。

 

丘の上の壮大な廃墟は町のどこからでも目につきます。

 

僧院のとなりのこれまた古い歴史のある教会、チャーチ・オブ・セント・メアリーズ Church of Saint Mary's の広大な墓地は海を見下ろす絶景スポットです。

たいていの英国の古い教会の境内にある墓地はけっこう狭いのですがここは違いました!海に面した丘一面に立つ墓標の数々...圧巻です。

このあたりから内陸方向に右を向いたら、僧院が遮るものなくよく見えました。(写真を撮るのを忘れました)

英国には古い教会の墓地で墓標を読むのを楽しむ人がけっこういます。死因や職業、死亡した年齢などが書かれていることもあり、興味深いです。私も夫も暇な時はひとつづつ見て歩き、古い墓標探し競争などして楽しみます(不謹慎ですね)

 

この教会もとても古いですよ。僧院よりちょっと後の12世紀建立(数百年にわたって修復されているようですが)、他の古い教会同様、もちろん最初はカトリックの教会だったのですが、ヘンリー八世の国教制の際、英国国教会に接収されて閉鎖をまぬがれ、現在も国教会の教会として使われています

...話が前後しますが!

エスク川 River Esk を渡ったこちら側(僧院のある丘のある側)は「オールド・タウン」と呼ばれている古い入り組んだ街並みです。

観光客に最も人気のあるその名もチャーチ・ストリート Church Street をおしまいまで行ったところの...

青い窓枠のアイスクリーム屋の角を入ったらすぐ目の前に...吸血鬼ドラキュラも一気に駆け上がったという(別の回で後述します)教会に続く有名な 199段の階段 199 Steps があります。

以下、話がどんどん飛びますが、悪しからず。

実は、私たちは20年ほど以前にウィットビーに来たことがあるのです。その時は小さかった息子と夫とたしか3人で(娘が生まれる前だったと記憶しています)夫の弟が所有する、ヨークシャー中部の貸別荘に厚意で泊らせてもらい、日帰りで来たのでした。借り手がいなかった冬のことだったはずです。

何とも記憶があいまいなこの旅行時の思い出を夫と話し合っても食い違いばかりで...

この199段の階段を上がった記憶は抜けていますが、下りたところ(アイスクリーム屋の向かい)の、☟の写真の白いヴァンのとまっているあたりで、たしか映画かテレビの撮影セットが組まれていた記憶は一致しています。

19世紀の漁村のような設定だったはずです。キャストは(それどころかスタッフらしい人もたぶん)見かけませんでしたが、通りがかりの人が「むこうでグィネス・パルトローを見た」と教えてくれました。19世紀の扮装をしていたかどうかは聞きそびれました。それ以後しばらくの間、「パルトロー主演の漁村が舞台の(?)ピリオド・ドラマ(時代劇)」を定期購読していたテレビ番組情報誌で探したのですが、それらしいものを見かけずそのうち忘れてしまいました。...別の回で後述します。

199段、夫は激しく抵抗しました。膝が痛くなるので絶対に上がらないぞと。

私は20年前に上がった時の記憶を裏付けしたかったのです。...日帰りで時間が足りなかったこともあり、その時も僧院には寄りませんでした。

どういうわけか、夫の気が変わって「よし、上がろう!」ということになったのでした。アルコール類が摂取できない私が快く2軒もパブに付き合ったからでしょうね。

 

素晴らしい眺望は20年前のかすかな記憶、そのままです。

僧院の創設と同時に設置された階段だそうです。素朴な木の段々が現在の石段に作りかえられたのは18世紀になってから。修復されているでしょうね、けっこう状態がよかったですから。

どうして、わざわざ200段近い階段を上がらなければならない周りに何もない場所に教会をたてたのか!?

教区の信者たちの信仰を試す意味もあったそうです。標高が高い方が天国にも近いですしね。もちろん、当時はカトリックの重要な巡礼地である由緒ある僧院のそばであるのも重要なポイントだったでしょう。

階段の途中わきにところどころ、木の横木が渡った張り出した場所があります。階段を上がる途中で腰かけて一休み、眺望を楽しむのに重宝しますが実はこれ、丘の上の教会の墓地に埋葬するため故人をおさめた棺を担いで上がって来た人たちが棺を一時のせて一休みするための設備だったそうです。

手ぶらで上がるのさえひと苦労なのにお棺を担いで199段は大変です。その実、覚悟をきめてのぼりはじめた夫は思ったほどの苦行ではないと考えをかえました。

黙って段数を数えながら上がるのものなのだそうです。いっしょに上がった若者たちも「今、何段か」時々、仲間どうし確認しあっていました。階段の前面に10段ごとにローマ数字で段数が刻印された小さな銅板がはめ込まれていることを知らない人は多いようです(私が前日にインターネットで見つけた情報です)

のぼり着いた墓地からの眺めです。

1本の先まで雨降りで強風の別の日に先まで行った、入江から突き出す2本の突堤(ピア pier)が晴れた夕方、くっきりと見下ろせました。

 

199段の階段ではなく教会わきの細道を通って丘の下まで降りました。

人懐っこい駄馬が2頭いたものですから。

 

手を差し出すとふんふんと鼻ずらを押し付けてきたこのウマは額にたれたたてがみを短い三つ編みにしてもらっていました。かわいい!

 

海と河口と港街を見下ろす素晴らしい眺望付きの細長い放牧場で余生を過ごすウマ2頭。あんまり眺めには関心がなさそうでした。慣れちゃったんでしょうね。

 

 

木の生い茂った細道を抜けて、下のチャーチ・ストリートの、町の中心に近い場所に戻りました。

20年前の記憶がいっそう混乱しました。私が丘の上でたしかに途中で寄ったという古い公民館のような場所でやっていた「地元の物産展」のような催しにちょこっと立ち寄ったという私の記憶は徹底否定されました。実際そんな場所は見かけませんでしたし。

夢だったか、別の場所と混同しているのだろうと言われたのですが納得いきません。

夫は私の「見たものに関する詳細な記憶力と表現力」は特筆ものだと賞賛してくれるのですが、時空系列の意識がめっちゃくちゃ(混同する)だと非難します。

「第一、いつ何処に行ったか行かなかったか、そんなに重要か!?」...と、言われてみれば、たしかにそうなんですけどね。

古い漁港の設定のドラマか映画(当時、ロンドンに住んでいたアメリカ人女優のグィネス・パルトロー説は信ぴょう性ありですが、あきらめました。手掛かりになりません)に関して...当時と違ってインターネット・サーチが可能な今、心当たりの連続ドラマを1本見つけました。無料で視聴できるストリーミングサービスを発見!現在、記憶のその場所が出てくるかを確認中です。

...夫は興味なさそうですが「見つけたら教えてね」とだけは言ってくれます。(私のこのこだわり、何なのでしょうか)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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北海沿岸の海岸と河口の町にまた行った、「地球の歩き方」にも(たしか)載っている古い港町、ウイットビーに

2023年09月18日 09時00分00秒 | イングランド北部

先週の金曜日まで、英国北東部有数の観光地、ウィットビー Witby に4泊旅行していました。

 

ヨークシャー東部の北海に面した古い港町です。

6月の終わりにもスコットランドとの国境の町、ベリック・アポン・トゥイード Bewrick- upon -Tweedに連泊して、あまり間をおかずにまたか、と思われたかもしれません。...あれは、私の還暦祝いの記念旅行でした。今回は、息子がスペインから帰省してきたので9月にずれ込んだ毎年ほぼ恒例の夏の小旅行です。

 

ウィットビーは、一言で言えばベリックと違って...とても観光地らしさにあふれた場所です。非常に美しい景観と俗っぽい観光享楽施設が混在する...「地球の歩き方」を手にした日本人観光客を本来、たくさん見かけてもおかしくない場所です。

実際、学生らしい若い日本人男性の4人組と2人組を見かけました(見かけたのは意外にも、このたった6人だけでした)

ベリックから212km離れた同じ海岸線上の北海 North Seaに面した、やはり同じく歴史のある河口の町です。ストックポートからはヘザーの花の咲き乱れる高低のある美しい荒野、ヨークシャー・デイルスを横切ってクルマで2時間半、近場の旅行先です。

旅行先を決める際、私はオンライン新聞で見つけた「小さな昔ながらの漁港の町、スタイス Staithes 」を提案したのですが、泊るところをさがすのがちょっと困難そうでしたので、近隣の観光地として名が知られ、便利そうなウィットビーに連泊することにしました。

オンラインで多数見かける構図の、丘の上から撮影されたスタイスの観光写真です。☟ね、きれいでしょう?

スタイスはウィットビーから12km、滞在中にバスで訪ねました。予想通りの美しい楽しい町でしたが、思ったよりも人気のある観光地でした。丘の上から入江に面した町を見下ろす機会はありませんでした。

 

滞在したベッド&ブレックファーストは遠浅の美しい砂浜から徒歩1分。

引き潮の天気のよい早朝、出かける身支度に時間がかかっている夫をホテルの部屋に置き去りにして1人で浜に降りてみました。

 

英国の海岸沿いの観光地でよくみかける、なぜか中央にこんもりススキが植えてある丸い花壇が欠かせない、レトロな庭園があります。

 

とても快適に過ごせた、家庭的なベッド&ブレックファーストはビクトリア時代の棟続き住宅の角位置でしたので、私たちの滞在した部屋は海岸から1ブロック離れているにもかかわらず...なんと、「海の眺望付き sea view 」でした。ウェッブサイトにもそう謳われていました。

海岸に面した、すべて棟続きのベッド&ブレックファーストの2棟の建物のあいだから本当に水平線が見えます!

 

中央の道路に面した白い瀟洒な建物の奥の、レンガ造りの4階建てが私たちのベッド&ブレックファーストです(見にくいですね)

 

これまたおなじみの、海岸沿いのプロムナード(遊歩道)沿いの...

可愛らしいアイスクリーム・スタンドのそばに...

 

得体の知れない小規模廃墟物件を見つけました。(河口を超えた向こう岸の丘の上にちょこっと見えているのはウィットビーでもっとも名高い歴史的遺跡、ウィットビー・アビー Whitby Abby の廃墟です)

第二次世界大戦時に「ドイツ軍の空爆で破壊された一般家屋」だそうです。標識に説明がありました。

別に有名な人が住んでいた...とかではなさそうです。

居間の暖炉の前に不発だった焼夷弾がわざとらしく転がっています。もちろん後からそえ付けた演出でしょう...歴史の証として、市の博物館にでも移築すればよさそうなシロモノです。

戦争のおそろしさを後世に伝える「歴史遺跡」に、うっかり笑ってしまいました。

 

次回から、もっと一般受けしそうなウィットビーの見どころをお見せします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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短い秋の始まりか、大雨で洗車は不要、遠いサハラ砂漠に思いをはせる気象現象

2023年09月12日 06時00分00秒 | 英国の、生活のひとコマ

晴天続きに、変化あり!

週末明けの深夜、ざあざあ雨が降りました。英国の短い秋の始まり...でしょうね。連日雨が降ったり止んだりの冬がすぐにやってきます。

なぜか子供の頃から雨が好きな娘が興奮して外に出て、ざあざあ雨の中短い通りを一走りして戻ってきました。

 

週末、サハラ砂漠の砂塵をあびて薄いオレンジの砂ぼこりまみれになったクルマがきれいになりました。

去年と今年の日本滞在中、「黄砂」予報に興奮しました。タクラマカン砂漠!ゴビ砂漠!子供の時に見た「シルクロードを行く」...!雄大な大陸の遠い地を思ってロマンに浸りました。

...あぁ、実際は洗濯物をとりこんだり、ベランダの手すりを拭いたり...やっかいごとでしたね。

今日はキタナいクルマが多いし、(あらら、うちのクルマもだ)歩道にもレンガを砕いたようなオレンジ色の粉が吹きだまっているし、どうしたのかな、と思っていたら、サハラン・ダスト Saharan dust (サハラ砂漠の砂塵)という気流の変化によってサハラ砂漠の砂塵が英国まで到達し、局地的に降り注ぐ壮大な気象現象だと夫に聞いて知りました。

英国に住んで30年余、聞いたことがなかったのですが、数年に1度、多い年には2度、3度と起こる英国ではおなじみの現象だそうです。

海を越えたアフリカ大陸のオレンジ色の広大な砂漠を思い浮かべてロマンチックな気分にひたったかというと...

いえ、うんざりしました。

 

 

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短い夏の(と言ってももう9月)最後を飾る開放的な服装とバーの屋外席

2023年09月11日 09時00分00秒 | マンチェスター

今日から、秋らしい日が始まるという予測です。

夏の最後の週末を薄着で目いっぱい楽しむマンチェスターの人たちです。すべて土曜日に撮った写真です。

思いっきり開放的な服装で日差しを浴びるのは(あまり暑くもない)英国の、夏の決まり事と言ってもいいようですね。

 

私はまだ、おへそを出した「マンチェスター・ビキニ」を追っています。

この日、女性のおへそ出しは数限りなく見かけました、若い女性の7割ぐらいが肩かおへそ、あるいは両方出したスタイルで町の中を闊歩していました。若くない女性も肩は全開。おへそを出しもそれなりの割合で、いましたよ。

女性の場合はマンチェスター・ビキニとは言えませんね。ただのブラー・トップ bra top です。

やはり男性の「マンチェスター・ビキニ」は皆無でした!

男性≒オジサンのビキニスタイルについては前回の記事を参照してください。☟

連日28℃越え、9月の真夏日に町の中でおへそ出し

 

その代わり...

上半身裸の男性は8人ぐらいは見かけました。

上の写真の裸の少年の連れの男性はナイロンのフディ(フード付きのトレイナー)姿なのが妙に暑苦しいですね。

必ずしも肉体美をひけらかしたいタイプの人ばかりではなく夏の週末の解放感を全身で表現しているつもりか、いえ、ただ単に暑かっただけ(だと思います)のナサケナイ体形の人もけっこういました。

シャツを胸までまくり上げてお腹を丸出しにする「北京ビキニ」なる風俗と、肉体美ではない男性の町の中での上半身裸スタイルのどっちがよりいっそう見苦しいか。私は個人的に「ビキニ」を推します。そんなに暑いなら潔くぬげばいいのに!

 

短い夏の日の都市の風物をもうひとつ、路面の酒盛り!

 

マンチェスターの名所、ゲイビレッジの中心、カナル・ストリート Canal Street です。

文字通りカナル(運河)沿いに、かつては、ゲイの男性がお相手を探す場所らしかったバーやクラブがズラッと並びます。

今では「ゲイバー」なんて言わないようですね。揶揄気味に聞こえます。

多様性を尊ぶダイバーシティの今の世の中、ゲイ・ビレッジのパブやクラブは非LGBTQ+にも大きく開放されています。

 

 

性の多様化を讃える七色の虹(プライド・フラッグ)は、先日のマンチェスター・プライド・フェスティバルのための飾りつけでしょうね。もちろん夏のあいだずっと出しっぱなしにする価値は大ありです。

 

プライド・フェスティバルについて書いた以前の記事のリンクです☟

マンチェスターが誇る多様性の祭典、参加はしなかったけどマンチェスターには当日行った!

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陰謀論この世の終わり宣教人権..主張したい人全員集合、夏日が続くマンチェスターにて

2023年09月10日 05時21分05秒 | マンチェスター

9月8日に「今日あたりから涼しくなりそうです」なんていいかげんなことを書きましたが、とんでもない、昨日9日(土曜日)はとんでもなく暑くて晴天でした。(最高気温は29℃)

マンチェスターで友人と昼食を食べました。

天気のよい週末のショッピングエリアは人でいっぱい!ああ、もう暑苦しいこと。

 

メインのショッピングエリア(上の写真の)に入る前の、左側の店舗ビル(1930年代から2000年ごろに閉店するまでたいへん繁盛していたルイスィーズというデパートでした)の角の空き店舗の窓に張り出された多数の人物写真が人目を惹いていました。

行方不明者の捜索ポスターか、はたまた人物特定誹謗活動か!?

読んでみると、「コロナワクチン接種後に亡くなった、あるいは重篤な副作用を発症した人たち」だそうです。

ニュース・キャスターやサッカー選手など有名らしい人たちがけっこういます。顔面マヒしたカナダ人の歌手、ジャスティン・ビーバーの写真まで貼られていました。

...この啓蒙活動の目的は何でしょうか。ワクチン接種は終わっています。

依然としてコーヴィッド(コロナウイルスによる感染症)に感染する人たちは一定数いるようですが、検査もしていませんし、たとえ陽性になったとしても行動制限は一切ありません。今さら、ワクチンの危険性を訴えてどうするつもりなのか。

...ははあ、これはもしかして、近頃あまり聞かない「陰謀説」の布教?

.

そうみたいです。

ワクチン接種が危険だなんて全くの「ウソだ!」とまではいいません。実際に、ここに顔写真が出ている人たちは接種後に亡くなったり脳卒中など障害の残る重篤な症状が出たりしているということですし。

ただし、ワクチン接種との因果関係がこの告発活動では明記されていません。

とにかく、世界中でいったいどれだけの人がワクチン接種をしたのでしょうか。億単位ですよね?とりあえず、大多数の接種者が死亡や重症化を免れているのはたしかです。

死亡したり重篤副作用のあった人たちは接種者全体のうち、ごく少数なはずです。ワクチン接種促進を各国政府が躊躇していたら、あの大変なパンデミックは今、終わっていなかったと私は信じます。

主催者は、自転車で運び込んだポスターを張り終え、リーフレットなどを机に並べて、やっとキャンペーンのセットアップを始めたところのようでした。

話を聞いてみようか少し迷いましたが、「かかわらない」ことに決めました。友人と待ち合わせしていましたし。

 

ショッピングエリア、アーンデイル・センター Arndale Centre の前の道もまた人でいっぱい。

その道の真ん中で、いくつかの団体がそれぞれキャンペーン活動をしていました。

 

まず、イランの人権活動団体。

体制批判して投獄されたり行方不明になっている活動家の写真を掲げて、非人道的な専制主義国家に国際的な圧力をかけるための署名を呼びかけていました。

静かなアピールです。

 

その後ろではイスラム教の布教活動です。

コーラン(イスラム教の経典)や、写真入りのリーフレットが無料で持ち帰れるようになっていました。

スピーカーからはコーランの朗読(棒読みのライブ)が大音声で流れてきます。

 

そのすぐ奥では、キリスト教徒が積極的に道行く人々に声をかけていました。

棒の先に「悔い改めよ」「神の国は近づけり」とか、脅し文句を書いた板をもって無言で歩いている人たちと同じ「宗派」でしょうか。

棒の先の板には「我々は皆、罪を犯している/キリストがもたらす善い知らせを無視すると地獄へ落ちるぞ」と言うような恐ろしいことが書かれています。

そのすぐ後ろには...

わざわざ、ゴミを回収する作業員のオレンジ色の安全服をいっしょに写してみました。

懐かしい、ハーリー・クリシュナ!

暑い日になぜか、ハリー・クリシュナのトレードマークであるオレンジ色のフディ(トレイナー)を着て、「ハーリ、ハーリ」のマントラを無限ループで繰り返す男性とインド風の楽器を奏でる男性、どちらもエキゾチックな南アジア風の容貌でした。

アメリカ合衆国で広まった、インドのヒンドゥー教の神、クリシュナを讃える宗教らしいですね。

30年ぐらい前まで、マンチェスターで本当によく見かけたものでした。白人の若者ばかりが、夏でも冬でもインドやチベットの修行僧のようなオレンジ色の布を肩から斜め掛けして集団で太鼓をたたきながら踊っていたものでした。

当時、バスを待っている間など、いやでも耳に入ってくるハーリ、ハーリ...をぼうっと聞いているうちにトランス状態になって、一緒に踊り出し、お鍋を並べてふるまっていたオレンジ色のカレーをごちそうになって..、いつの間にか入信していた...!なんてことが起こっても不思議ではないほどひきつけられる不思議な旋律のマントラと太鼓のリズムだったのですが...ダメでした。今回は全くのれません。暑かったし、急いでいたし...(関係ないか?)

手前を歩く女性の腕のタトゥ(入れ墨)が注目に値するので、写真を撮りました。

 

テーブルひとつの小ぢんまりしたイスラム教のグループです。

最初の、コーランを無料で配布していたグループとの関係は不明です。

ヒジャブをかぶった女性が、興味をもった通行人がテーブルのほうへ歩み寄ってくるのを静かに待ち構えていました。横に立つ男性二人は補佐か、指導者か、あるいはボディガードかなんかでしょうか。

コーラン配付グループのシロウトくさいライブ朗読と違い、プロのイスラム教教戒師か誰かが朗々たる美声で吹き込んだお祈りをCDプレイヤーで流していました。

この人たちはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の融和を目指しているようです。ノア、アブラハム、モーゼ、イエス・キリスト、モハメッドの5人はひとつの信仰の預言者だという主張です。

 

とにかく、言論の自由と、信条の自由が保障されている体制は喜ばしいことです。

イランの署名運動、がんばってほしい!署名してくればよかったと今、後悔しています。待ち合わせがあり、急いでいたものですから。

 

よくこのあたりにいる、動物の権利運動や環境保護運動の活動家はこの日、見かけませんでした。

 

この通りは、大道芸人、路上音楽家が多いことでもよく知られています。

小道具の「グラッドストーン(医者の黒カバン)」を床に置いたこの人(左側)の芸をぜひ見たかったのですが、始める兆しはありませんでした。バーバリーのレインコートのすそとネクタイが下からの烈風で吹き上げられ翻っている状態を保つインパクトのある服装です。額の毛もしっかり立っていました。

 

帰りにこの場所をもういちど通った時には、コーラン朗読、コーラン朗誦、クリシュナ・マントラの喧騒の中、ラップの生演奏が聴けました。

 

 

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連日28℃越え、9月の真夏日に町の中でおへそ出し

2023年09月08日 07時00分00秒 | 英国の、生活のひとコマ

洗濯物がよく乾く、晴天の暑い日が、もう5日続いています。今日あたりからまた涼しくなり肌寒い秋にこのまま突入しそうです。

 

帰省中、寒い寒いとこぼし続けた息子が猛暑のスペインに帰ってすぐに暑くなりました。

あつがりの私は暑い暑いとこぼし続けています。と言っても最高気温はせいぜい28℃ぐらいですが。9月になっても日中30℃越えと言う日本の皆様に笑われますね。

...ただ、自宅はもちろんお店も職場も公共交通機関もエアコンが普及していないのです。逃げ場がありません!

近年は、エアコンを稼働させるスーパーマーケットや大きな会社のオフィス、飲食店なども少しずつ増えてきているようですが。

1年のうち、エアコンのありがたみが堪能できる夏日はせいぜい5~12日程度だと言われている英国では、高価で場所をとり、しかも環境にいいとは言えないエアコンがどれだけ必要とされているか疑問なところです。

そう言えば、私が子供時代を過ごした今ほど暑くはなかったという4,50年前までの日本も冷房はちょっとした贅沢家電でしたよね。扇風機で何とかしのげていた記憶があります。たしかに8月は1か月間ずっと暑かったはずですが、英国の一番暑い数日間と状況が似ているように思います。子供の頃の暑さの記憶はおぼろげですが。

写真は昨日と一昨日に近所の商店街、ブラモール・ビレッジ Bramhall Village で撮った、「ストックポート・ビキニ」です。

オジサンたちが町の中でシャツをめくりあげてお腹を出して歩く中国の真夏の風習、「北京ビキニ」が何年も前に中央政府によって禁止された、という笑える話を聞きました。

日本ではけっこう話題になったという北京ビキニ、英国では全くと言っていいほど知られていません。私も日本にいる友人に聞くまで知りませんでした。英語で検索してみたら、英語2件とドイツ語、フランス語、スペイン語のニュース数件ずつにヒットしただけでした。

去年、事情があって夏に日本にいた私は、ほとんどの時間を冷房の効いた実家で過ごしました。友人と会ったり買い物をしたりで外出の機会もけっこうあったのですが、できるかぎり屋内で過ごしました。暑いのは人一倍苦手です。

日本の盛夏の服装事情を暑い盛りに若者たちが繰り出す町の中で実際に目にしたわけではないのですが...。

こんなに暑いのに!日本では男性の「東京ビキニ」はもちろん、肩を出して街の中を歩く女性の姿も見たおぼえがありません。

以上のことから、「日本人はどんなに暑くてもだらしない恰好はしないわね」と言う話をチャットでしていた時、友人に聞いたのが、北京ビキニの話です。

写真ではわかりにくいのですが、赤ちゃんを抱いた若いお母さんのトップもおへそ出しスタイルです☟

その友人に見せるために撮った、「英国のビキニ事情」ビジュアル情報です。

暑い夏が大好きで、日焼けの機会を絶対に逃したくない英国人の狂喜の表現、「どこにいたってリゾート地」ファッション全開です。

英国では、(気温は必ずしも高いとは限らない)天気のいい夏の日に、たまに上半身裸で町の中や住宅街を歩いている男性を見かけます。ショーツにサンダル、サングラスをかけて手にはビール...など夏の休暇ムードたっぷりでキメて、どちらかと言うと割れた腹筋を見せびらかしたそうな肉体美を誇る男性が多いかもしれません。

しかし、シャツめくりあげのこっぱずかしいビキニ男性を見たことはかつて一度もありません。

 

夏休み最後の週だったセコンドリー・スクール(中高等学校)も多かったのでしょう、10代の若い人たちが多く行きかったブラモール・ビレッジでした。

私立校らしい(?)制服をクリーニング屋から持って帰るお母さんと3人娘です。☟

ジムで運動をする時に身に着けるようなおそろいの「ブラトップ」で歩いていた目も覚めるようなスタイル抜群の少女の一団ともすれ違いました。スマートフォンのカメラが手元になかったので写真が撮れませんでした。

肩出しやビキニスタイルの女性はすべてブラジャーの肩紐丸出し...にご注目ください。見慣れた光景です。(日本では見ませんよね)

上半身ハダカは皆無。見かけた30代以下の男女のほぼすべてがショーツ(半ズボン)スタイルでした。

 

わかりにくいのですが、ピンクの袋を持った女性もおへそ出しトップです。☟

 

こーんなにビキニ、というかおへそ出しスタイルの女性が街なかにあふれているのに、ハダカの男性がいなかったのは印象的です。

 

おへそ出しではないこの女性のミニ丈ドレスは上半身が金太郎さんの腹掛けスタイル(ホルターネック、背中全開)で背中のブラジャー丸出し...遠くからの隠し撮りでよくわかりませんね。☟

カンカン照りの屋外に3時間駐車した私のクルマは誇張なくサウナ状態でした。

しかもエアコンがありません。状態の良い中古で今のクルマを購入した20年ぐらい前、英国ではエアコンの付いた自家用車はけっこう贅沢だったのです。ついでに言えば、ここ数年、故障で運転席側1面しか窓も開きません!!!!!!!!!

全身を汗が流れるのを感じながらサウナ状態のクルマを運転すること15分、メガネが曇って、しかも目に汗が流れ込み危険だったため汗を拭くために車をとめたりもしてどうにか目的地のスーパーマーケット、リドル Liddle に到着しました。

以下、写真は安売りスーパーマーケット、リドルの内部の「ストックポート・ビキニ」。

リドルはエアコン全開でキンキンに冷え切っていました。

サウナのあと水風呂に飛び込んだ後のようなスーッと汗が引く爽快感!日本の夏の屋外と屋内の気温の差の記憶がいきなり戻りました。

「あ~極楽、外に出たくない!」と大して広くもない売り場をウロウロ、たくさんの種類のあるハムや野菜をじっくり選ぶふりをして時間をかせいで1時間以上も店内にとどまりました。

まあ、1時間もいるとさすがに飽きますし、水風呂に5分も入っているとサウナに戻りたくなるように、1時間もエアコンが効きすぎの場所にいて体が冷えてきたために、暑いクルマに戻りました。

...そう言えば、日暮れが早くなっているのでした。買い物を終えてクルマに戻った3時過ぎにはけっこう過ごしやすい気温にさがり、エアコンですっかり冷えた体を少し持て余して、一面だけ開いた窓から涼しい風をいれて家まで運転して帰りました。

英国の夏は、気温が高い日でも、一般に湿度が低いものですから、日陰や風通しの良い屋内に入るとスーッと気温が下がるのを感じられます。

ブラモール・ビレッジで見かけたイスラム教徒の少女たちです☟

同年代の少女たちのほとんどすべてが、ランニング・ショーツに肩出し、おへそ出しスタイルで行き来していたこの通りで、長そで、長ズボンの、戒律を守ったスタイルは新鮮に見えました。

そう言えば、日本で会った年配女性の多くも長そで、長めのスカート姿でした。暑かったのに...。日焼けを防ぐためですよね?

 

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たまにだったら楽しめるスペインに住む息子が懐かしがる英国のこってり料理のお相伴

2023年09月06日 04時51分13秒 | 英国の食べ物、飲み物

昨日も気温は27℃ほど、空気が乾いた晴天で暑かったです。30℃越えの日本の皆様、残暑お見舞い申し上げます。

英国に帰省中、寒い寒いとこぼしていた息子は自然発火で山火事がおこる酷暑のスペインに戻って今さらながら故郷の涼しさのありがたみをかみしめているところでしょう。

バルセローナでシェフ(調理師)をしている息子のために私が作ったロースト・チキン roast chiken です。

英国では、日曜の午後の「サンデー・ロースト」としておなじみのロースト・チキンは手順がややこしいわけでも、材料が手に入りにくいわけでも何でもありません。チキンはスペインでも手に入りやすい食材だそうですし。

 

夫が(ただ一人)ベジタリアン...正確には(タコ、イカを除く)サカナを食べるペスカトリアンの我が家で、私と娘の二人だけのために丸ごとチキンをローストするのはおっくうです。たくさん食べる息子が来たからには...!と張り切って4~5人前の中サイズのチキンを買いました。

午後、外出先の息子から「夕食に帰れない」という連絡がありました。まあ、想定内の出来事でした...チキンを焼く手間は2人前だろうが3人前だろうが同じです。全く困りません(ただ、残念)

食卓の写真を撮って、お友達の家に集まって宅配ピザか何かを食べているという息子に送りつけてやりました。

食事をしないのにわざわざテーブルにのせた息子のディナー・プレートの写真も送ってやれ、と夫が言うのでそうしました。

「丸ごとチキンのロースト英国家庭流」を家族と食べる機会を逃した、スペインで一人暮らしの息子は残念がってくれましたが、1年ぶりに仲良しの友人たちと深夜まで集まる機会をもてて、嬉しそうでした。

すすんで食卓でチキンを切り分けてくれるのはチキンを食べないベジタリアンの夫です。申し訳ないのですが ... なぜか、欧米では肉の切り分けとバーベキュー調理は昔から男性の役割なのです。

以前、当時は男の子だった娘にその役割を引き継がせたのですが、どうにも危なっかしくて、やっぱり今も夫が切り分けて私たちの皿によそってくれています。

 

娘も私もそれほどたくさん食べられません。さすがにかなりの量が余りました。

深夜、帰宅した息子は冷蔵庫にしまってあったチキンのあまり(のごく一部)と冷えてプリプリ煮凝り状になったチキンの脂とグレイビーでサンドウィッチを作って食べたようです。

グレイビー gravy(たれ)も、即席顆粒「グレービーの素」に、水は一滴も加えず、ロースト中のチキンから出る「チキン・ジュース(チキンの脂)」だけで溶きました。冷えたら当然ゆるくかたまります。

翌朝は余ったご飯といっしょにチキンの脂で炒めてチキンチャーハン!私にも勧めてくれましたが、さすがに朝からこってりチキン料理は喉を通りません!味見だけして遠慮しました(おいしかったです)

翌日は、私がS&Bカレーの固形ルーを使って日本のカレーを作りました。

チキンに詰めてローストしたため脂を吸ってドロドロになったタマネギを入れ、コクはたっぷり。ほぐしたチキンの身をやっと使い切りました。

夫には冷凍のむきエビをたっぷり入れたあっさり目カレーを作りました。最初に大鍋で両方のカレーソースを作り、最後に2つの中サイズの鍋にわけて調理します。

英国では、クリスマスに食べたターキーのあまりを使ってつくる年末年始のターキー・カレーがおなじみです。タマネギをカレー粉で炒めて缶詰のトマトを加えて煮つぶす英国式のカレーですが。

取り切れない肉が少し残った骨と皮を弱火で煮込んでプルンプルンのスープストックを少量作り、冷凍してあります。

 

スペインでも比較的簡単に手に入るらしい...

大豆を甘いトマトソースでやわらかく煮たベイクト・ビーンズ baked beans の缶詰もたくさん買っておきました。イングリッシュ・ブレックファーストでおなじみです。普段はスーパーマーケットの格安自社ブランドを買って食べている私たちですが、海外から帰省する息子を歓迎するため、トップブランドのヘインツ Heinz を買っておきました。(写真は割高の一回分量の缶詰です)

 

ベイクト・ビーンズの古い写真を見つけました☟。パンデミック前に帰省した息子が私に作ってくれた略式イングリッシュ・ブレックファーストです。

トーストを、炒めたベーコンからしみだした脂に浸してこんがりと炒めてあります!!

帰省中もトレーニングを怠らないアマチュア・ボクサーの20代の息子と同じものを還暦の私が食べていいことなんか、あまりないですね。

若い男性はどうしてこんなにこってり料理が好きなのでしょうか。いつまでもこんなものばかり食べていていいわけないはずです!

 

夫は先週から、「1週間に70種類の野菜、果物を食べる」だけ、のへんてこりんなダイエット(食餌療法)を実行しています。

瘦身のためや健康上の問題点を改善するためではなく、「ソーセージ、チップス(ポテトフライ)、ビール、クリスプス(ポテトチップス)しか口にしない」成人病まっしぐらの英国人男性一般(誇張アリ)が食生活に責任を持つよう自覚させる健康プロジェクトの一環だとか。他に加工食品を控えるとか、紅茶を減らしてブラックコーヒーに置き換えるとか...医学的根拠のある健康法だそうです。

夫は私が料理した健康に害のあまりない食事をしているはずなのですが、とりあえず自分の分も含めて食べた野菜をリストアップする協力は申しでました。...乾燥ハーブやドライフルーツも数に入れていいということなので、意外と数は稼げるようです。

 

クリスマスに撮ったちょっときれいに盛り付けたロースト・チキンの写真です。

 

 

 

 

 

 

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帰ってきた息子が食べた英国のソウル・フード、国民的ブランドの所有者は日本企業だった!

2023年09月05日 07時00分00秒 | 英国の食べ物、飲み物

久しぶりの、英国の食べ物です。

まず、おなじみのフィッシュ&チップス fish &chips

先週末、1週間うちに滞在した息子が酷暑のスペインに帰りました。

涼しい英国の夏を満喫してもらいたかったのですが、雨降りが多く、ちょっとかわいそうだったかもしれません。

昨日、一昨日と続いて一転、カラッと快晴で気温は28℃まで上がり、冷房がないのでちょっと暑苦しい一日でした。

...さて、食べ物の話に戻ります。食生活がかなり違うスペインから帰った息子はやたらに英国の庶民的な食べ物を懐かしがります。

缶詰の成型ハム、スパム Spam 日本にもありますよね。1950年代ごろ英国で大人気だったというレトロなアメリカの加工食品です。

私は家で子供たちに食べさせたことがないにもかかわらず、息子にとって懐かしの英国の味だそうです。

学校で食べたそうです。同じものを教室で食べる日本の学校給食と違ってダイニング・ホールで好きなものを取って食べる「スクール・ディナー」です。

息子が作って豪快に食べた朝食です。私にもぶ厚い3切れをフライパンで焼いてくれました。マンチェスターに留学中、私も学食で食べた懐かしい味です...が、自分で買ってきてまで食べたくないような...さすがにこの年になるとオモいです。(言いたくないけど、年ですね)あまりにもこってりしすぎていて目玉焼きは遠慮しました。

ソースはもちろん、HPソース HP sauce。日本のブルドック・ソースより酸っぱみとかすかなえぐみが勝っているブラウン・ソースです。

今は亡き老ネコ、ホレイシオの写真が懐かしい以前に書いた記事のリンクです☟

おなじみのテーブルソースのラベルのデザイン...国政の中心、ロンドンの観光名所の現在の状態を見事に反映!!

 

そして、息子の大好物の、バルセローナでは手に入らないというブランストン・オリジナル・ピックル Branston Original Pickele

細かく刻んだスウィード(アメリカ英語ではルタバガと言うカブのような根菜)、ニンジン、タマネギ、カリフラワーを砂糖、麦芽酢、トマトとリンゴのピュレ―、秘密のスパイスに漬け込んだ(pickled)甘酸っぱいチャツネー chutney です。甘さのほうが酸っぱさより強いかな。口当たりはニチャニチャしています。

チャツネーとは、インド由来のスパイスを利かせた「野菜のジャム」みたいなものと言ってもいいかもしれません。

とても英国らしい付け合わせです。

チーズに載せてサンドウィッチとして食べるのが一般的ですが、チーズ用のビスケットに(チーズあり/なしで)塗って食べてもおいしいです。日本のカレーにも合いますね。インドでは本来、辛いカレーの付け合わせとして食べられたのがチャツネーだそうですから。ハンバーガ―に載せるのもいいかもしれません。

息子は、キムチのように炊飯器で炊いた日本のご飯と一緒に食べたり、スクランブルドエッグ(炒り卵)に混ぜたたり...え(気持ち悪い)!と思うような食べ方もします。もうなんでもありのようです。

ウィッキピーデアから勝手に借りた、英国のパブ・ランチ、プラウマンズ・ランチ ploughman's lunch の代表的な盛り付け例です。

パンとチーズと生野菜とピックル・チャツネーを一皿で供する冷たい昼食がプラウマンズ・ランチです。

プラウマンとは畑で鋤を馬にひかせる農業労働者のことです。野良で食べる冷たいランチ、ということですね。

ピックル製造各社がそれぞれ違う野菜のチャツネ微妙に違うレシピで製造販売しています。

.

息子が来る前に買っておいた360gの小瓶は2日で消費しつくされました。(私も少し食べましたが)自分で買ってきた同サイズも3日ともたず、3瓶目を食べつくす前に帰国しました。

ヨーロッパ間を移動する格安の機内持ち込み手荷物のみの航空チケットでは持って帰れません(液状物は機内持ち込み禁止ですから)

息子は一昨年、スーツケースをチェックインする格安ではない便で帰省、持ち帰るために720gの特大サイズを購入したのですが、重すぎてその時も置いて行ったのでした。

以来、その720gを私1人で1年かけてちょびちょびと食べ続けました。

...以外と、長いこともつものですね。合成保存料がちょっと心配です。半分ぐらい残った今回の3本目、息子がまた来る頃にはもう1瓶また買ってやることにして私がまた、食べちゃいます。

材料をチェックしようとラベルを見てみたら。ビックリ!製造元(というか、ブランド保有者)は日本のミツカン Mizkan でした!!

そして...これも息子がスペインで夢にまで見たというフィッシュ&チップスを食べて以来、テーブルに置きっぱなしになっている...( 上の朝食写真も参照)

英国を代表するモルト・ビネガー(麦芽酢)製造ブランドのサーソンズSarson's(創業1794年)も手に取ってラベルを見てみたら...ブランド所有者はやはりミツカン!

そう言えばサーソンズの買収はずいぶん前に聞いた記憶がありますがなぜか忘れていましたし、ラベルを見て確認したのはこれが初めてです。

調べてみたら ブランストンと同時...2012年のことでした。両ブランドとも、それ以前にもブランド所有権が国際大手食品会社、ネスレィからプレミア・フーヅへと移動しています。味ぽんのミツカンって、グローバルな国際企業だったんですね....

同時に、パブで見かける各種おつまみピックルでおなじみ、ヘイワーズ Haywards もミツカンに買収されていました。ミツカンの所有下にマンチェスターで製造を続けています。...マンチェスターに拠点を置く会社だということを今まで知りませんでした。

かつて、世界の最先端を行っていたという日本のエレクトロニクス産業や自動車産業はこの頃どうも押され気味だと聞きましたが、酸っぱい食品産業が国際的に健闘しているんですね。

ラベルを見てブランストンは2022年に創業100年だったということを知りました。

サーソンズとともに国民的ブランドです。日本の会社に買収されたことを知らない人が多いんじゃないかな。Mizukan のロゴがあくまで小さく控えめで、安心しました。

息子が滞在中に食べた英国のソウルフード、続きます。

 

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カエルの話から脱線、今日は何の日終戦の日!

2023年09月02日 07時00分00秒 | ストックポートとその周辺

ストックポートのトレイル・イベント、カエル探し再び。夏休みはもう終わりですが、このイベントは月末まで続きます。

(懐かしい!)i ポッドを発明したApple Inc の偉業をたたえる、作品番号1番、DJ

耳の穴のないカエルがイヤフォンで音楽を聴いています。

 

 

国道A6沿いの、市庁舎とならぶ小さな広場に設置されているDJ, 国旗と戦没者に捧げる赤いポピーのリースで飾られたとなりの奇妙な銅像は...

 

(別の日に撮りました、上の写真の国旗がなくなっています)第二次世界大戦の末期にカヌーを漕ぎだし決死の行為で友軍を救った、地元ストックポート出身の海兵隊員だそうです。

あ、この人はぶじ復員したそうです。10年ほど前に高齢で亡くなりました。地元にいたこんなにすごい人!の名誉を記憶するための英雄像です。

国家に命を捧げた戦没兵士すべてを讃えるこの銅像があるこの場所は、戦没兵士への感謝の祈りと黙とうを捧げる厳粛な場所だそうです。

...そのわりには、カエルと記念写真を撮る親子をしょっちゅう見かけますし、この日は奥の芝生でお腹と背中をそれぞれむき出しにして日光浴する若いカップルが寝転がっていたりで...あまり厳粛な雰囲気ではありません。

この場所が厳粛なはずなのは...

(ああ、木がこんもり茂っていて見えない!)国道A6をはさんだ向かいに...

古代ギリシャ神殿風の立派な戦没者祈念廟、ストックポート戦争記念美術館 Stockport War Memorial Art Gallery があるからです。

第一次大戦後の1925年に建造されたギリシャ復興様式、第二特級保存指定建築 Grade II* listed building です!

左の柱には1914-1918と第一次大戦の、右の柱には 1939-1945 と第二次世界大戦の始まりと終わりの年号がそれぞれ刻み付けられています。

入ってすぐのフォイエ(入り口ホール)の右と左に美術館の展示室がひとつずつあります。

奥にあるのが、この War Memorial (戦没者慰霊廟)です。

英国の守護女神、ブリタニアに勝利の象徴、月桂冠を授けられる戦没兵士のドラマチックな大理石像。その周りには両大戦で戦死したストックポートの出征兵士すべての指名が刻まれています。

ところで、話変わって...今日9月2日は何の日でしょう。

第二次世界大戦終結の日です。

え、終戦の日って8月15日じゃないの、と思われたでしょう?

8月15日は日本がポツダム宣言を受諾し、無条件降伏を受け入れた日(8月14日)の翌日で、国民が天皇のラジオ放送によって終戦を知らされた日です。日本人にとって印象深い日なんですよね。なぜか英国もこの日を「第二次世界大戦終結の日」としています。

V-J Day (Victory over Japan Day 日本に勝利した日)と、うかれた名前がついています「日本降伏の日 Japanese Surrender Day」ともいうそうです。と言っても、英国にはこの日を知っている人はほとんど全くいないのが実情です...たとえ聞かされても日付はすぐに忘れます。

ちなみに、今、ウィッキぺーディアで調べてみました...8月15日を終戦日とする国は、日本、英国の他に、韓国と北朝鮮だけだそうです。

 

9月2日は日本が正式に降伏文書に調印した日で、連合国代表として米戦艦ミズーリ号の甲板での調印式に出席したアメリカ合衆国はじめ、オーストラリア、カナダ、ヨーロッパの主要国もこの日を終戦の日ということにしています。

ソ連(ロシア)と台湾、中国はその翌日に凱旋パレードをやったことから9月3日を終戦日としているそうです。

英国では、ドイツの降伏を記念する5月8日の V-E Day ( Victry in Europa Day ヨーロッパ戦勝日 )のほうがずーっと知名度も重要度もうかれ度も高いですね。国民が祝祭ムードを楽しむべき日です。

他のドイツと戦ったヨーロッパの国々も「日本の敗戦日=事実上の大戦終了時」にはあまり関心がないのではないでしょうか。

10年ごとの節目などに8月5日の「V-J デイ」の記念式典のようすがテレビで放送されますが、出席しているのは日本軍の強制収容所や労働キャンプで虐待されて、この日に開放された経験をもつ高齢の復員兵で...陰惨な体験談ばかり聞かされるちっとも浮かれていない記念日なのです。

「英国にとって何の日でもない9月2日は、もう一つの終戦日」だということは、戦争記念美術館の職員2人にすら知られていませんでした!

知り合いが受付スタッフとして働いているので、「パンデミック後の無事の再会」を今さらですが喜び合ってちょっとおしゃべりをしました。

戦争記念美術館の2階展示場に上がる踊り場の壁両面に、第一次大戦で戦死した兵士たちの英雄的犠牲を讃えるタペストリーがかかっていました。

 

戦友の墓に黙とうを捧げる兵士のシルエット、ドイツ軍のマスタードガスで失明した兵士たちが列を作って堤防の上を歩くシーンなど、英国人なら知らぬ人はいないほど有名な第一次大戦を描いたアイコニックな絵画のコラージュです。

2大戦とも戦勝した英国の、.敗戦国日本では考えられないヒロイズム、センチメンタリズム...それとは対照的な V-Eデイの浮かれぶり....お分かりいただけるでしょうか。

この踊り場からは慰霊廟が見下ろせます。

奥の曲面の壁に刻まれた「自らの命を我らの自由と幸福に捧げた彼らの名前をとこしえに忘れまじ」の文字が目に入ります。「わかった」と言うしかありません。

戦没兵士の目線の先には明るい光が差し込むギリシャ文様(ラーメンどんぶり模様)に囲まれた丸い天窓があります...天国の表現でしょうか。これでもか、と言うような感傷表現ですね。

11月11日のレッド・ポピー・デイ Red Poppy Day には国家を挙げて、両世界大戦のみならずすべての国際紛争で命を落とした英国軍兵士に慰霊と感謝の祈りをささげます。

原爆も投下された敗戦国日本で、悲惨な戦争体験の話をさんざん聞かされて育った日本人の私には疑問がいっぱいの戦死者の英雄視。どう考えていいのかわかりません。

...とは言え、私は軍国主義は大嫌いでも、軍事パレードや軍服を着た人がいっぱい出てくる国家行事を見るのが大好きなのです...。

 

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